「お菓子がご飯」という人に私ができることは?

突然ですが、

3年前の昨日、FBにあげた記事をシェアします

 

 

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【手づくりすること】

 

お米や野菜・お漬物・お味噌と、何かと手づくりする家で育った私。

 

顆粒だしの存在を知ったのは20才前後。

 

母や祖母は、煮干しや昆布や鰹節でいつもお出汁をひいていたし、高校や専門学校でも同様のお出汁のひきかたを習ったので、顆粒だしを知ったところで長年カラダに染み付いている方法でしかご飯を作ってきませんでした。

 

 

今でこそ、栄養の勉強をしたり、食の安全について調べたりしてそれなりの知識はついてきましたが、小さい頃や学生時代、厳密に言うと結婚するまでは

「慣れた方法でやってる」

「それしか知らないから」

というだけの理由でやってきたようなものです。

 

結婚し、家族ができてから本格的に意識し始めましたが、すればするほど「手づくりの良さ」に気づかされます。

 

 

小さい頃は、

「外食したいなぁ…」

「よその子みたいにパフェとかオレンジジュースとかお店で食べたいなぁ…」

としょっちゅう思っていましたが、今更ながら

「家で作ったもんが1番美味しい!1番安心!」

という、耳タコ状態だった父の言葉に強く頷けます。

 

 

食事は命を作るもの。

 

 

特に、将来子どもを育みそだてるであろう娘を持つ母としては、日々の栄養の積み重ねを意識せずにはいられません。
(とはいえ、がんじがらめではなく、「AよりB」「それより先にコレ食べたら?」という、ゆる〜い感じですが)

 

 

先日、母乳と昆布の旨味成分の投稿をしましたが、離乳食を始めた1才の時から昆布と鰹節でひいたお出汁に馴染んできた娘は、大のお出汁好き❤︎

 

1日3食お味噌汁を出しても、小さいお手手で器を持って、チューチュー器用に飲み干します。

 

まだ授乳中なので、周りの、早くも卒乳(断乳)したお子さんよりも汁物の飲み方はまだまだヘタクソですが、それでも、シジミやアサリのお味噌汁や鰯のつみれ汁の時などは、お鍋を指差しておかわりを要求してきます。

 

手づくりご飯を喜んでいた父と、実際にご飯もおやつも手づくりしてくれた母の精神を、少しは私も受け継いでいけてるのかなぁ…と、最近思います。

 

 

今は、踏み台に乗って私と一緒に台所に立ちたがる娘。

 

約30年ほど前、母と私たち姉弟3人とで餃子を包んだり、コロッケを丸めた光景を思い浮かべながら、そのうち娘とも同じ光景をつくることができるかな?と密かに楽しみにしている母です(*^^*)

 


昨日、某ファストフード店の食肉問題がニュースになっていましたが、こういうことがある度に、父のあの言葉が響いてきます。

 

…ということで、今夜はチキンナゲット作ろうかな☆


画像は、私のお味噌汁を横取りする娘の画f^_^;)

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この記事から3年経って思うのは、いつでも『絶対手づくりご飯!!』と思う必要はないけれど、でもやっぱり手づくりご飯はいつでも美味しいし、嬉しい

 

だから、世の中の多くの人にも手づくりご飯を見直して欲しい

 

と思うけれど、それが叶わない人もいる

 

 

 

家族につくってあげたいけど、カラダが思うように動かずつくれない人

 

時間がなくてつくれない人

 

「ご飯をつくる」という意識が薄い人

 

そういう人がつくれるようになるためにどれだけのことができるか?

 

それがこの1〜2年間 抱いている私の課題です

 

 

 

 

ご飯をつくりたくてもカラダの不調や時間がないという理由でつくれない人にはまだいいのですが、

 

「ご飯をつくる」という概念がない人にどうアプローチするか?

 

そこが意外に難しい。

 

 

 

コロッケも焼き鳥も餃子も、買わないと食べられないと思っていた40代の人を知っています

 

家族分の茶碗やお箸がない家庭もあります

 

お菓子であっても満腹になりさえすればそれが食事だと思っている人もいます

 

 

 

根深いことです

 

 

 

その人のお母さんやおばあちゃんの食生活にまで問題が及ぶからです

 

 

そして、それは栄養状態にも課題がある場合が多く、親との関係性にシコリがある場合もあるので、私が介入できることは限られていたり…

 

 

でも、そういうことを踏まえて

「食をもって私にできる何か」

を探していきたい

 

 

 

そのために求められることはたくさんあるでしょう

 

もっともっと私自身が変化していかなければ成し得ないことだと思っています

 

 

 

手づくりご飯の大切さを伝える活動はまだまだ始まったばかりです

無農薬・無添加をスタンダードにするために

昨日、久しぶりに電話相談を受けました。

 

一時期、「食事のこと・料理のこと・子育てのことなど悩みがあればご相談ください。1時間5000円です」と打ち出してやっていたことがあったのです

 

 

それがキッカケで講座を主催してくださったり、講座に参加してくださった方もいらっしゃったり。

 

 

昨日のお相手は、その時に一度相談を受けた方だったので今回は2度目のお電話でした

 

 

 

内容は野菜について。

 

 

ペットを含むご家族に、安心な野菜を食べさせたいと思って自家菜園にチャレンジしようとされているようで、それに関連したお話でした。

 

 

花屋での勤務経験があるのに、いろんなものを枯らせてしまう私からすると尊敬に値します

 

 

 

