無農薬・無添加をスタンダードにするために
昨日、久しぶりに電話相談を受けました。
一時期、「食事のこと・料理のこと・子育てのことなど悩みがあればご相談ください。1時間5000円です」と打ち出してやっていたことがあったのです
それがキッカケで講座を主催してくださったり、講座に参加してくださった方もいらっしゃったり。
昨日のお相手は、その時に一度相談を受けた方だったので今回は2度目のお電話でした
内容は野菜について。
ペットを含むご家族に、安心な野菜を食べさせたいと思って自家菜園にチャレンジしようとされているようで、それに関連したお話でした。
花屋での勤務経験があるのに、いろんなものを枯らせてしまう私からすると尊敬に値します
その方とお話ししている中で、
「私も普通にスーパーで野菜を買ったりしますよ」
と話すと、
「えーー!そうなんですか?!よかった… なんだか安心しました」
とおっしゃっていました
時々言われることです
どうも、口に入れるものはいろいろとこだわっているように見えているらしく、
『「野菜は絶対無農薬!」
「牛や豚も絶対無投薬!」
と決めてらっしゃるんだと思ってました』
と言われることがあります
見境いなく買うことはないけれど、取り寄せばかりしているわけでもありません
植物も動物も、消費者としては薬が入らない方が安心ではあるけれど、そればかりを求めて農家さんが苦しむことになってしまっては本末転倒
我々の命となるものをつくっている人ほど豊かになって欲しい
と思っている私としては、消費者の過度の期待で産業が潰れてしまうのは悲しいことです
ただでさえ、「お客様第一主義」みたいな、お客を変に持ち上げる風潮のある(そして無駄に威張るお客がいる)我が国 日本
企業やメーカーの努力はものすごく有り難いけれど、これ以上、お客様は神様主義が過剰になってしまうと、いつでも安定したものを提供するあまり、工場製品が増えたり、大量生産が当たり前になったり、輸入ものが増えたりしてしまわないだろうかと不安になる
私は、提供者も消費者・利用者も対等でいることが、さらに良い循環を生むと思っているので、無農薬野菜を必死に探し回って手に入れることはしません
あるものを有り難くいただく
これが一番ストレスなく暮らせるコツだと思っています
無農薬
とか
とか、あまりにもその言葉だけが大きくなりすぎて、影で苦しんでいる人もいるし、表示のグレーゾーンをかいくぐって本来のそれとは違うものが売られていたりする
とある食材宅配サービス会社が、
「西日本野菜」
という括りで野菜を販売していることに対し、
『さも東日本の野菜が危険みたいな謳い文句で商売をするのはいかがなものか』
との反論を見て納得したことがあった
たしかに、「西日本野菜」と書いてあったら安心する人はいるだろう
でも、「西日本と書いておけば何でも売れる」という状況をつくってしまうと産地偽装は絶えないと思う
「安心なものを食べたい!」と心底思っている人たちの気持ちを踏みにじることにもなる
誰も幸せじゃない
『無添加』と謳っていて、たん白加水分解物や○○エキスといったものを入れたり、いろんなものをひっくるめて「香辛料」と表示するのも、やっぱり誰も幸せにはならない
きっと、つくっている人たちも
「ホントは違うんだけどなぁ…」
と思っているはずだし、そう信じたい
何も、西日本野菜がダメだと言ってるわけでも、たん白加水分解物や○○エキスを使うことがダメだと言ってるわけでもない
変に括ろうとするから、そうでないものが過剰に避けられる状況ができてしまう
作り手の思いは置き去りにして。
普通に
「美味しい野菜がありますよ」
「大切に育てられた野菜ですよ」
と言えばいいだけで、
たん白加水分解物とか○○エキスとかを使ってるなら『無添加』と書かなければいいだけの話
「いやいや、それは、たん白加水分解物も○○エキスも食品添加物じゃないからですよ」
とかいう意見は却下
本当に真っ当な商品をつくろうと思えば、本来それらは不要なものだから。
「本当に本当に、カラダに優しいものをつくるためにがんばってるんですよ!」
という生産者さんはたしかにいる
農薬も、無くそう無くそうとがんばってるけど、「これだけは!」との思いで使っているものもあるかもしれない
除草剤を使わない苦労や、虫を一匹ずつ排除する大変さの本当のところは私にはわからない
だから、そうやってがんばっているけど、それでも「これだけはどうしようもない」という農薬があったとしても、それは否定なんてできない
むしろ「ありがとうございます」と伝えたい
謳い文句だけではわからないことがあるけど、『無農薬』や『無添加』という看板の裏で苦しむ人たちを減らすためにも、あまり言い過ぎない必要はあるような気がする
無農薬と言えば言うほど、無農薬が特別なものになってしまう
無添加と言えば言うほど、無添加が特別なものになってしまう
そう思って見渡すと、真っ当なモノづくりをしている人は派手な広告も宣伝もしない
うちの近所に毎週トラックで無農薬野菜を売りに来ているおじちゃんのそのトラックには、「無農薬野菜」という文字も入ってなければ、のぼりも立っていない
野菜が入った袋にさえも表示されていない
近所のおばちゃんたちは、
「この人が持って来てくれるもんは何でも美味しいねん!」
と、おじちゃんの代わりにアレコレ勧めてくれたりする
商売の基本は「信用と信頼」だなぁ…とつくづく思う
無農薬も無添加も世の中のスタンダードにするためには、提供者が大々的に宣伝しないことが初めの一歩なのかもしれない
じゃあ、どうすれば安心な野菜が買えるのか?
というと…
消費者が生産者とより近くなればいいと思う
企業を通さず、農家さんから直接買うようにする
野菜もお肉も魚も、できるかぎり。
その方が、農家さんに受け取ってもらえる金額も多くなる
何よりも農家さんの応援になる
そして、加工品はなるべく手作りする
その方がずっとずっと安心
もちろん、すべてとは言わない
できるかぎり。
生産者さんと直接つながること
なるべく手作りすること
この2つだけで、カラダに入れるものの安全性はずいぶん保たれる
この2つを常識にしてしまえば、メディアや企業が打ち出す「無農薬」や「無添加」に踊らされることがなくなる
「無農薬」や「無添加」を流行りものにしてはいけない
まずは、個人の意識から。
…と思い、私のベーコンの会の名前も新しくしました
自分で「無添加ベーコンの会」と打ち出してやってはいたけれど、いつの日か「無添加」に違和感があったのです
「無添加」と謳っているのに、正真正銘の無添加ではないものが出回っているのを知ったから。
そういうものと一緒にして欲しくなかったから。
小さい頃、父がよく言ってました
『家でつくったものは何でも美味しい』
家でご飯をつくることが当たり前の世の中になって欲しい
そのための講座は受講しに来てもらうとして(ヤラシイやり方^^;)
まぁとにかく、
「無農薬野菜がどこでも買える世の中になって欲しい」
「無添加食品が気軽に買える世の中になって欲しい」
と思うなら、
①農薬や食品添加物がどんなものかを知ること
②それらを使うことで何がどうなるかを知ること
③何のために使われているのかを知ること
まずはそこからでも始めてみて欲しい
そして、企業の謳い文句だけを信じることなく、自分のカラダに入れるものの入手方法は、なるべく自分で開拓すること
こういうことが個人の当たり前として通用する世の中になると、真っ当なものをつくろうとする人が増えると思う
今日は香川 高松でのベーコンの会
食品添加物を知るきっかけづくりをしてきます