何のために「食べて」いますか?

子どもが生まれた

 

旦那さんの給料がカットされた

 

子どもを私立の小中学校に入れるから

 

親の介護が必要になった

 

 

様々な理由で家計が厳しくなる場面が出てくる

 

家族と暮らしていなくても、一人暮らしであっても同じような状況下に置かれるときがある

 

 

 

そんなとき、一番に削られる部分が食費だったりする

 

 

 

ハッキリ言う

 

それはとても悲しいことだ

 

 

 

 

先日、あるSNSでも

ご主人の部署が変わって給料が減ったから、お肉を買う量を減らそう

と宣言していた人がいた

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どうして食費が真っ先に削除対象になるのだろう?

 

 

 

 

 

どこにでも、有り余るほどの食べものがある今の日本

 

 

 

スーパーでも

コンビニでも

ドラッグストアでも

ネットでも

 

ひょいと手を伸ばすと食べものにありつける

 

 

 

いつでもどこでも満腹にすることができる

 

 

 

 

でも、満腹になることだけが「食べる」ことの意義なのだろうか?

 

 

満腹になりさえすれば、私たちは健全に生きていけるのだろうか?

 

 

 

 

 

外食をすると、いかに炭水化物が多いかを思い知らされる

 

 

特にランチ

1,000円以下でお肉や魚をしっかり食べさせてくれるお店はあまりない

 

 

 

我が家の近所のイタリアンでは、2,500円のコースでも、メインのお肉は80g前後

 

 

でも、パスタは出るし、パンも出る

 

 

 

ご飯大盛り無料のお店もあるし、

パン食べ放題のお店もある

 

一杯のラーメンやうどんや蕎麦でお肉も野菜もしっかり食べようなんぞ、お門違いな感じ

 

一杯1,000円近くするのに、入っているものの半分以上が粉ものだ

 

 

 

 

私は、炭水化物がダメだと言ってるわけじゃない

 

半分以上粉もののラーメンやうどんや蕎麦をけしからん!と言ってるわけじゃない

 

 

断糖肉食やスーパー糖質制限など、私は決してオススメしない

 

女性や子どもはもちろん、男性であっても消化能力が追いついていない人はやめたほうがいいと思っているし、

 

私もラーメン屋さん、うどん屋さん、お蕎麦屋さんに入ることもある

 

美味しくいただく。

 

 

 

 

だから、それらが悪いとかそういうことじゃなくて、、、

 

 

なぜ、現代の日本にある飲食店のほとんどが炭水化物多めになっているのか?

というと、

 

 

それは、安いから。

 

 

原価が安いからたくさん使える

 

それだけの理由なのです

 

 

 

 

お店にとって一番大切なのは、ずっと続くこと

 

ずっと経営し続けられることです

 

 

ずっと利益を出して、ずっとお客さんに来てもらうようにすることが一番の目的

 

 

 

だから、モノの値段を決めるときは、家賃や人件費という、お店を経営していくために不可欠なものが最優先となる

 

 

その不可欠なものありきで計算されていく

 

 

材料費…  原価の優先順位は残念ながら低い

 

 

 

もちろん、世にあるお店の全部がそうとは言わない

 

たしかな素材を使って私たちを満たしてくれるお店も存在する

 

でも、そんなお店は毎日通えない

 

気軽に通える人はごく少数だったりする

 

 

 

 

多くの人が毎日でも気軽に行けるお店のほとんどは、原価が安い

 

 

原価を安く抑えるためには、どうしても安く手に入るお米や小麦に頼ることになる

 

 

それは、そのお店が生き抜くための方法なので仕方がない

 

 

誰しも、そういうお店の経営者になれば同じような考えに至るだろう

 

 

 

 

でも、家庭は違う

 

 

 

家庭の最大の目的は、

家族がいつまでも健康でいられること

家族がいつも笑顔でいること

家族がいつも元気であること

ではないだろうか?

 

 

 

家族がいつでもやりたいことをやれるように

家族がいきいきと暮らせるように

家族がいさかいなく前向きに生きていけるように

 

そうすることが家庭でしかできないことだと思う

 

 

 

そのためには何が必要か?

 

 

 

私は、

たしかなものを食べること

だと思っている

 

 

 

スーパーにある素材でいい

スーパーにある調味料でいい

 

なるべく手作りのものを食卓に並べて欲しいと願う

 

 

 

 

「食べる」ということは、明日以降の自分をつくること

 

 

それは決して満腹にすることではない

 

満腹になればいいということでもない

 

 

 

カップ麺やコンビニ弁当やスーパーのお惣菜では絶対に満たされないものが手作りご飯には入っている

 

 

 

 

今は、「ご飯を作っているお母さんの姿を見たことがない」という人も、実は少なくない

 

 

「汚れるのがキライだから」と、台所を使わない人もいる

 

 

餃子も焼きそばもコロッケも、家で作れるなんて思っていない人もいる

 

 

 

 

 

英語がしゃべれるようになって欲しいからと、1〜2歳から英語塾に通わせたり、インターナショナルスクールに通わせることもいいだろう

 

 

バレエを習わせる

ピアノを習わせる

塾に通わせる

私立の学校に入れる

 

子どもが望んだことなら叶えてあげたい親の気持ちもわかる

 

 

でも、そのために食費が削られているとしたら、それは実に悲しい

 

 

 

 

「食べる」ということは、明日以降の自分をつくることです

 

 

 

 

カラダの中に栄養が満ち足りていないと、英語やバレエやピアノや数学なども覚えられないことを知って欲しい

 

 

何かを学ぶために必要な集中力も欠けてしまうことをもっと知って欲しい

 

 

すべてにおいて、ベストパフォーマンスが発揮できないことをもっと知って欲しい

 

 

 

 

食べものがなくて、空腹を満たすことが難しい時代はもう何十年も前に終わりました

 

 

誰もがいつでも満腹にできる時代

 

 

だからこそ、もう一度、

食事をする

食べものを食べる

ということを振り返って欲しい

 

 

私たちは食べなければ生きていけないことを十分に考えて欲しい

 

 

 

「食べる」ということの捉え方

 

「生きる」ということの捉え方

 

 

 

 

あなたの家庭の中での「食」の位置付けを、今一度 見直してみてください