おもちゃで変わる、その子の未来
先日、久しぶりに娘(4歳)が近所の子育て支援施設に行きたいと言うので連れて行きました
そこは、生まれたての子どもから幼稚園児までが遊べる場所
すべり台やハシゴや、下の画像(ネットから拝借)のような木のプール
といった大きな遊具から、おままごとセットやカードゲームやお人形などの小さなおもちゃまで、あらゆる年齢・月齢の子どもたちが遊べるように揃えてあります
娘も、最初はすべり台をすべったり、揺れる木馬を楽しんだりしていたのですが、最終的に一番多くの時間を費やしたものがこちら
「カプラ」です
カプラって、まぁ言ってみればただの木の板なのですが(失礼!)
その、ただの木の板をいろんな角度・いろんな向きに組み合わせて積み上げたり並べたりしながら形をつくって遊ぶものです
「ああでもない」「こうでもない」
「次はこうしよう」「こんなこともしてみよう」
と、時にはブツブツ独り言を言いながらもかなり真剣にいろいろな形に挑戦して遊んでいました
横では、幼稚園で同じクラスの女の子がこんなにがんばっていたり…
↑
これ、わかります?
右側に伸びた手は大人の手です
クリーム色のTシャツを着た女の子のお母さんが、微妙な角度で積み上げていく難題にトライしていました
世の中には、様々なおもちゃが出回っています
メーカーはメーカーなりにいろいろと試行錯誤しながら世に出しているのでしょうが、私は個人的に、子どもが自分で想像力を働かせて遊ぶおもちゃが好きです
子どもは遊びの天才なので、どんなものを与えたとしても子どもなりに考え、感じて遊ぶのですが、その、子どもなりの考えをより引き出してくれるようなおもちゃが好きなのです
その点で言えば、カプラは素晴らしい!
まだお座りもしない子ならば、手に握っておくだけでおもちゃになるし、時にはおしゃぶりをしたとしても大きいので飲み込む心配はない
お座りができるようになれば、両手に持ってカンカンと音を鳴らして遊んだり、投げて遊ぶこともあるだろうし、
ヨチヨチ歩きする頃は、箱に入れたり出したり、または、そのカプラが入った箱を揺すって音を楽しむだろうし、
娘のように幼稚園になれば、いろんな形に積み上げたり並べたりして楽しめる
大人になれば、上の写真のお母さんのように難関にチャレンジすることもできるし、立てて並べてドミノもできる(実際 私はココへ行くと、いつも娘の横でドミノをつくってますw)
つまり、そのモノ自体の形やつくりがシンプルなものほど遊び方は無限に広がるということ。
反対に、いろんな機能や派手なつくりをしたおもちゃは、遊び方や遊べる年齢が限定されてしまい、幅広い年齢層に対応することは難しくなる
…ということは、遊ぶ期間は短くなり、不要になる時が早くきてしまう
手っ取り早く言うなら、『早く「ゴミ」になってしまう』ということです
どんどんどんどん新しいおもちゃを買い与えるのか?
大人も一緒になって長く遊べるおもちゃを与えるのか?
「モノを大切にする」という教育をすることを考えると、親の姿としてはどちらがいいのか、言うまでもないと思います
おもちゃを買うのは大人です
「買って!買って!」と子どもが主張する年になるまでに親がどんな姿を見せているのかは、子どもをみればわかります
『子どもは、言ったようには育たない。やったように育つ』
とはよく聞く言葉ですが、おもちゃ1つとて親の姿が現れるのかもしれません
もっと言うなら、おもちゃでしか遊べない子になるか、石や草木でも遊べる子になるかは、親次第ということです
子どもは遊びながらいろんなことを学んでいきます
それが本来の姿なのですが、遊ぶものや遊び方で得るものは違ってくる
想像力を掻き立てられるもので遊ぶか。
想像力を狭めるもので遊ぶか。
それは、「モノを大切に扱う」ということにもつながるのだと思います。