雇われず子連れ前提で仕事をしたいけどなかなか踏み込めないママたちへ、子連れで仕事をしている私から言えること。

私の周りには、雇われず自分で仕事をしていきたいと望む女性がたくさんいます。

 

 

その理由は、時間的な制限や「楽しいことをして稼ぎたい」という気持ちもあるでしょう。

 

 

しかし、一番大きな理由は、

子どもがいること。

 

 

「できれば子どもがそばにいてもできる仕事がしたい」

という声はいろんなところで耳にします。

 

 

 

そう願うママたちから見ると、私は理想の働き方なのだそうで。

 

 

 

 

 

ただ、私は最初から

「子連れでできる仕事がしたい!」と強く願っていたわけでなく、そうせざるを得なかったタイプなのでいまいちピンときません。

 

 

 

 

私がこの活動を始めた頃、娘は2歳。

 

 

まだオムツをしていました。

 

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自宅で納豆づくり教室をしていた頃

 

 

 

 

妊娠後期から活動を始めるまでの2年ちょっとの期間は本当にお金がなくて、なんとか1日100円でもお金を生み出したかった。

 

お金がないから娘を預けられない。

 

ということは、外に働きに出ることもできない。

 

 

 

当時、私に与えられた逃げられない条件は、

 

娘がいてもできる仕事

元手ゼロ円で稼ぎを生むこと

 

この2つでした。

 

 

 

 

一刻も早くお金を稼ぎたかったのだけど、何をどうすれば稼げるのかわからない。

 

自分の得意分野も、人に教えられるほどのスキルも、何もわからないままでした。

 

 

だから、乳飲み子を抱えて無料や安いセミナーを見つけては受けに行っていました。

 

 

 

 

なんとなく世の中に吐き出したいことが溜まっていたのでブログを書きはじめ、 しばらくして第一回の『お出汁の会』を企画。

 

 

 

最初は自宅が会場でした。

 

会場費はゼロでも当日使う材料などを買うお金がない。

 

当時の私は、お財布の中に500円玉が入っていようものなら、もう雄叫びをあげるくらい嬉しいことで、チラチラお財布を開けて覗いてはニマニマするほどのレベル。

 

 

そんな私がひらめいたのが、

参加費前払い制

 

 

これで私の元手はゼロで開催できる!

 

しかも、前払い制をとったことで、参加する側も迎える側も良い緊張感が生まれる。

 

 

 

もう何の心配もなく、無事に開催することができました。

 

 

 

それから間もなくして、『お出汁の会』の参加者さんからのオファーがあり、『ベーコンの会』が誕生。

 

 

 

『お出汁の会』 も『ベーコンの会』も、最初は3〜4人でのスタートでした。

 

 

それが、有り難いことにだんだんと人数が増え、玄関には靴が並べられない状態になり、15人近くの人にズラリと立ったままお話を聞いていただくのが申し訳なく、レンタル施設を使うようになったのです。

 

 

 

 

いろんな地域に出向いて講座をし、たとえ京都であってもレンタル施設を借りて講座をしている今の私しかご存知ない方は、最初から確立されたスタイルだとお思いでしょうが、まったくそんなことはありません。

 

 

 

 

一流メーカーの社長も、世に名を残した偉人も、みんな駆け出しの頃があったわけです。

 

 

最初から大きなことを成し得た人などいません。

 

 

コツコツコツコツ、小さなことを積み重ねてきた結果として後々大きな功績が残っているのです。

 

 

 

 

人は、やったことのないものにチャレンジをしようとするとき、大きな不安や恐怖を抱きます。

 

 

それは誰でも同じこと。

 

 

 

では、なぜ、チャレンジできる人とチャレンジできない人が生まれてしまうかというと、

 

本当にやりたいかどうか。

 

そこだけだと思うのです。

 

 

 

 

「なおみさんのような働き方が理想です」

「なおみさんのような働き方がしたいんです」

 

ありがたいことにそういう声はたくさん聞きます。

 

 

でも、それを本気で実現しようと何かに取り組んでいる人はほとんどいない。

 

 

「おお!ついに動き出したな!」と思える人はほとんどいない。

 

 

 

 

 

自信がないから。

 

時間がないから。

 

お金がないから。

 

実績がないから。

 

支えてくれる人がいないから。

 

 

 

すべて言い訳です。

 

 

 

私は、子育て真っ最中にお出汁の会を開きました。

今よりもずっとずっと意思の疎通がとれない頃に。

 

 

「お出汁の会をやってみよう!」と思った頃の私のお財布には、もうずいぶん長い間お札なんて入っていませんでした。

それを証拠に、自分の通帳に1000円単位のお金が振り込まれていた時はもう躍り狂うほどの嬉しさで、それを引き出して買い物に行った時の喜びは今でも忘れられません。

 

 

1回でもやれば、それが実績になる。

だからこそやるしかなかったのです。

 

 

私がお出汁の会を企画した時、夫にも誰にも相談せず、一人でアレコレ考えて開催しました。

 

 

そして、

「万が一、今 無一文になったとしても、私だったらまた別の何かでお金を生み出せるはず」

と強く思います。

それが自信です。

これまでの経験が私に大きな自信を与えてくれました。

 

 

 

 

 

だからこそ尚更、

「やりたいけどな〜」

「でも、自信ないな〜」

「お金もないしな〜」

と、いつまでも言っているだけの人を見ていると、そこまでやりたいなんて思っていないと思えてなりません。

 

 

「呑気やな〜」

というのが素直な感想。

 

 

・・・と書くと反感を買いそうですが、でも、自信がないとかお金がないとかしょーもない理由で「しない」選択をしても毎日生きていけるならそれでいいんだと思います。

 

 

それも人生。

 

 

 

私がとやかく言う立場でもないし、その人たちにできるアドバイスは何もない。

 

 

 

 

私は、とにかく私が何かでお金を稼がないと家族が今日食べるご飯が賄えなかったから。

 

家族を死なせるわけにはいかなかったから。

 

 

 

 当時は本当に辛かったです。

 

何をするにしても、どこに行くにしても「いくらかかるのか?」ってことばかり気にしなきゃいけなかった。

 

友達からランチのお誘いがきても、「先約があって…」とウソをつくしかなかった。

 

「お金がないってこんなに肩身がせまいことなのか…」としみじみ思いました。

 

 

 

それが本当にイヤだった。

 

 

何より、ロクに食べてもいないのに、授乳でどれだけの栄養を娘に渡せているのか不安で不安で…。

 

「せめてお腹いっぱい唐揚げが食べたい」

「一度でいいから口の中をお肉だけで満たしたい」

いつもいつもそう思っていました。

 