その方とお話ししている中で、

「私も普通にスーパーで野菜を買ったりしますよ」

と話すと、

「えーー!そうなんですか?!よかった…  なんだか安心しました」

とおっしゃっていました

 

 

 

時々言われることです

 

 

 

どうも、口に入れるものはいろいろとこだわっているように見えているらしく、

 

『「野菜は絶対無農薬!」

「牛や豚も絶対無投薬!」

と決めてらっしゃるんだと思ってました』

 

と言われることがあります

 

 

 

見境いなく買うことはないけれど、取り寄せばかりしているわけでもありません

 

 

 

植物も動物も、消費者としては薬が入らない方が安心ではあるけれど、そればかりを求めて農家さんが苦しむことになってしまっては本末転倒

 

 

 

我々の命となるものをつくっている人ほど豊かになって欲しい

と思っている私としては、消費者の過度の期待で産業が潰れてしまうのは悲しいことです

 

 

ただでさえ、「お客様第一主義」みたいな、お客を変に持ち上げる風潮のある(そして無駄に威張るお客がいる)我が国 日本

 

 

企業やメーカーの努力はものすごく有り難いけれど、これ以上、お客様は神様主義が過剰になってしまうと、いつでも安定したものを提供するあまり、工場製品が増えたり、大量生産が当たり前になったり、輸入ものが増えたりしてしまわないだろうかと不安になる

 

 

 

私は、提供者も消費者・利用者も対等でいることが、さらに良い循環を生むと思っているので、無農薬野菜を必死に探し回って手に入れることはしません

 

 

あるものを有り難くいただく

これが一番ストレスなく暮らせるコツだと思っています

 

 

 

 

無農薬

とか

無添加

とか、あまりにもその言葉だけが大きくなりすぎて、影で苦しんでいる人もいるし、表示のグレーゾーンをかいくぐって本来のそれとは違うものが売られていたりする

 

 

とある食材宅配サービス会社が、

「西日本野菜」

という括りで野菜を販売していることに対し、

『さも東日本の野菜が危険みたいな謳い文句で商売をするのはいかがなものか』

との反論を見て納得したことがあった

 

 

 

たしかに、「西日本野菜」と書いてあったら安心する人はいるだろう

 

でも、「西日本と書いておけば何でも売れる」という状況をつくってしまうと産地偽装は絶えないと思う

 

 

「安心なものを食べたい!」と心底思っている人たちの気持ちを踏みにじることにもなる

 

 

誰も幸せじゃない

 

 

 

無添加』と謳っていて、たん白加水分解物や○○エキスといったものを入れたり、いろんなものをひっくるめて「香辛料」と表示するのも、やっぱり誰も幸せにはならない

 

 

きっと、つくっている人たちも

「ホントは違うんだけどなぁ…」

と思っているはずだし、そう信じたい

 

 

 

何も、西日本野菜がダメだと言ってるわけでも、たん白加水分解物や○○エキスを使うことがダメだと言ってるわけでもない

 

 

変に括ろうとするから、そうでないものが過剰に避けられる状況ができてしまう

 

作り手の思いは置き去りにして。

 

 

 

 

普通に

「美味しい野菜がありますよ」

「大切に育てられた野菜ですよ」

と言えばいいだけで、

 

たん白加水分解物とか○○エキスとかを使ってるなら『無添加』と書かなければいいだけの話

 

 

 

「いやいや、それは、たん白加水分解物も○○エキスも食品添加物じゃないからですよ」

とかいう意見は却下

 

 

本当に真っ当な商品をつくろうと思えば、本来それらは不要なものだから。

 

 

 

 

「本当に本当に、カラダに優しいものをつくるためにがんばってるんですよ!」

という生産者さんはたしかにいる

 

 

 

農薬も、無くそう無くそうとがんばってるけど、「これだけは!」との思いで使っているものもあるかもしれない

 

 

除草剤を使わない苦労や、虫を一匹ずつ排除する大変さの本当のところは私にはわからない

 

 

だから、そうやってがんばっているけど、それでも「これだけはどうしようもない」という農薬があったとしても、それは否定なんてできない

 

むしろ「ありがとうございます」と伝えたい

 

 

 

 

謳い文句だけではわからないことがあるけど、『無農薬』や『無添加』という看板の裏で苦しむ人たちを減らすためにも、あまり言い過ぎない必要はあるような気がする

 

 

無農薬と言えば言うほど、無農薬が特別なものになってしまう


無添加と言えば言うほど、無添加が特別なものになってしまう

 

 

そう思って見渡すと、真っ当なモノづくりをしている人は派手な広告も宣伝もしない

 

 

うちの近所に毎週トラックで無農薬野菜を売りに来ているおじちゃんのそのトラックには、「無農薬野菜」という文字も入ってなければ、のぼりも立っていない

 

野菜が入った袋にさえも表示されていない

 

近所のおばちゃんたちは、

「この人が持って来てくれるもんは何でも美味しいねん!」

と、おじちゃんの代わりにアレコレ勧めてくれたりする

 

 

 

商売の基本は「信用と信頼」だなぁ…とつくづく思う

 

 

 

 

 

無農薬も無添加も世の中のスタンダードにするためには、提供者が大々的に宣伝しないことが初めの一歩なのかもしれない

 

 

 

じゃあ、どうすれば安心な野菜が買えるのか?

