その謙虚さ… 過ぎていませんか?

日本人は謝るのが得意だ

 

 

本当は謙虚ということになるのだけど、

 

謙虚さは、使い方を間違えるとどんどん自分で自分の価値を無くすことにもなる

 

 

 

ときには、

 

「申し訳ない」

 

という気持ちより

 

「有り難い」

 

という気持ちでいた方が、結局 自分も相手も心地よかったりする

 

 

 

たとえば、

 

歩いているときに自分が落としたものを誰かに拾ってもらったとき

 

大きい荷物をたくさん持っている状態で階段を上ろうとしているときに、誰かに荷物を持ってもらったとき

 

行きつけのお店で、「いつも来てもらってるから」と何かをサービスしてもらったとき

 

いつもは自分がやっている仕事を、大変そうだからと誰かに手伝ってもらったとき

 

 

など、一瞬「あぁ…申し訳ないな…」という気持ちが湧くときもあるだろう

 

 

けど、それよりも

「有り難い」

と思う気持ちが増すと、

「ありがとう」

がどんどん循環する

 

 

 

 

私は立場上、子持ちのお母さんと交流することが多い

 

 

SNSで流れてくる情報も、必然的に子持ちのお母さんからのものが多い

 

 

 

そこで目につくのが、

 

自分が体調を壊したことで、旦那さんや子どもが代わりに家事をしてくれた

申し訳ない…  ごめんね…

 

という内容

 

 

わりと多い

 

 

 

そうなる気持ちはわかる

 

 

 

でも、私は、私が体調を壊して夫がせっせと家事をやったりすることに「申し訳ない」という気持ちは起きない

 

夫本人や家族を、明日も生きていかせるために必要なことをやることは、人として普通のことだと思うから。

 

「あなたがやらなかったら、自分も家族も生きていけないよね?じゃあ、やるのは当然の流れよね?」

と思う

 

 

「普通のこと」とは思うけど、

ひたすら嬉しいし、めちゃくちゃ有り難い

 

そして、なんだかカワイイw

 

 

 

 

世の中には、奥さんが寝込んでいても

「俺のご飯は?」

とか言う、最高にスットボケな男子がいるらしいけれど、

 

それはその男子の母親の責任でもあり、奥さんの責任でもある

 

「生きる知恵」というものが完全に抜けている

 

 

 

でも、夫に対する働きかけをある程度やっておくと、妻が寝込んでいようといまいと目についた家事くらいはできる男子になる

 

 

だから、何も「申し訳ない」ことではない

 

 

むしろ、「ありがとう」だと思う

 

 

 

「ありがとう」を「有り難い」と感じたときに伝えることで、相手はもっと心地よくなる

 

たとえそれがごく自然にとった、家事という名の行動だったとしても、

「あ、こういうことで喜んでくれるんだ」

と相手は思ってくれる

 

 

すると、もっともっと「ありがとう」が欲しくなる

 

 

 

反対に、「申し訳ないな…」「ごめんね」ばかり言ってると、どんどんどんどんやらなくなる

 

「申し訳ない」の循環は重いから。

 

 

 

今 我が娘は、私が寝込んだとしても丸々一食分の食事をつくるなどはできないけれど、

 

仮にそうなったとしても、私は「申し訳ない」とは思わないと思う

 

 

 

「私ができないばっかりに…」

「周りにどんどん迷惑かけて…」

「私って何もしてあげられない…」

なんて少しも思わない

 

 

 

むしろ、「これを機にどんどん生きる知恵を習得していってくれ!」とさえ思う

 

夫であれ、娘であれ、私なしでは生きていけないスットボケにはなって欲しくないから。

 

 

 

だから、どんな状態・状況であろうが、女性はただただ女神のように見守ればいいだけ

 

 

そして、きちんと伝わるように

「ありがとう。助かったよ」

と言えばいいだけ

 

 

 

お母さんがやってることは、家族が明日を生き抜くために一番必要なこと

 

そこに誇りを持っていれば、

「申し訳ない」

より

「有り難い」

が先にくるはず

 

 

「ごめんね」

より

「ありがとう」

が大きくなるはず

 

 

家族が、あなたの明日を支えてくれてるのだから。

 

 

 

「申し訳ない」より「有り難い」が広がる世の中にしたいなぁ…