 

 

どんな結果になるかなんてわからない。

 

続けられるかもわからない。

 

1回限りで終わってしまったら、また何か別の方法を考えよう。

 

そんな思いで挑んだお出汁の会がありがたいことに好評で、今に至ります。

 

 

 

2年ほどの辛く苦しい日々があったから、今があります。

 

 

 

その切羽詰まった感・崖っぷち感がなければ、私も

 

「あ〜雇われずに働きたいな〜」

「子どもと一緒にいながらできる仕事ってないかな〜」

「何ができるかわからないけどな〜」

と、毎日毎日ネットサーフィンしながら呑気にズルズル考えていたことでしょう。

  

 

 

 

 

子連れokで会議をする企業もある時代、子連れ前提で個人で仕事をしようと思えばきっといくらでも方法はあるはずです。

 

 

本当にやりたいかどうか。

 

すべてはそこにかかっているような気がします。

 

 

 

それでもなお、

「あなたには特別な能力や、人に教えられる知識があったからできたんでしょ?」

と言う人がいるなら、これ以上つべこべ言わず、どこかに子どもを預けてとっとと雇われなさい。

 

 

そのほうが世のためです。

 

 

 

 

追伸:いつでもどこでも子どもを連れて出張している私ですが、毎回 娘に詳細を話し、一緒に行くか家に残るかは娘の判断に任せています。その上で同行していますので誤解なきよう。

 

 

 

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4/29「牛肉解体」in福岡

4月29日 やもりなおみさんの肉フェス〜牛肉解体 in 福岡(福岡県)

 

落ちているお財布を拾わず素通りする人の価値観から生まれる人生への責任とは?

ちょっといろいろ書きたいことは溜まっているのだけど、とりあえず一番タイムリーなものから書きます。

 

 

 

わたくし、本日 交番に行きました。

 

夜の19:30頃。

 

 

理由はお財布を拾ったから。

 

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これは娘のお財布

 

 

でね、拾ったときに、親として1人の人間としてちょっと考えさせられることがありました。

 

 

 

 

それを書きます。

 

 

 

 

歩いていたら、前方に幼稚園か小学校低学年くらいの女の子とお母さんが2人で歩いていました。

 

 

そしたら、小さな横断歩道の真ん中で2人とも急に足が止まったので不思議に思っていたら、なぜか道路をみてジッとしている。

 

何かあるのかな?と思いながら歩き進めていると、目線の先に何か落ちている。

 

大きさ・形からして本のようなもの。

 

 

近づくにつれてそれがお財布だとわかったのですが、その時に

「ダメダメ!怖いから触らんとき!」

というお母さんの声が聞こえてきてました。

 

 

「え?何が怖いの?」と一瞬思ったのだけど、お母さんは我が子にずっと

「怖い怖い!」とか

「そのまましとこう」とか

「誰かなんとかしてくれはるかもしれんから」とか言っている。

 

 

子どもは「え?怖いの?」「触ったらあかんもんなん?」とお母さんに聞いている。

 

「うん、触らんとき、怖いし」と言うお母さん。

 

 

 

私にはそれがとっても不思議でね。

 

不思議というか違和感。

 

 

 

 

 

いや、わかるよ。

 

 

変なことに巻き込まれたくない。

誰のものかわからんものを触りたくない。

もしかしたらどえらいものかもしれない。

とかいう、そんな恐怖心。

 

 

 

私もわかります。

 

 

 

 

でもね、明らかに落し物。

 

 

 

本当にそのまま素通りして行って、もし、中のカード類(入ってるかわからんけど)を悪用されたとしたら… とか考えると、そっちのほうがイヤじゃない?

 

「あー!あのとき私が交番に届けてたら持ち主の人は辛い経験をせずに済んだのに」
とか、思わへんの?

 

って思ったんですよ。

 

 

 

 

いや、悪用されるかどうかの保証もないし、他人がそれを知る術もないけどね。

 

 

 

けど、もし自分がそんなことになったらイヤじゃないのかな?って。

 

 

自分がお財布を落としたら

「誰か警察に届けてくれていますように…」

って必死で願ったりしないのかな?

 

 

家に帰ってバッグを見たらどこにもお財布がなくて、一瞬何が起きたかわからん状態になって、めっちゃ焦って、何からどうしたらいいかわからんようにもなって…

ってこと、思わへんのかな?

 

 

もし、めっちゃ焦って警察に届けたら「ありましたよ」って連絡が来た時の安堵感とか、ホンマに腰が抜けそうなくらいやろな…

とか、思わへんのかな?ってね。

 

 

 

 

もしかしたらね、それは同じ境遇に立った人じゃないとわからないから、そのお母さんはお財布を落としたことがないのかもしれないですよ。

 

 

それはわかりませんけどね。

 

 

 

私だったら、もう夜も眠れへんくらい不安になります。

 

 

 

カード類を全部止めたとしても、現金よりもカードよりも大切なものが入ってたりすると本当にショックなんですよね。

 

 

 

 

 

 

私ね、昔、引ったくりにあったことがあってね。

 

25歳くらいのときかな。

 

 

バッグ丸ごといかれました。

 

 

 

その時、たまたまパスポートもハンコも入れてたんです。

 

家の鍵も。

 

 

警察に行ったら、いろいろ聞かれるんですけど、

「そんなことはいいから早くカード類を止めさせてよ」

「そんなことよりパスポート紛失の連絡させてよ」

「そんなことよりマンションの大家さんに電話させてよ」

ってことばっかり考えてました。

 

 

ほぼ放心状態でしたけど、

「盗られたバッグはいくらのものでしたか?」

「手帳はいくらのものですか?」

そんな質問に答えるより、私物の諸々の手続きを一刻も早くしたかった。

 

 

 

 

けど、聴取のあとは現場検証。

 

 

 

もうそろそろ夜が明けてもおかしくないくらいの時間からヘロヘロになりながらパトカーに乗ってね。

 

 

 

咄嗟のことだからハッキリとしたことなんて朧気で記憶なんてほとんどないのに、そこでもいろいろ質問攻め。

 

 

 

 

「こんなことをしている間にカードが悪用されてたら…」

「パスポートが悪用されてたら…」

「パスポートで住所をチェックして鍵を使って家の中に入られてたら…」

 

 

そんな良からぬことがいろいろいろいろグルグルグルグルグルグルグルグル回っててね。

 

もう気が狂いそうでした。

 

 

 

引ったくられて一番悲しかったのは、手帳に挟んでいた友達の写真がなくなったこと。

 