というと…

 

 

消費者が生産者とより近くなればいいと思う

 

 

企業を通さず、農家さんから直接買うようにする

 

野菜もお肉も魚も、できるかぎり。

 

 

 

その方が、農家さんに受け取ってもらえる金額も多くなる

 

 

何よりも農家さんの応援になる

 

 

 

そして、加工品はなるべく手作りする

 

 

その方がずっとずっと安心

 

もちろん、すべてとは言わない

 

できるかぎり。

 

 

 

 

生産者さんと直接つながること

なるべく手作りすること

この2つだけで、カラダに入れるものの安全性はずいぶん保たれる

 

 

この2つを常識にしてしまえば、メディアや企業が打ち出す「無農薬」や「無添加」に踊らされることがなくなる

 

 

 

「無農薬」や「無添加」を流行りものにしてはいけない

 

 

まずは、個人の意識から。

 

 

 

 

…と思い、私のベーコンの会の名前も新しくしました

 

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自分で「無添加ベーコンの会」と打ち出してやってはいたけれど、いつの日か「無添加」に違和感があったのです

 

 

無添加」と謳っているのに、正真正銘の無添加ではないものが出回っているのを知ったから。

 

 

そういうものと一緒にして欲しくなかったから。

 

 

 

小さい頃、父がよく言ってました

 

『家でつくったものは何でも美味しい』

 

 

 

 

家でご飯をつくることが当たり前の世の中になって欲しい

 

 

そのための講座は受講しに来てもらうとして(ヤラシイやり方^^;)

 

 

 

 

まぁとにかく、

「無農薬野菜がどこでも買える世の中になって欲しい」

無添加食品が気軽に買える世の中になって欲しい」

と思うなら、

 

①農薬や食品添加物がどんなものかを知ること

②それらを使うことで何がどうなるかを知ること

③何のために使われているのかを知ること

 

まずはそこからでも始めてみて欲しい

 

 

 

そして、企業の謳い文句だけを信じることなく、自分のカラダに入れるものの入手方法は、なるべく自分で開拓すること

 

 

 

こういうことが個人の当たり前として通用する世の中になると、真っ当なものをつくろうとする人が増えると思う

 

 

 

今日は香川 高松でのベーコンの会

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食品添加物を知るきっかけづくりをしてきます

香り(匂い)とカラダの関係を浅いながらも書いてみた

私は、いろんな地方に呼ばれて講座をする機会があるのですが、だいたいは荷物が多いため、自宅から駅までとか、着いた先での駅から会場までとか、タクシーを利用することがあります

 

 

最近、タクシーを止めて乗り込むときに、タクシー内のある所を見るようにしています

 

 

エアコンの吹き出し口です

 

 

 

この、エアコンの吹き出し口に芳香剤が取り付けられていることがよくあります

 

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↑こんなの。

 

 

 

季節柄、カラダから出てくる匂いが気になる時期ということもあるのでしょうが、いつだったか、暑くなりかけた頃にタクシーを使ったとき、車内の芳香剤の匂いにやられました…

 

 

タクシーを止めてドアが開いたときは何も気づかなかったのですが、乗り込んだ瞬間に強烈な匂いがカラダを包み込みました

 

 

もうホントに乗り込んだ瞬間です

 

 

くっっっっさ!!!

 

と思わず言ってしまいそうになるほどの匂いでした

 

 

運転手さんにエアコンを止めて窓を開けてもらうようにお願いしましたが、あえなく却下

 

 

急いでいたし、大きな荷物はすでにトランクに入れていたので、「10分少々の我慢。。」と思い、そのまま乗っていました

 

 

 

降りた後もしばらくズーーーンと頭が重たく痛い

 

 

久しぶりに匂いによる頭痛を感じたので、

「匂いは脳に直接届く」

ということを実感しました

 

 

 

今では、「香害」と打つとウィキペディアでも出てくるくらいの世の中になっているのに、匂いによって頭痛がしたり、気分が悪くなったりする人がいることはまだまだ知られていないのです

 

 

それより、むしろ「もっと強く広がり残る香りを…」と望んでいる人が多いというのが現状

 

メーカーも消費者も。

 

 

 

少し前も、娘と同じ年くらいの子どもを持つお母さん同士が

「良い香りの柔軟剤を探してるのよー!」

「あ!それなら私 知ってる!今度一緒にドラッグストアに行こう!教えてあげる!」

というような会話をしていたのを聞いてゾッとしたことがありました

 

 

 

ちょっと余談ですが、香りと匂いの違いは感覚の違いで、

「良いものは香り、良くないものは匂いと言う」

と昔 弟が言っていたので、「なるほどー!」と思い、私はその基準で今でも使い分けているのですが、

 

上述したタクシーの運転手さんは、芳香剤を「良い香り」と思い、ドラッグストアに行く2人のお母さんは柔軟剤を「良い香り」と感じているわけです

 

 

が、

 

私にとってはどちらも「匂い」

 

 

つまり、「臭い」と判断しています

 

 

 

タバコの煙や排気ガスの匂いと同様

「臭い」

 

 

 

芳香剤も柔軟剤も、香りの成分として使われているのは化学物質なので、その香りを察知した時点で化学物質が体内に入っていることになります

 

 

「良い香り♡」と思った瞬間、

または

「くっっっっさ!!!」と思った瞬間、

もうすでに体内には取り込まれている

 

 

 

人間のカラダは、不必要なものは体外へ排出する解毒機能が備わっていますが、解毒するために使われているのは「栄養」です

 

 

普段から「栄養貯金!栄養貯金!」と、消化吸収しやすいカラダにするためのできうる限りの施しをしながら食べるものを選んでいても、芳香剤ムンムンのタクシーに乗れば、栄養がごっそり取られてしまう。。

 

お隣さんから柔軟剤の匂いがバコーーーン!と家の中に入ってきたら、栄養がズドーーン!と減ってしまう

 

 

 

 

蓄えておいた栄養がなくなるということは、生命維持や成長に使われるはずの栄養がなくなるということです

 

 

普段から栄養を必要としている臓器や骨や筋肉や血管や血液や粘膜やホルモンや脳や免疫などに栄養が行き渡らないということです

 

 

成長期の子どもならどうでしょう?

