カラダに良いものを食べても健康にはなれない

昨日はこんな記事を書きました

「食」へのこだわりを押し付けていた私たち夫婦がたどり着いた先は… - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」

 

 

思った以上の反応があってビックリしたのだけど、それほどに多くの人が同じ経験・同じ思いを抱いたことがある(抱いている)という現れだろうと思います

 

 

実際、シェア先のfacebookでは、

「私もそうでした」

「タイムリーな記事でした」

というコメントをいただきました

 

 

中には、

「知ってしまったことを後悔したこともある」

という意見もありました

 

これは度々聞く言葉です

 

 

つまり、

砂糖

農薬

添加物

トランスファット

異性化糖

環境ホルモン

遺伝子組み換え作物

放射能

などなど、食とカラダの関係・食がカラダに与える影響を知ってしまったことで、

「食べるものがない」

「何を食べればいいのかわからない」

という不安やストレスが非常に大きくて耐えられなくなる状態に陥ってしまう

 

もしくは、

 

他人が選び、食べているものにも口出ししたり、「それ、食べない方がいいよ」と言ってしまったりする

 

はたまた

「○○くんが今日お菓子食べてた。カラダに悪いのにね〜!」

と子どもに言われて悩んでる

というお母さんがいたり、、、

 

 

いやぁー  わかります(^_^;)

 

 

「食べるものがない」と不安になったこともストレスになったこともないけど、

他人が食べてるものにイチイチ口出ししてた時はありましたから。

 

 

でもね、

安心安全な食べものを食べたからといって健康になれるか?

と言えば、決してそうとは言い切れないのです

 

どんな気持ちで食べるか?

ということが、消化能力に大きく影響することだってあるのですから。

 

 

「病は気から」という言葉があるように、ココロとカラダの関係は密接につながっています

 

カラダに優しいものを食べることだけが健康への近道じゃないわけです

 

 

前回のブログに書いた、我が家の暗黒時代があったから思います

「食は楽しいものであって欲しい」

 

東北の震災をきっかけに、拒食症になった友人を見たときにもまた、

「食は楽しいものであって欲しい」

と痛烈に感じました

 

 

楽しいからこそ美味しいのであり、

美味しいから嬉しいのです

 

命をつないでいけることは嬉しいことだからです

 

 

それが、ご先祖や子や孫、食材、生産者への感謝につながっていく

 

 

「あぁ…  生きててよかった…」

という瞬間が多い人は、自分にも他人にも愛を向けられる人なのだと思います

 

 

毎日毎食 家族と食卓を囲めることに、どれほどの人が「よかった…」と思えているでしょうか?

 

 

もし、1人が欠けたら食べる気さえ失くしてしまうことを考えれば、これまで流れ作業のように食事を済ませていた人もきっと立ち止まることでしょう

 

 

 

命をつなぐ「食」というものに、善悪はありません

 

そこに人の感情や見解が加わることで生まれるものが「善悪」なだけ

 

 

人がつくった「善も悪も」今まで食べてこれたから、「今」があることを忘れないでいて欲しい

 

 

たった1人のご先祖が欠けてしまっていたら、自分の「今」はないことを忘れないでいて欲しい

 

 

 

今、ここにいることは小さな奇跡たちの結晶ですからね。