 

 

20歳のときに交通事故で亡くなった仕事仲間でもある友達の写真でした。

 

 

亡くなる数日前に、

「私な、あんたには幸せになって欲しいって思ってるねん」

ってボソッと言ってくれた友達の写真が。

 

 

職場から2人で一緒に帰って、そのほんの1〜2時間後くらいに事故で亡くなった友達の写真が。

 

 

当時の職場では唯一の同い年で、その子のおかげで就職できたようなものなのに。

 

 

たった一枚しか持っていなかった写真がなくなりました。

 

 

 

 

だからね、引ったくった相手が猛スピードでバイクで走り去っている後ろ姿を見ながら、

「写真だけは返してー!!!」

って叫びましたよ。

 

 

 

それくらい大事なものだったんです。

 

 

 

でね、まぁ、それから何回も警察には呼ばれるし、家の鍵を変えるために余分な出費があったし、いろいろなストレスがかかりすぎて胃潰瘍にまでなったんですけど…

 

 

 

そんな経験もあるから、

「いやいやいや、お財布が落ちてたら交番に届けるのが普通やろ!」

って思ってしまったんですよね。

 

そんなことで「普通」とか「当然」とかは使ったらいけないのでしょうけど。

 

 

 

 

 

それでね、そのお母さんの言葉の何に一番の違和感を感じたかと言うと、

「触らんとき」

「そのままにしとこう」

「誰かなんとかしてくれるはず」

と、子どもに向かって言っていたこと。

 

 

その子は、このお財布の持ち主が困ってるかもしれんという想像はしなくなるんじゃないかな、と。

 

 

めっちゃ余計なお世話だし、かなり大袈裟かもしれませんけどね。

 

極端に考えすぎかもしれませんけどね。

 

 

 

 

この延長線上に、目の前に妊婦さんやお年寄りが立ってても優先席にドーーンと座って寝たふりをするような人がいるんじゃないか?とか、

 

吸殻入れが設置されてないところで平気でタバコを吸うような人がいるんじゃないか?とか。

 

本当に余計なことを考えてしまいました。

 

 

 

極端ですよ。

めっちゃ極端ですけどね。

 

でも、私はそう思いました。

 

 

 

 

 

人への思いやりって、想像力がベースにないとできないことだと思うんですよね。

 

 

「思い」を「やる」ってことだから。

 

 

 

この人、困ってそうだな。

辛そうだな。

なんか我慢しているかもしれないな。

大丈夫かな?

何か手伝えることはあるかな?

 

そういうのって想像力が働いているから思えるはずなんです。

 

 

 

でもね、
「触らんとき」
「そのままにしとこう」
「誰かがやってくれるはず」

これを親から言われたら、その子の他人への配慮とか心遣いとかどう形成されていくんでしょうか。

 

 

 

 

この一件だけですぐにどうなるものでもないのはわかっています。

 

 

ただ、その積み重ねでできあがる子どもの認識ってどうなんだろう?と。

 

 

どこまで他人に手を差し伸べられるんだろう?と。

 

 

 

 

だって、子どもの常識って誰の影響が一番大きいかって、親ですからね。

 

 

 

そりゃ、一番最初に出会う大人だし、一番長く接している大人も親ですもの。

 

 

 

 

 

できるかぎり責任を負いたくない。

 

 

この感覚が狂わすものってものすごく大きいような気がするのは私だけでしょうか?

 

 

 

そのうち自分の人生の責任も負わないようにならないかしら?

 

 

 

ま、これも断言はできないけど。

 

 

 

めんどうなことは他人任せ

 

ややこしいことも他人任せ

 

なるべく痛い目にも遭わず、傷も負わずに常に安全地帯で生きていきたい

 

 

そんな人生のどこに充実度があるのでしょう?

 

 

これからは、どんどんどんどん「個」のチカラが重要視されていく時代。

 

 

 

だからこそ、個人の人生に対する責任が問われるし、

 

だからこそ、他人からの支えによってより質の高い循環が起きてくるのだと思うのです。

 

循環を起こすのが当たり前になっている人の周りでは。

 

 

 

 

 

とまぁ、いろんなところに話が飛びすぎだと思われるかもしれませんが、親とは子への影響力が大きいからこそ、不意の一言とか気をつけないといけないな…と思った次第です。

 

 

 

なんか、ほんのちょっとしたことをスケールでかく書いたわりに締め方がショボくてすみません…

 

 

 

何かを考えるきっかけになれば幸いです。

 

 

 

 

あ、ちなに、お財布や大事なものをなくしたら、とにかく警察に届けましょう!

 

地域によって多少の差はあるかもしれませんが、同都道府県の中でなら全部の警察署や交番にすぐに情報が行き渡るそうで、その後、一週間もすれば全国の警察署・交番に情報が届くのだそうです。

 

だから「出てきましたよ」ってことにもなりやすいそうで。

 

 

ただ、それはあくまでも届けを出すことが大前提。

 

 

届けを出さないと見つかるものも見つかりません。

 

 

 

 

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2月広島講座

 

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4/29「牛肉解体」in福岡

4月29日 やもりなおみさんの肉フェス〜牛肉解体 in 福岡(福岡県)

 

 

私が子ども向けの栄養学講座をやろうと思った経緯と、現時点での計画。

昨日、Facebookでこんな投稿をしました。

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完全な思いつきです。

 

 

 

それなのに、異例なくらいの反響があってビックリしています。

 

 

まぁ、背景を赤にしてるから多少なりとも目立つとはいえ、こんな投稿がシェアまでされるとは思わず、本当にビックリです。

 

 

 

 

この思いつきに至った経緯を書きますと…

 

 

 

実は先日、2/16に娘が熱を出しました。

 

まさかの事態。

 

私は窮地に立たされました。

 

 

なぜかというと、その日は、私の講座の日だったからです。

 

 

熱を計ったら37.8度。

 

 

娘の平熱を考えたら、少し高いくらい。

 

 

その日に向けていろいろ準備はしてきたし、当日も早起きしてアレコレ支度をしていた私。

 

講座を楽しみにしてくださっている方もいる。

 

 

 

一瞬だけ…  

本当にほんの一瞬だけ、連れて行こうかと思いました。

 

 

そう思っていたら、本人が「歩くとクラクラする」と言い出し、見る見る顔も赤らんできたので、

「よし、今日はやめよう!」

と決断しました。

 

 

史上初の講座キャンセル。

 

 

 

急いで参加者さんにメールをし、Facebookでつながっている方やアカウントがわかる方にはメッセージでも連絡し…

 

 

それでも、時すでに遅し。

 

早くに家を出てらっしゃった方も、会場に着いてからメールをご覧になった方もいらっしゃって、本当にご迷惑をおかけしてしまいました。

 

この場を借りて、改めてお詫び申し上げます。

 

 

 

 

 

 

その日は必要な方との連絡だけに絞って娘の看病に専念しました。

 

 

不幸中の幸いか、講座で使おうと思っていた濃いお出汁があったので、それを使ってお出汁を引いて飲ませたり、ビタミンCを多めに飲ませたり…

 

 

 

今流行りのインフルエンザか?!