 

大人でさえも数日間 体調を崩してもおかしくありません

 

 

 

すれ違うだけで柔軟剤の匂いがする人がいますが、街を歩いていても柔軟剤の匂いがするということは、匂いの成分である化学物質が服に残っているということ

 

 

 

温泉に肩こりやリウマチなどの効能があるように、「現代人に便秘が多いのは、裸足で土の中に入らなくなったからだ(皮膚からの土壌箘の吸収=腸内細菌の多様性)」と言われるように、人間は皮膚からいろんなものを取り入れることができます

 

良いものも悪いものも。

 

 

 

柔軟剤の香りの成分である化学物質が皮膚から体内へ入っていっているとすれば、その解毒もまた栄養たちががんばってくれているということ

 

 

毎食 特に栄養のことを気にせず食事をしていた場合はどうなるのでしょう?

 

 

もちろん、合成香料が悪く、天然香料が良いということではありません

 

それは食品添加物も一緒。

 

 

それに、香りによってココロが癒されたり、香りによる治療法があることも否定はしませんので悪しからず。

 

 

 

 

 

私たちのカラダの機能は、正常だとそうでもないのに、異常があると狂ってきます

 

 

やたら敏感になったり、鈍感になったり…

 

 

 

嗅覚に異常が出てくるのは、だいたい亜鉛が足りていない場合に起こりやすい傾向があります

 

 

亜鉛は、味覚・嗅覚・視覚を正常化してくれる働きがあるからです

 

 

亜鉛が足りていないということは、他の栄養たち… ビタミン・ミネラル・たんぱく質ももちろん足りていません

 

 

 

 

私が乗ったタクシーの運転手さんも、柔軟剤を買いに行くお母さんたちも、もしかしたら栄養を吸収できるカラダになると、芳香剤も柔軟剤も使わなくて済むかもしれないと思います

 

 

 

 

 

というか、自分のことを「臭い!」と感じたなら、他の匂いでごまかす前に、その匂いの元を絶たないといつまでもお金と栄養の無駄な消費を続けることになります

 

 

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こういうものも 

 

 

まぁ、すべての人が自分のために使ってるとも思っていませんが。

 

 

 

 

ケミカルなものを使わないお母さんのことを「自然派ママ」と言うようですが、(私はこの言葉がどうも好きになれないけど)

 

そんなことではなく、芳香剤や柔軟剤を使わなくなるということは、他人への迷惑を減らすためだけじゃなく、むしろ、本人のカラダを守るための行為なのだということが少しでも世の中に知れ渡ると、もっともっとみんなが生きていきやすいのになぁ…と思います

 

 

『香害』という名前がなくなる日を願って書いてみました。

「お出汁ですべてを整える」という考え方

先日、娘が数日間 高熱を出したときに私がしたことのいろいろ。 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」←こんな記事を書きましたが、今日はそれの続きみたいな内容です

 

 

 

数日前、お友達のお宅の娘ちゃんが高熱が出たとSNSで見かけました

 

頭痛と熱のみ、他の症状はないとのこと。

 

 

お出汁を飲ませたり、鶏がらスープを飲ませたりしていると書いてあったので、私は

「お出汁をもっともっと飲ませて」

とコメントしていたのです

 

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私はお茶代わりに飲んでいます

 

 

 

たぶん、そのお友達(娘ちゃんのお母さん)は、なんてことない普通の日だったら娘ちゃんの様子をじっくり見ながらどっしり構えていたと思うのですが、なんとなく焦っている感じが文面から見て取れたのです

 

 

それもそのはず、娘ちゃんは数日後にお泊まり保育を控えていて、娘ちゃん本人がものすごく楽しみにしていたので「どうしても行かせてやりたい!だから早く熱が落ち着いて欲しい」と切に願っている状態

 

 

薬を飲めば一時的には下がるけど、また上がってきたりだとか、長引いてしまうというパターンもあるから、なるべくなら使いたくはない…と。

 

 

とはいえ、もちろん、薬は絶対ダメ!と言ってるのでもなく、薬に頼るしかない!と判断した場合は使う派であることは私も知っている

 

 

でも、個人的に私は、

「お出汁は万能薬!」

と、自身の経験でも断言できるほどにお出汁のパワーを信じているので、夏のお出汁の使い方をメッセージしたところ、とっても嬉しいお返事をいただいたのでシェアしておきます

 

 

********

 

なおみさん、おはようございます☀
ありがとうございますm(_ _)m


お陰様で、お出汁飲んだあとから、みるみる顔つきが変わり、快復していったように思います。
本人もはじめはお腹すいたと言うのでおかゆを作りましたが、案の定食べられず、お出汁だと身体が受け付けるのもわかったみたいです。

その後は、自分から夜中もお出汁飲みたいと要求できるようになっていました。


娘は1日半お出汁を飲んで、ひたすら寝て、先ほど元気にお泊まり保育へ出かけて行きました♪
この暑さなので体力の戻りはは少し心配ですが。
めいっぱい楽しんでくれればと思っています♡

 

お出汁の威力にびっくりです!!
楽しみで楽しみで仕方なかったお泊まり保育に行けて感謝でいっぱいです!

