現代の、食事における「贅沢」とは?

世間はGW真っ只中

 

どこに行っても人で溢れかえり、身動きがとれない状況になっているところも少なくない

 

 

「せっかくの休みだからどこかへ行こう」

と思うのは人の心情かもしれないけど、結局、それで人が溢れかえっているのだから

「ゆっくり家で過ごそう」

というのもまた、人の心情だったりする

 

 

このGW、まったくのノープランな我が家は、夫は夫で普段できない好きなことをし、私は私で家のことをしたりして過ごしている

 

遠出をしたと言っても、動物園くらい

それも、交通機関は使わずに自転車移動。

がんばらなくても30分あれば到着する

 

 

小さい子を持つ親の連休中の対策としては、あまり人混みに行かないことや、長時間立ちっぱなしを避けることも必要

 

当然、動物園に行ったときは、お弁当を持って行った

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行くと、園内にあるレストランはやっぱり混んでいた模様

 

 

お天気がよかった昨日のお昼ご飯も家で済ませた

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この、あり合わせのご飯を食べながら思ったことは、

台所を任されている人間にとっての毎食の達成感はいくつかあるなぁ…ということ。

 

 

まず、

① 家族が「美味しい!」と言って食べてくれること

② 「いただきます」をする時に、使った鍋やフライパンやボウルなどがすでに洗い終えていること

③ 家族と一緒に「いただきます」をしたのに、熱いものを熱いうちに、冷たいものを冷たいうちに食べられること

④ 短時間でできたこと

⑤ 何も買い足すことなくできたこと

 

人によって多少の差はあるかもしれないけど、この5つのことはだいたい頷いてもらえるんじゃないかと思う

 

小さい子どもがいるならなおさらだ。

 

 

 

食事は楽しいことが大前提なので、たまの外食は思いっきり楽しめばいいと思うのだけど、

もし、「毎日毎日ご飯をつくってばっかりだ。。。」と、ご飯づくりにうんざりしている人がいるなら、これだけは言っておこう

 

 

『ご飯が作れるのは元気な人だけです』

 

カラダは元気でも、ココロが元気じゃなければ「ご飯をつくろう!」という気にすらならない

 

逆もまた然り。

 

 

 

そして、

『自分や家族の命をつくっていることに誇りを持って欲しい』

 

食べることは生きること

 

出どころがわかっているものだけで、明日のカラダとココロをつくる一食ができたことは、今のご時世 奇跡のようなことだと思う

 

 

食材の安全性を考えると、高級レストランでさえ信用ならない世の中になってしまった

 

そう考えると、家でつくるご飯ほど贅沢なものはないと思う

 

 

「つくろう!」と思える気持ちと、動くカラダと、たしかな食材があることへの感謝を忘れないで。