と一瞬 不安がよぎりましたが、おかげさまで熱は1日で快復。

 

インフルエンザには感染していなかったので一安心。

 

 

 

普段は元気にしゃべって動いてチャキチャキしている子どもがグッタリしていると、

「この後、何か感染症にかかるんじゃないか?」とか

「このまま数日 熱が下がらなかったらどうしよう…」などと良からぬ妄想が働いてしまうもの。

 

 

 

そんないろいろな不安もあったため、

はぁ…良かった…

と安堵したものの、ふと見ると、膝や脇を掻きだした娘。

 

 

 

それを見て、

「熱が出るとカラダの栄養たちが熱を下げるためにいっぱいいっぱい働いてくれるのよ。だから、あなたのカラダにはまだまだ栄養たちが足りてないのかもね」

とボソッと言うと、

 

「じゃあ、甘いものもみかんもジュースも飲まずにご飯をいっぱい食べなあかんな!…あ!パスタもパンもあかんな!」

と娘が言いました。

 

 

 

私が子ども向けの栄養学講座をしようと思ったのは、この時です。

 

 

 

私は以前、「子ども向けの料理教室はしない」と公言していました。

それは、家庭の料理こそ、親から子へ受け継がれていくものだと思っているからです。


でも、栄養学講座は別。

 

 

 

 

小さな子どもの頭にいろいろと詰め込むのは良くないという意見があるのは知っています。

 

 

思うがまま、自由奔放に、ハツラツと過ごすことが子どもらしいとも思います。

 

 

 

ですが、今や英会話教室やピアノ教室をはじめとする子ども向けの塾などが当たり前にある時代。

 

 

カラダのこと・栄養のことを勉強する場があってもいいのでは?と思うのです。

英語もピアノも体操も栄養がないと身につかないから、何よりも先だと思ったり…。

 

 

 

 

娘個人のことを言えば、幼稚園生活もすでに折り返し、小学校生活が近づいてきて、今まで以上にいろんな世界を知ることになるでしょう。

 

 

心配だからといつまでも親がつきまとっていては、子どもの成長にも良くありません。

 

 

子どもは子どもの頭で考え、様々な判断をし、選択していかなければいけません。

 

 

 

 

私は普段から、無人島で1人になっても堂々と生きていける人間をつくることを頭に入れて生きているし、各講座でもベースにある思いはそれです。

 

 

家族に対しても同じ。

 

 

 

 

これからどんどん1人での選択を強いられることになる子どもが、基本となる知識を持っていなければどうなることでしょう?

 

 

常に国や地域や親や兄弟が守ってくれるわけではありません。

 

 

自分のカラダは自分で守っていく必要がある。

 

 

目の前にあるものを何も考えず、ただ欲望のまま口にしたことで数分後、もしくは数日後、もしくは数年後のカラダに異変が起きて辛い思いをする。

 

あるいは、余計な医療費がかかる。

 

そこに少しの情報があれば防げたことかもしれないのに…。

 

 

 

 

 

おかげさまで、娘は栄養の大切さをほんのり理解しているようです。

 

女の子にとって血が大切なことも知っています。

 

お菓子やジュースやパンはカラダの材料にならないことも知っています。 

 

コーヒー好きな夫に「鉄がなくなるから飲まないで。男の人も鉄は大事やで」と忠告したりします。

 

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「頭でっかちな子どもはかわいくない」という声もあるでしょうが、教育は環境です。

 

 

 

娘を見ていると、子どもが理解できないことはないと思うことが多々あります。

 

 

 

 

我が家は、幸い 私が栄養の勉強をしていたからこんな娘になりました。

 

 

 

  

だからと言って、決して娘を理想的とは思いません。

 

 

 

ただ、こうして自分で考えられる子が増えてきたら、また未来は明るいのではないかと思ったのです。

 

 

 

中には、親が言っても聞かない子どももいるでしょう。

 

 

私の言葉が身内に届かないように、子どもに伝わらず悲しい思いをしているお母さんがいるかもしれないと思ったのです。

 

 

子どもが賢くなれば、子どもに隠れて甘いものを食べているお父さん・お母さんや、「孫が喜ぶから」という安易な気持ちで、まるで餌付けのようにお菓子を与え続けるおじいちゃん・おばあちゃんにも刺激になるはずです。

 

 

 

一つ勘違いして欲しくないのは、お菓子や甘いものを毛嫌いし、敵対視する子を増やすつもりはありません。

 

 

 

「食べるならどうするか?」を考えられる子を増やす。

 

自分で自分を守れる子を増やす。

 

 

この講座の目的はそこです。

 

 

 

 

 

今のところ、幼稚園児以上から小学校低学年くらいの子を対象にするつもりです。

 

 

 

対象が対象なので、退屈させない工夫も考えています。

 

 

甘さの実験

小麦粉の実験

牛乳の実験

など。

 

全部できるかわかりませんが。

 

 

 

 

 

講座が終わったあとも、講座の内容を忘れずにいられるようなツールもつくりたいと思っています。

 

 

 

そして、できれば、小学校高学年〜中学生向け、高校生向けの講座をつくりたい!

 

 

 

 

 

情報格差=経済格差=健康格差

 

今でも顕著に現れていますが、これからはますます二極化していくでしょう。

 

 

ココロもカラダも健全な女性はココロもカラダも健全な男性を選び、

ココロもカラダも健全な男性はココロもカラダも健全な女性を選ぶ。

 

そうやって少しずつ差が開いてくるのだと思われます。

 

 

 

今の子どもたちが人の親になったとき、せめて現代より自殺者の少ない世の中になっていますように。

 

せめて家族間の殺し合いが少なくなった世の中になっていますように。

 

 

 

そんな願いを込めて、実現に向けて案を練ります。

 

 

講座の告知はSNSかブログで行いますので、お楽しみに。

 

 

 

 

★★★講座のお知らせ★★★

 

▼2/20 『誰も教えてくれない、本当の離乳食の話』in京都
2/20京都離乳食セミナー

 

▼2/24 『手づくりベーコンの会』in広島
2/25『オカンのための栄養学講座』in広島
2月広島講座

 

▼3/17『誰も教えてくれない、本当の離乳食の話』in東京
誰も教えてくれない、本当の離乳食の話in東京


▼4/28「オカンのための栄養学講座」in福岡
4月28日 オカンのための栄養学講座(福岡県)

4/29「牛肉解体」in福岡

4月29日 やもりなおみさんの肉フェス〜牛肉解体 in 福岡(福岡県)

 

どう考えても離乳食に不必要だと思うもの。〜賢い子に育てたければコレを省きなさい〜

離乳食セミナーが近いからか、ネットでアレコレ見ていても離乳食関連の話が目に飛び込んできています^^;

 

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離乳食期の娘

 

 

 

で、最近思ったこと。

 

 

 

離乳食に小麦は必要ないんじゃない?