 

これからもたくさんの方々にお出汁のチカラ、良さ、素晴らしさ、、お伝えください〜♪


私も地道にひっそりと周りに浸透させて行ければと思います。

ありがとうございます!

 

 

********

 

 

無事にお泊まり保育に行けたようで本当にホッとしました。

 

 

 

食べものとカラダの関係に興味がない人にとっては、

「お出汁で熱が下がるわけない」

と思うかもしれません

 

 

もちろんそれだけじゃないのは十分承知

 

お出汁を飲んでるだけではどうにもできない場合だってあるのも十分承知

 

お出汁だけではなく、プラスαも必要なことも十分承知

 

 

 

でも、お出汁をひたすら飲んで快復することもあるのです

 

 

やっぱりお出汁にそれだけのチカラがあるのだと思わずにはいられない

 

 

 

カラダの補修

成長するための材料

メンタルを整えるための材料

これらがお出汁にはたっぷり入っているのだと思います

 

 

 

薬もいいでしょう

スーパーフードもいいでしょう

サプリメントもいいでしょう

 

 

 

でも、それもこれもカラダに十分な栄養が入っていないかぎり、うまくチカラを発揮しないのです

 

 

 

そのために、まず、私たちの命の源であるお出汁

 

 

四方八方を海で囲まれた私たち日本人が生み出した「お出汁」という知恵

 

 

そこに想いを馳せるからこそ、

今 ココにいる喜びも、ありがたさも感じられる

 

先人たちへの敬いにも通じ、後世への思いやりにもつながる

 

 

 

簡略化された手軽な顆粒だしがスーパーにズラリと並んでいる今だからこそ言いたい!

 

 

お出汁を見直してみませんか?

 

 

 

全国のコンビニさんに切なるお願い!熱中症対策のスポーツドリンクよりコレを販売して!!

7月中旬 

今日も私が住む地域では気温35℃の予報が出ています。

 

 

老いも若きも、「暑い」というだけで体力を奪われてしまいます

 

 

 

どんなに食生活に気をつけていても、

お出汁を夏仕様にしてガブガブ飲んだとしても、

暑いものは暑いし、本当に毎日参ります(>_<)

 

 

 

暑いと欲しくなるのは冷たいものだけれど、それを思うがまま、冷たいものばかり口にしていては秋〜冬〜春に必ず体調を崩してしまう

 

 

でも、小さな子どもは話せど話せどまだまだわからない

 

 

コンビニを見つけては

「アイス買いたい!」

「冷たいのが欲しい!」

と言う

 

 

背中も首も、汗のせいで痒いらしくて掻いてるけど、いつ汗疹ができるかヒヤヒヤする

 

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この前 琵琶湖に行ったこのときも、ほら!肩あたりを掻いてる…

 

 

そんな時、私はいつも思うのです

 

 

 

コンビニで凍らせた保冷剤が売られていたら…

と。

 

 

 

実は私、2年くらい前から毎年この時期になると思ってました

 

 

 

熱中症対策にスポーツドリンクやらOSナンチャラっていう専用の飲み物やら売ってますけど、どうも購買意欲が湧かない…

 

 

ホントの緊急時は必要なのかもしれないけれど、そうなる前に飲むものではないと思っているから。

 

 

 

熱中症って、スポーツドリンクやらOSナンチャラに入っているようなものがカラダに不足しているから起きるわけじゃないと思うのです。

 

 

砂糖とか…

ブドウ糖果糖液糖とか…

食塩とか…

 

砂糖(=ブドウ糖)も、厳しい食事制限をしている場合を除けば普通に口にしているものだし、塩だってご飯の中に入ってる

 

 

だから、それらが不足しているわけじゃないんですよね

 

 

水分補給も、水や麦茶で済ませられる

 

 

 

なので、

熱中症対策!!」

「倒れたらいけないから!」

って、カラダが急なSOSを出していないのに前もって飲む必要はないわけで。

 

 

というか、むしろ、それをするからカラダがおかしくなるんじゃない?

と思っています

 

 

そういえば、娘の幼稚園
あるクラスが近々 園外保育を予定されているようで、「熱中症対策にコレを用意しています」と熱中症対策の塩入り飴ちゃんの写真が掲載されてたなぁ………

 

 

 

 

 

なぜ熱中症になるか?

 

 

それは、

栄養不足だから

です

 

 

 

現代は、飽食でありながら栄養不足

 

 

栄養が十分足りてる人なんてどれくらいいるでしょうか?

 

 

特に、低胃酸症の人口が多い日本人…

 

「この人 栄養バッチリー!!」

な人を見つけるのは困難だと推測されます

 

 

日頃から

 「熱中症対策!!」

「倒れたらいけないから!」

と気をつけるなら、スポーツドリンクでもOSナンチャラを持ち歩くことではなく、

栄養を補給すること

と、

栄養をしっかり吸収できるカラダをつくること

この2つです!

 

詳しくは8/26に富山で開催される

『オカンのための栄養学講座』

でお話しします

 

申込はこちら→やもりなおみイベント情報&オンライン講座メニュー

 

 

 

 

普段からしっかり栄養を摂りながらやる熱中症対策として、カラダを外から冷やす必要はあると思っています

 

 

 

首や脇などを冷やすと、かなり涼しくなります

 

 

 

でも、この暑さ。。。

 

 

どんなに馬鹿デカイ保冷剤を家から持ち出したとしても、1時間もあれば溶けてしまう

 

 

赤ちゃんを抱っこしてるお母さんなんて、どれだけ暑いだろう…

 

抱っこされてる赤ちゃんもかなり暑いよね…

 

ペットボトルで凍らせた麦茶とか持ち歩きたいけど、オムツに着替えに…って、ただでさえ荷物が多いのに、それ以上 重たいものを持ちたくないもんね…

 

と、道行く親子にも目が行きます

 

 

 

そんなとき、コンビニに凍らせた保冷剤があればどんなに助かるでしょう?