 

ってこと。

 

 

 

巷の離乳食本や自治体の指導でも、やたらうどんやお素麺を使ったメニューがあるけどね。

 

 

おやつもビスケットだったり、ホットケーキなんかもあるけどね。

 

 

絶対必要!!

ってわけではないですよね。

 

 

むしろいらない。

 

 

 

小麦ものを食べさせるのはずっとずっとずーーーーーーーーーっと後でもいい。

 

 

 

最後の晩餐とか。

 

 

それは言い過ぎかもしれないけど、それくらい後でもいいということ。

 

 

そのうち必ず小麦ものは覚えるだろうから、自分で見つけるまでは出さなくてもいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

なぜって、前回(

『噛む』行為がもたらす効果の解説〜咀嚼力低下の根源を私なりに探ってみた結果〜 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」

も書いたように、小麦ものは噛まないでしょ。

 

 

噛んでる回数をよく見ててくださいよ。

 

 

まぁ噛まないから。

 

 

 

丸呑みしているわけじゃなくても、ご飯やお肉の時よりきっと噛んでいないはず。

 

 

麺にしてもパンにしてもスルリと入っていくからね。

 

 

 

「え〜〜!でも、子どもはもっと食べたい!って催促してきますよ〜!」

って言われても、そりゃしますよ・・・って話でね。

 

 

 

だって、その頃の子どもは、親が与えたものはよほど苦いとか辛いとかなければほとんどのものは食べるでしょう。

 

 

だから「親が賢くならなきゃね!」「選べる大人になったほうがいいよ」って話であってね。

 

 

 

 

 

それに、やっぱりグルテンの影響は大きいと思うのです。

 

 

今や、「ノーパン生活」「グルテンフリーダイエット」とかいう言葉もかなり浸透してきたし、GF・CFのお店もちょこちょこ耳にするくらいですからあえてココでは触れません。

 

 

知りたい人はお調べになってください。

 

ググればすぐに出てきます。

 

 

 

 

子どもは生まれた時にお母さんの腸内細菌をもらって生まれてくるとは有名なお話。

 

 

 

けれど、どんなに素晴らしい菌をもらって出てきたとは言っても、その後の食事で台無しにする可能性だってあるわけですよね。

 

 

 

そういう視点で考えてみれば、生後半年で果汁を飲ませたり、おやつにヨーグルトとフルーツとか、お子様ランチにゼリーやプリンをつけたりとか、チャンチャラおかしいことに気づきますよね…。

 

それでも「栄養士」と言われる人が指導していたりするんですよ・・・

 

 

というのは完全な口でございまして。

 

 

 

 

とにかく、 

人は、腸内環境の良し悪しで学校の成績も仕事の出来不出来も人生のパートナー選びも決まる!

と言ってもおかしくないのに、離乳食が原因でズタボロにしてしまってはもったいないと思いませんか?

 

 

 

 

離乳食は、人が母乳(ミルク)以外のものを初めて口にする食事です。

 

その後の人生を左右する第一歩の食事です。

 

 

ものすごく大切なんですよ。

 

 

 

 

とか言うと、変に構えてしまうお母さんがいますけど、今は手っ取り早く済ませるためのアイテムもあるので、賢く使っていきましょう!!

 

 

 

2/20京都(2/20京都離乳食セミナー

3/17東京(誰も教えてくれない、本当の離乳食の話in東京

この2ヶ所で開催予定の『誰も教えてくれない、本当の離乳食の話』では、その超便利なアイテムを使って離乳食のデモンストレーションを行います。

 

 

 

私が担当するわけですから、当然、

簡単で

美味しく

栄養満点な

離乳食を作ります!!

 

お任せください( ´ ▽ ` )ノ

 

 

 

 京都でのセミナーも日は近いですが、まだお席はあります。

 

 

昆布出汁や鰹出汁が飲める施設の中で行うので、参加前にお出汁を飲んでもいいかもね♪

 

 

ご参加、お待ちしています♡

 

 

★★★講座のお知らせ★★★

 

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『噛む』行為がもたらす効果の解説〜咀嚼力低下の根源を私なりに探ってみた結果〜

賛否あることを承知の上で書きますと、私は娘に

「幼稚園には遅れてもいいから朝ごはんはちゃんと食べていくように」

と伝えています。

 

f:id:y_naomix:20180212131435j:image

 

 

時間どおりに行きたいなら、早起きしないと行けないことも伝えてはいますが、それよりも朝ごはんのほうが大切だと思っています。

 

 

時間に追われているとはいえ、早食いや途中で中断させるのはどうしても避けたいから。

 

 

 

そして、大切にしていることが、

よく噛む

ということ。

 

 

 

これは、朝ごはんに限らず、おやつのときも本当にしつこく言います。

 

 

 

先日、我が家に珍しくイチゴがあったのでおやつに出しましたが、その時もよく噛んで食べるように言いました。

 

 

 

数回噛めばスルリと飲み込んでしまうようなものでも、「しっかり噛む」ことを促しています。

 

 

 

 

5歳といえど、まだまだ消化機能は充分ではありません。

 

 

咀嚼することで胃腸機能への負担を軽減し、栄養の吸収を促進する。

 

 

意外と知られていないことのようですが、本当に大切なことです。

 

 

 

 

このブログではお馴染みの質問箱(naomi_yの質問箱です | Peing)にも

「子どもの咀嚼回数が気になる」

という内容の質問をいただいたことがあります。

 

 

その質問を見るかぎり、わたくしの「オカンのための栄養学講座」を受講してくださった方ではないかと推測しましたが、人間のカラダの仕組みを知ると、いかに「咀嚼」が大事かがわかります。

 

 

 

 

 

世間では、なんでもモリモリたくさん食べる子を良しとする風潮があって、食べない子のお母さんは悩む傾向がありますが、私は娘がモリモリ食べている時ほど注意して見ています。

 

 

そして「よ〜〜〜〜く噛んでる?」と聞くと、ハッとした顔をして、次はあーんして口の中を見せてくれます。

 

 

 

 

この“お口あーん”で咀嚼状態を見せるのは、「ちゃんと噛んでるよ」のアピールのときと、「これくらい噛めば飲み込んでいい?」の確認のときがあって、その状態によって飲み込んでもいいかどうかを伝えるようにしています。

 

 

あまりお行儀の良いことではありませんが、家の中だけでしかできないことをわかっているし、夫にはせず、私にしかしないことを考えると、5歳なりに分別つけてやっていると思っているので本人がやめるまで続けていくつもりです。

 

 

 

よく噛むことの大切さは、何も子どもだけに向けたものではなく、大人も同じくらい重要。

 

 

 

 

私は出張すると、十分にお肉が食べられない事態に陥りますが、そういう時こそよく噛んで、少量のお肉でも効率よくカラダの材料にできるようにと心がけています。

 

 

 

 

 

咀嚼力をつけるのは、消化機能促進のためだけではありません。

 

 

 

脳への刺激にもなるし、女性にとっては「小顔になる」特典もついてくる☆

 

 

 

 

あまり知られていないことですが、よく噛むことでカラダに不必要なものも解毒しやすくなります。

 

 

 

 

無添加・無農薬を選ぶのもいいけど、まずは出せるカラダにしようね!出せるカラダにすれば大丈夫!」

なんてSNSやブログで書いている人はたくさんいるけど、残念ながらそういう記事ほどそこから先が書いていない。

 

 

「じゃあ、どうすれば解毒できるカラダになるのか?」

そこが一番知りたいことなのにね…。

 

 

こぞって似たようなことを言ってる風潮・・・・・

 

 

 

 

人間に備わった基本的な機能を生かしつつ、健康になりたいなら、

 

まずは噛むことですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたくし、少し前にTwitterで以下のようなツイートをしました。

 

究極のおうちごはん研究家やもりなおみ on Twitter: "味覚とは、カラダを毒から守るためのセンサーの役割を果たします。本当にカラダに入れてもいいものかを舌で判断するのです。正しい味覚を持つことは、そのセンサーを正しく機能させることと同意です。自分のカラダを守ることは、賞味期限でも消費期限でもなく、信じられる自分の感覚を持つことです。"

f:id:y_naomix:20180212131702j:image

 

 

本来、人間が生きていく上で『味覚』はとても重要な役割を果たしています。

 

 

 

毒探知機のようなものです。

 

 

 

その役割を大きく助ける機能が『噛む』という行為です。

 

 

 

 

 

ところが、現代人はビックリするくらい噛みません。

 

 

 

私の講座では度々触れることですが、小麦製品の流通によってますます咀嚼力が低下しているような気がします。

 

 

 

うどん屋さんやラーメン屋さんに入ったら、お客さんの咀嚼回数を数えてみてください。

 

 

よく噛んでいる人で15回くらい。

ひどい人は5回ほどで飲み込んでいたりします。

 

 

 

そんな状態で、素材の味の何がわかるのでしょう?

 

おそらく、小麦の味の違いなんてわからないと思います。

 

 

 

 

 

素材の味は、ゆっくりじっくり考えながら味わうことで浮き彫りになってきます。

 

 

 

テレビで芸能人やアナウンサーがグルメリポートをしている場面を見ていても、口に入れた1秒後には

「美味しい!」

「野菜の甘みが…」

「お肉の甘みが…」

などと言っていますが、たった数秒で何がわかるというのでしょう?

 

 

 

 

 

名のある有名シェフも本当に納得した商品のCMに出演しないと、お店の格もご自分の格も下げることになりますよ・・・というのは余談としても、

 

調理過程を見ていれば「そんなに驚くほどの旨味はないはず」と思えるものでも「美味しい!美味しい!」なんて言われるとその人の味覚を疑ってしまいます。

 

 

 

 

よく噛む

 

たったこれだけの行為がカラダにもたらす効果は絶大なもの。

 

 

 

 

 

だからこそ、小さい頃から咀嚼を意識した親の接し方が必要なのです。

 

 

 

ですが、そこに目をつけているお母さんたちの少ないことにはただただ驚きです。

 

 

 

 

それもそのはず。

 

初めて子どもの食について学び始めるのが離乳食のタイミングなのに、

 

ヨダレが出てきたら食べさせてもいいですよ。

歯が生えてきたら食べさせてもいいですよ。

おすわりができたらスタートさせましょう。

食べものに手を伸ばすようになったら食べたいと思っている証拠ですよ。

 

などと言われているし、

 

 

 「うんちに人参がそのまま出てきているんですけど…」

なんて相談しようものなら、

「それは普通のことです。みんなそうですよ。」

と一様にお決まりの文句が返ってくる。

 

 

そこに疑問を持つお母さんって本当にいないんです。

 

 

 

だから、たくさん食べる子がさも『良い子』のように言われ、

 

どんどこ食べる子を持つお母さんは我が子の姿に喜び、

 

食べない子のお母さんは毎食毎食ため息をつく…。

 

 

 

「その子の消化能力」

「人間としての機能」

「生存能力」

という、一番大事で基本的な部分を考えようともしない。

 

 

 

離乳食期に身につけた『噛む』という行為が後々の人生の質を決めることなのに。

 

 

 

 

生後半年の子どもに卵かけご飯を与えていた人の話を聞いたことがありますが、生卵の心配はさておき、生後半年といえばまだまだ前歯も生えていないような月齢。

 

 

そんな時に重湯でもない“ごはん”とは・・・。

 

 

果たして、その子はどれくらい噛めていたのでしょうか。

 

 

 

 

 

まぁ、とにかく、世間で言われていることが決して正しいわけではないし、主流が真っ当でもないということです。

 

 

 

 

とは言っても、一般的に肩書きのある人の言うことは鵜呑みにするような教育をされてきたから仕方ないことではありますが。

 

 

 

 

 

でも、やっぱりその道のプロの話を聴く機会があるなら行くべきだと思うのです。

 

 

  

人間のカラダの仕組み・栄養とカラダの関係を熟知しているプロ(ふじもとひろみさんのブログはこちら→私が離乳食セミナーをお勧めする訳)に。

 

 

 

 

 

2/20 京都・3/17 東京「誰も教えてくれない、本当の離乳食の話」

 

わたくしも離乳食のデモをするために登壇します。

 

 

 

お子さんの味覚を真っ当なものにするために、まずお母さんの味覚で感じてみませんか?