 

 

カラダを冷やすためだけにアイスを買う人もいるようですが、溶けてしまったアイスの処分に困ります

 

 

保冷剤なら再利用できる

 

 

 

再利用しない人の分はゴミになるじゃないか!

と言われそうですが、ペットボトルもアイスの袋も、中身がなくなればあとはゴミです

 

 

 

最近、どのコンビニでも売られているひきたてコーヒーの、パッケージングされたアイスコーヒー用の氷入りカップを買って、コーヒーは入れずに保冷剤代わりに使ったことは何度かあります

 

溶けた氷は水として飲んで。

 

 

 

でも、娘は氷を食べたいと言ってくるので頻繁には買えず…

 

 

やっぱり

『コンビニで凍らせた保冷剤を売ってくれてたらなぁ…』

と思うのです

 

 

 

絶対売れます!!

 

間違いないです!!

 

 

今から売り始めたとしても、毎年9月下旬くらいまでは残暑で暑いから、まだ2ヶ月もある!!

 

 

全国にこんなにたくさんのコンビニがあるんだから、アイス売り場の3分の1…  いや、5分の1のスペースでいいから保冷剤を入れて欲しい!!!

 

 

 

大手製薬会社などとのオトナの事情があることは承知の上で、再度…

 

 

スポーツドリンクよりも凍らせた保冷剤を!!!

 

 

 

 

老若男女 需要はあると思ってます☆

 

 

 

コンビニ経営をされている方

もしくは、大手コンビニチェーンのお偉いさん

 

ぜひご検討を!!!!

 

 

 

あ!

ついでに、夏場でも常温の水を常備してくださるようにお願いします!!

 

常温の水を置いてくれてるコンビニは増えたけど、まだまだムラがあるから。。

 

 

ぜひぜひ!前向きなご検討をよろしくお願いいたします!!!

 

理想の世界にまた一歩近づいた日

昨日はとってもとっても嬉しいことがありました。

 

 

私が住む地域には、未就園児を対象に月に一度 自治会館(公民館みたいな場所)を解放して、子どもを遊ばせてくれる日があるのです

 

おもちゃもいろいろあって、お母さん同士の交流ができたり、地域の係りの人とのつながりができたり…

 

 

娘は生後4ヶ月の頃からちょこちょこお邪魔していました。

 

 

 

そこで出会ったお母さんから、オンライン講座のお申込をいただいたのです。

 

 

 

保育園や幼稚園でもそうだけど、子育て中のお母さんって子どもを介して出会うので、子どもの名前は知ってるけど、お母さんの名前は知らないってことがよくあります

 

 

いろいろしゃべって仲良くなったけど名前は知らないというパターン

 

 

ずいぶん仲良くなってから

「貴女のお名前は?」

と改めて聞くことも勇気がいるというか恥ずかしいというか…

 

 

名前って、聞くタイミングを逃すとずっとわからないままですもんね。

 

 

 

で、そのお母さんともそんな感じ。

しゃべるけど、お互いの名前は知らない

でも会うとしゃべる

 

 

だけど、私はまぁまぁ人見知りをするので、誰かと会うとしゃべるレベルまで達するのはあまりないのです

 

仕事のときは仕事モードになってるからある程度は平気ですが、子どもを遊ばせに行ってるときなんて完全オフモード

 

そんなときでも

「あの方、しゃべりやすいなぁ…」

と、私は彼女に一方的に好印象を持っていました。

 

 

 

 

でね、そのお母さん(仮名Aさん)

 

いつの頃からか、何がきっかけだったか、私の講座に興味を持ってくださって、このブログをさかのぼって読んでくださったらしい

 

 

「子育てに関する記事に励まされた」と。

 

 

そして数日後、私の顔写真を見てビックリ!!

だったらしいです

 

 

もう、それを聞いてこちらもビックリで。

 

 

ちょっと前にオンライン講座に関するメッセージをもらっていて、

『○○さま。初めまして』

みたいにお返事してたんですよ

 

で、昨日いただいたお返事に、娘の名前がちゃんと書いてあって、『△△(お子さんの名前)の母です』って書いてあって、

えーーーー!?!?!?

マジで?!?!?!

って。

 

 

 

実は、Aさんとは一年以上 街中でもお会いすることがなかったんです

 

同じ地域に住んでるし、きっと家も近いのだけど、お互いの子どもの預け先が違うからか、お互いの行動パターンが違うからか、行動範囲が違うからか全然お会いしてなくて。

 

 

それがほんの数週間前にたまたま同じお店に居合わせて、

「あ!!!久しぶり!!!」

って声かけて。

 

「覚えてる?!」

「覚えてるよー!!久しぶりやなー!!」

みたいな感じでしばらく話し…

 

 

その数日後に、偶然にもAさんは私の講座のことを知り、ブログを読んでくださって、なんかいろいろと共通するところもあるから親近感を抱いてくださって、数日後にプロフ写真を見てビックリ!!!

と。

 

 

おもしろいこともあるものです

 

 

いや、まぁおもしろいことだけど、私は嬉しくて嬉しくて、昨日、代休だった娘を遊ばせに行ってた施設で1人泣いていました

 

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平日だったおかげでガラガラ。遊具はほぼ貸切状態(^_^;)

 

 

 

何が嬉しいって、娘が生まれたとき、

私は何かやりたかったのです

 

何かの活動を。

 

 

 

 

まぁ、自分のブログなのでぶっちゃけると、娘が生まれたとき、ある事情で我が家は最高にお金がありませんでした

 

毎日 必死な思いで生きてました

 

 

「今日、どうやって食べていこう?」

「明日はどうやって食べていこう?」

という毎日。

 

 

 

本当は娘を預けて働きに出たいけど、実家は遠いし、義実家にも預けられない…

 

保育園や託児所に預けるお金すらありませんでした

 

 

少ない食材でもなんとかやりくりして、もう本当に毎日が必死。

 

 

でも、「私はこんなことで終わる人間じゃない!」という気持ちだけは強かったのです

 

 

きっと何かできる

何か世の中の人のためになることが、何かあるはず!!

根拠はまるでないけど、なぜかそう信じてました

 

 

まだハイハイもしない頃から娘を連れて無料のセミナーにたくさん出かけて…

 

行きたいセミナーが子どもNGだったら諦めて…

 

セミナー中に娘がぐずりそうになったら、授乳しながらメモを取って…

 

 

「そんなところに子どもを連れて行って…」

「今 子どもと向き合わなかったらどうするんだ!」

などと、幼い子を連れて勉強しに行く母親の姿を批判する声があることは知っていたけど、

 

あんたに私のなにがわかる!?

 

と心の中で思ってました

 

 

 

我が家の事情のカケラも知らない人が言ってることなんて、どれほどの想いが込められているのでしょう?

 

 

預ける先もない

でも、せめて毎日の食費くらいはなんとかしたい

でも預けられない

働けない

外に出てお金を生み出す手段がない

だったら、家に居てでもお金を生み出す手段をつくるしかない

そのために勉強しに行く

じゃないと、家族も私も食べていけない

 

 

「子どもがかわいそう」だとか

「せっかくもらった命をなんだと思ってるんだ」とか

そりゃいろいろ言うのは言えるけど、今日食べるものの調達にすら困る状況で、

果たしてどっちがかわいそうなのか?

 

『せっかくもらった命だからこそ』明日の食費のために働きたいのです

 

 

だから、他人はどう言おうと、所詮 我が家のことなんてまったく知らない人たち

 

思いを寄せることや

様々なパターンを想像することもない人たち

 

たった一瞬の状況を見て判断する人たち

 

そして、私に直接言って来ない人たち

 

 

そんな人たちの声に耳を傾けることより、私にとっては家族の明日のご飯・今日のご飯のほうが大切でした

 

 

 

私には何かあるはず!

何かできる!

ここで倒れるわけにはいかない!

私の人生、こんなもんじゃない!

 

そう思って模索している時に出会ったAさん

 

 

 

そして、私は私の居場所を見つけ、私の使命に気づき、少しでも多くの人に私の想いが届くように…との思いで活動してきて。

 

 

遠くの人に届くのも嬉しいけれど、同じ方向を向いて一緒に歩いていける人が近くにいるとさらに心強い

 

近くの人にも届いて欲しい

 

お隣さんにも、同じ町内の人にも、同じ幼稚園のママにも届いてくれたら、私が望む世界にグッと近づくはず

 

そう思いながら活動してきて。

 

 

 

この活動をする前に出会った人にようやく届いたこの感触が、たまらなく嬉しくて、奇跡のような、夢のような、

『やっと届いた!』

『あぁ…  がんばってきてよかった…』

と心底思いました

 

 

 

ここまで書いたからには本当のことを書きます

 

 

私のこの活動の最終目標は、

家族に伝わること

です

 

 

親であったり、姉弟であったり、義実家であったり、夫であったり、娘であったり…

 

 

家族に伝わることが何よりも望んでいることです

 

 

家族ほど伝えることが難しい相手はいません

 

 

特に、活動前の私を知ってる家族ほど伝わりません

 

 

 

だから、私の声で届かなくてもいいのです

 

 

「同じ会社の○○さんから聞いたけど…」

「この前テレビで言ってたけど…」

と、今 私が世の中に訴えていることが家族の口から出てきたら、私は大満足です

 

 

そのために、多くの人に伝えたいのです

 

回り回って、いつか一番近くにいる家族に届くかもしれないからです

 

 

 

 

「結局 自分の周りさえ良くなりさえすればいいんでしょ?」

という人もいるでしょう

 

ですが、自分で自分の道を歩いていくとわかります

 

 

自分の周りを整えることが1番難しいのです

 

 

 

特に『食は宗教』

 

 

何もこだわりがなさそうに見えている人でも必ず何かしらあります

 

それが『食』です

 

 

だから、私の周りが整ったころは、きっと世の中はずいぶんと変わっていることと思います

 

 

 

まだまだ道のりは長いと思いますが、Aさんの存在で、私の理想に大きく近づいた手応えがありました

 

 

 

 

だから思います

 

 

自分の想いを外に出すということにリスクばかりを感じている人は、ぜひ違う面をもっと見て欲しい

 

 

他人の意見を批判するだけじゃなく、

あなたの理想の世界を世に打ち出してみて欲しい

 

 

他人の意見に「そうだ!そうだ!」ばかり言ってないで、あなたの言葉で世の中に訴えて欲しい

 

 

必ず賛同者は現れます

 

 

明日 生きている保証なんてどこにもないのに、他人の意見ばかりに注目している時間はありません

 

自分の意見・自分の想い・自分の人生に一番の関心を持ってください

 

 

 

発信活動をするということは、大きな湖に石を投げることと同じ

 

 

波紋が生まれるのです

 

 

つくりあげたい理想の世界があるのなら、まずは小さな石から投げてみませんか?