 

 

2/20 13:30〜 京都『誰も教えてくれない、本当の離乳食の話』

2/20京都離乳食セミナー

 

3/17 13:30〜 東京『誰も教えてくれない、本当の離乳食の話』in東京

誰も教えてくれない、本当の離乳食の話in東京

 

 

お子さんの一生に関わる大切な機能を無駄にしないために、貴女の知識と知恵

を増やす大切な時間になりますように。

 

 

お待ちしております。

 

 

 

 

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ある日の夕食で確信した、確固たる『食』の役割とは?

食材・色合い・栄養・味・歯ごたえ ともにバランスがとれて、久しぶりに達成感を感じた夕食がつくれた日のこと。

 

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この日のメニューの半分を決めたのは娘でした。

 

 

 

 

私と娘は毎日毎食お肉のほうが嬉しい人間です。

 

でも夫は違います。

 

 

お肉が続くとしんどい人。

 

なので、2日に一回や3日に一回くらいはお魚を挟んで欲しいらしく…

 

 

 

娘との夕方のお散歩のときに、

「そろそろお父さんはお魚が食べたい頃だと思う」

と話したところ、娘が

「じゃあ、鯖にしよう!鯖の焼いたのがいい!」

と言うのでスーパーに鯖を買いに行きました。

 

 

帰宅後、急に娘が

「豚汁が食べたい!」

と言いだしたので、ありもの野菜と偶然解凍していた豚のハラミ肉で豚汁を。

 

 

 

そこに、前日あたりから下味をつけておいた鶏の手羽中を焼いたものと、長芋たんざくを添えて一汁三菜のできあがり。

 

 

 

リクエスト主の娘は、鯖を2切れ食べ、豚汁はお代わりし、普段はあまり食べない長芋もサクサク食べていました。

(こういう“おこぼれ”があるため、リクエストを聞いてつくることが私の定番です)

 

 

 

 

 

そして、私たちが寝る支度をしている頃に帰宅した夫。

 

 

そこから夫用の鯖や鶏肉を焼いて配膳をして、引き続き私たちの寝る支度をしていると、夕飯を食べている夫の横に娘が座り、何やらしゃべっているので聞き耳を立ててみました。

 

 

「この鯖、美味しいやろ?私がモミモミしてん」

「私もいっぱい食べてんで!」

「豚汁も美味しいやろ?私が食べたいって言うてん」

「お父さんのもお芋さん入ってる?私、5個も食べてん!お代わりしたからな!」

「長芋もシャキシャキやで!食べてみて!」

「な?美味しいやろ?!私もめっちゃ好き!」

 

娘の声に「ふんふん」「そうやな」「美味しいわ」と答えている夫。

 

 

 

そんな光景を少し離れた洗面所から鏡越しで見ていて、

 

 

『食』とは、自然に人との会話が生まれるものであり、

『食卓』とは、人と人とが心を交わす場であり、

『食べる』とは、作り手の心や手間ひまを自分のカラダを通して明日の活力にすることなのだ

 

と改めて感じました。

 

 

 

と同時に、作り手としてはそれらのすべてを頭の片隅・心のどこかで思い描きながら作っているはずだと。

 

 

 

少なくても私はそうです。

 

 

 

 

その夫と娘の風景を見て、

 

あぁ・・・なんて幸せな景色なんだろう・・・

 

としみじみ感じていたし、気づけば涙が出ていました。

 

 

 

なんてことない数分間のことなんですけどね(^_^;)

 

 

 

 

 

夜遅く帰宅した父が、私たちとは違うものを食べているのを知って、

「何食べてるの?」

と父のもとに寄って行っていた幼き頃の自分と娘が重なっていたのかもしれません。

 

 

母もこうして父と私たちを嬉しそうに眺めていたのかもな。

母にも幸せを感じる瞬間があってよかったな…と。

 

 

 

あの時は昭和。

 

今は平成。

 

 

そして、もし、娘が誰かの母になる時がくれば、また違う時代になっていて。

 

 

 

 

 

 

最近、「私が大人になる頃、お母さんはもう死んでるでしょ?」なんてサラリと酷なことを口にするようになった娘ですが、彼女が母になった姿を見ることは本当に叶わないかもしれません。

 

 

それは誰にもわからないことですが、でも、毎食毎食 一緒に食卓を囲んだ事実は私たちの頭やカラダの中に、音や香りや感触や味覚や情景として確実に残っている。

 

 

それを頼りに、

やってもらって嬉しかったことを再現し、

やられて悲しかった・辛かったことは排除し、

その時代その時代の「親」が自らフィルターとなり、子から孫へ、孫からひ孫へとより良き形として継承していく。

 

 

 

私の母も、祖母を思って私たちに接していたこともあるはず。

 

 

同じように、娘もいつか私を思って我が子を見る瞬間があるのかと思うと、「親」という立場はなんと誇り高き存在なんだと思わずにはいられません。

 

 

 

 

 

最近は母親を題材にした歌詞がネット上で炎上しているニュースを目にします。

 

 

 

あの歌詞を見てしんどい思いをした人、昔を思い出してほんわかした人、いろいろあるでしょう。

 

 

 

強く嫌悪感をいただいた人の気持ちも、懐かしんだ人の気持ちもどちらもわかります。

 

 

 

ただ、やはり私としては、

 

世の中のお母さんたちが、母親であることに対してもっと誇りを持てるようになるにはどうすればいいだろう?

 

それしか浮かびませんでした。

 

 

 

私が注力するのはそこしかありません。

 

 

 

 

どうすれば世の中のお母さんたちの自尊心が向上するだろう?

 

本当にそれしかない。

 

 

 

 

作詞家さんの家庭環境とかマーケティングがどうとか考えることもないし、お父さんバージョンはどうだとか、あの歌詞を飛躍することとか私には本当にどうでもよくて。

 

 

 

そんなことより、今まさに苦しんでいるお母さんたちがいるのなら、私ができることは何?

 

 

それだけです。

 

 

 

もう、できる限りギリギリのところまで講座をして発信するしかないですよね。

 

 

 

 

★号外★5年前からの私の激変を助けてくれた恩人との対談音声公開 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」

 ↑

このブログ中の対談でも話しているように、

 

『食』をもって世の中の人の自尊心を向上させること

 

これが私が望む世界なのです。

 

 

 

誰に何を言われてもそこは譲れない。

 

 

身内に反対されようが、全財産を失おうが、私が世界に訴えたいことは何も変わりません。

 

 

 

 

目の前の困っている人たちに尽くすこと。

 

 

それがたった一人でも、私は続けていきます。

 

 

 

 

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『頑張って』を使わない訓練が必要なわけ

いつの頃からか、私は、人様を応援するときに『頑張って』という言葉を意識して使わなくなりました。

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特に、漢字で『頑張って』『頑張ってね』とは、少なくても去年の夏くらいからは使っていません。

 

…って、まだ最近やん!!って話ですけど( ̄▽ ̄;)

 

 

 

でも、情報発信している端くれ中の端くれとして、普段から自分の言動が他人に与えるインパクは少なからず気にしていて、文章を書く時は「どの言葉を使うのか?」「それをどう表現するのか?」という視点は持つように努力しているつもりです。

 

 

 

講座の時もなるべく誤解がないように話すことを心がけていますが、文字は声のように温度もなく、意識しないと抑揚やテンポもなくなるし、声より数倍も強く伝わってしまう場合があるので、注意が必要だと思っています。

 

 

もちろん、その特徴を利用して書くこともありますが。

 

 

 

 

 

 

ちょっと話は逸れますが、声で伝えた時には違和感はなくても、文字で伝えると途端に違和感を持つことがあります。

 

 

それが話し言葉と書き言葉の違い、もしくは、声と文字の違いなのでしょうが、わざと崩して書く場合を除いて、ものを書くことによって世界に何かを訴えたい!と思っている人間にとっては特にこういう視点(これで完璧!「話し言葉」と「書き言葉」の違いを徹底分析! | こぶたの鉛筆 - ライターのための情報メディア)は失いたくないな…と思っているのです。

 

 

 

 

たとえば、話し言葉では、

「ご飯食べてからお風呂入ったら?」

で充分伝わりますが、これをそのまま書くとなんとなく締まりが悪く、のっぺりとした文章になってしまいます。

 

 

「ご飯を食べてからお風呂に入ったら?」

この書き方だと締まりが良くてリズムも生まれ、グンと読みやすい印象に変わるのは、『てにをは(助詞 - Wikipedia)』という、日本語特有の表現が活かされているからなのでしょう。

 

 

短い文章ならまだしも、長文になればなるほど『てにをは』の使い方や『ら』抜き・『い』抜きが目立ってしまう。

 

 

日本には方言もあるので、情報発信をしている身としては、できるかぎり自分の記事に目を通したすべての人に温度差なくスムーズに伝えたいもの。

 

伝わる人たちが限定されてしまうのはもったいない気がします。

 

 

自分の持ち味として全面に出しているなら話は別ですが。

 

 

 

 

 

 

はい、寄り道 終わり。

 

話を「頑張って」に戻します。

 

 

 

私が「頑張って」を使わなくなったのは、

頑張ってる人に「頑張って」と言うのは失礼にあたるから

という気持ちももちろんあります。

 

 

 

『頑張ってね』と伝えようとしたときに、「あ!この人いつも頑張ってるもんな」と頭によぎると、軽々しく『頑張ってね』なんて言いたくなくなります。

 

 

 

 

 

少し前にfacebookでこんな投稿をしました→やもり なおみ - ありがたいことに、「読みやすい」とか「サラッと読める」とか「説得力がある」とか「つい読み込んでしま... | Facebook

 

 

 

漢字よりひらがなのほうがずいぶんと柔らかく伝わる場合が多いので、あえてひらがなで書いたりしているのですが、この『頑張って』も同様です。

 

 

書くなら「がんばって」くらいで、「頑張って」とはもうずいぶん書いていないような気がします。

 

 

 

 

『がんばって』『頑張って』を使わないようにすると、自分の脳みそがそれに変わる他の言葉を探そうとする。

 

 

脳みそが一気に検索しだす感覚です。

 

 

 

この感覚。

私は結構好きです。

 

 

 

 

ある人を見て「ステキだな〜」と感じたとしたら、「なぜステキだと思うのか?」をその人のことを知らない人にもハッキリ伝えられるレベルまで文章化する

 

とか

 

あるものを見て不快だと感じた、その一瞬の感情を見知らぬ人にも確実に伝わるように言語化する

 

とか、時々遊びとしてやるときがあります。

 

 

 

これは私にとっては大切な訓練です。

 

 

 

この訓練が結構好きなのです。

 

 

 

地味でしょ?笑

 

 

 

 

でも、それを面倒だと思うのはとても危険な気がするのは私だけでしょうか。

 

 

言葉というものは、時代によってどんどんどんどん変化し、簡略化されていきます。

 

 

少し前に、シルバニアファミリーのことを娘が『シルバニ』と呼んでいて、

f:id:y_naomix:20180205054340j:image

「まだ5歳なのに、こんなところまで簡略化・短縮化がきているのか!!」とショックを受けたのですが、

 

私と同世代、もしくは、少し上の世代の人でも何でもかんでも『ヤバイ』の一言で済ませてしまう現代の風潮に、かなりの違和感と寂しさを感じているのも正直なところです。

 

 

 

 

 

言葉は時の流れとともに変化していくものですが、日本語の美しさや表現の豊かさは子や孫たちにも伝えていきたい大切な文化の一つです。

 

 

前回のブログ『★号外★5年前からの私の激変を助けてくれた恩人との対談音声公開 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」』でシェアした対談音声の中で、「行動範囲は思考の範囲」と言っています。

 

 

 

言葉とて然りと思うのです。

 

 

むかし昔の侍言葉を使えとまでは思いませんが、むかし昔の日本人の強い志は使う言葉にも宿っていたはず。

 

 

 

 

人の想いは、声にも文字にも顕著に現れて当然です。

 

 

 

私たちが日頃から抱く想いや感覚は、そんなに単純なものではありません。

 

100の瞬間があれば100通りの感覚があって当たり前。

 

とても繊細で絶妙なものなのです。

 

 

 

特に私は女性ですから、口から出てくる言葉も、手で綴る言葉も美しくしなやかで、かつ豊かなものでありたいと願っています。

 

 

 

形がないものほど崩れやすい。

ゆえに心を込める必要がある。

 

 

 

『頑張って』を使わないと決めてまだ日が浅いわたくしですが、人を励まし、応援する気持ちを表す言葉の選択肢をたくさん増やしていけるように、自らの語彙力を鍛えたい。

 

 

その日々が、のちに子どもたちにとって日本人としての自信や誇りの根幹になると信じています。

 

 

 

 

 

つい使ってしまう言葉を使わず、抽象的な感情をより具体化する脳みその訓練。

 

あなたもご一緒にいかがですか?

 

 

 

 

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