授乳は何歳まで?ー2017.7.9現在の私の考えー

今日は、自分の反省点も踏まえて

『授乳』

に関するお話を。

 

 

 

子どもを産んだ女性にとって至福のときといえば『授乳をしているとき』

 

自分のおっぱいを一生懸命吸ってる子どもの横顔は本当に愛おしくて、力強くて、微笑ましい

 

 

母子のつながりを感じる一番の瞬間で、他の誰にでも与えられる時間ではないところがまた魅力の1つとも言える

 

 

特におっぱいトラブルなどがない場合なら、

「どんどん飲んで!」

と思ってしまう

 

 

 

 

でも、私は完母推奨派ではない

 

 

むしろ、母体の状態によっては人工乳に変えた方が良いと思っている

 

 

 

世の中はまだまだ『完母が素晴らしい!』という風潮があるようで、人工乳に抵抗を感じる女性は少なくない

 

 

人工乳に含まれている添加物の悪影響を訴える人もいる

 

 

 

まぁ、それはわかる

 

 

 

でも、だからといって、出ない母乳に悩んでいる女性たちのストレスを増大させては、誰のための完母なんだと思う

 

 

 

 

私は娘が3歳過ぎくらいまで授乳をしていた

 

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2歳4ヶ月ほどのとき。こんなことができるようになっていたのに授乳していた

 

 

「えー!?3歳って、もうちゃんとご飯食べてたでしょう?!それなのに?!」

と驚かれる方もいると思うのだけど、

 

授乳というのは、ご飯代わりに与えるのはせいぜい生後1年とか1年半までくらいなもので、それ以降は母子の絆を深めるために続けている人が多いような気がする

 

 

 

事実、私はそうだった

 

 

 

長く授乳するほど母子の絆は深くなると思っていたし、子どもの満足度や愛されてる感は強くなると思っていた

 

 

いや、そういう利点は多少はあると思う

 

 

ただ、今思うと、

「なんぼなんでも3歳は長すぎたなぁ…」

という気持ちがある

 

 

1歳から離乳食をスタートさせたことを考えても長すぎる

 

 

 

それによって母子のつながりは深くなったのだろうし、娘の満足度や愛されてる感は増したのかもしれないけれど、それは授乳でしかつくりあげられないことか?と言われると少々疑問が残る

 

 

 

当時の自分を振り返ってみると、あの時の私は授乳することに執着してた感がある

 

 

 

 

 

母乳は、子どもの成長に合わせて成分が変わるという話を聞いたことがある

 

 

寝てるだけの子が、目が見えるようになり、手足が動くようになり、カラダを動かすようになり、声を出すようになり、首が強くなって、腰が強くなって、脚が強くなって、1年も経てば立つこともできるようになる

 

 

それはつまりどういうことかというと、今までできなかったことができるようになったり、カラダや頭脳が発達するたびにカラダの中にある栄養が使われているということ。

 

 

 

ということは、子どもは時が経てば経つほど、それに見合った栄養をどんどん必要とし、消耗していくのだ

 

 

だから、新生児〜乳児〜幼児という、カラダやあらゆる機能が発達していくときは、かなりの栄養補給が必要となる

 

 

…となると、

母乳にどれほどの栄養が含まれているのだろう?

意識の疎通がとれて、スタスタ歩くような子に与える授乳は、子どもにどれくらいの栄養がプラスされているのだろう?

という疑問が湧いてくる

 

 

 

もうしっかりと食事ができている子どもへの授乳は、子どもに渡す栄養の多さより、母親が失う栄養の多さのほうが大きいような気がしてならない

 

 

母親だって月経が始まるからだ

 

 

本人にとってはある日突然 再開した気になるけれど、気づかないあいだにカラダの中では月経を再開するための準備が行われているはず

 

 

と考えると、頭の中では、その前に授乳はストップしておきたいと考える

 

理想論だけど。

 

 

 

とはいえ、月経再開までの期間にハッキリとした良し悪しはないと聞いたことがある

 

 

早いから良いとか

遅いから良いとかはないらしい

 

 

でも、なんとなく個人的には、早すぎるのも遅すぎるのもカラダを整える必要があるような気がしている。

(気がしているだけなので決定的な何かを知りたい人は自分で調べてね)

 

 

 

まぁ、いずれにせよ、

『母親にとって授乳とは栄養を失っていくこと』

という言い逃れできない一面を充分理解した上で、それでも母子のコミュニケーションとして続けたい!

と判断したのなら、それに見合うカラダケアと栄養補給をした上で続けるのはいいけれど、

 

そうでなければ、自分で食事をモリモリ食べる子どもに関してはあまり必要がなく、それよりも、妊娠〜出産〜それまでの授乳によって受けたダメージを補うための時間に当てたほうが懸命

 

 

長年授乳をしていることによって肩こりや寝不足が続いている人も少なくないから。

 

 

 

 

 

ココロとカラダは一つ

 

 

ココロの満足感だけを求めていては片手落ち

 

 

母親は家族の太陽だとするなら、どちらとも満たせていける方法を見つけることは必要なのだと思う

 

 

 

(もし、万が一 2人目ができたなら1歳半くらいで終わらせよう)