泣くのを我慢する娘と泣きながら交わした約束

わが娘は、泣くのを我慢するときがあります。

 

家以外の場所で。

 

電車の中や公共施設の中だと特に。

 

 

周りに知らない人がいると、途端に泣くのを我慢する傾向があります。

 

家の中では思いっきり泣いているのですが、夫や私の実家でも声を殺して泣きます。

 

 

今まで「泣くな」とも「静かにしなさい」とも言ったことはなく、むしろ「泣いていいよ」と何度も言ってきたくらいです。

 

 

 

泣くのを我慢していると察したとき

気持ちが落ち着いたとき

何も起きていない平穏なとき

 

タイミングを見計らって、

「痛かったね。泣きたいよね」

「いいよ、泣いてごらん」

「お母さんがいるから大丈夫。泣いていいよ」

「そうそう!そうやって大きい声を出して泣くのよ。上手!上手!」

「さっきは大きい声で泣けたやん!お母さん嬉しかったよ〜」

「泣きたいときには泣いていいよ」

「あなたが泣いてるときの顔もお母さんは大好きよ。とっても無邪気でカワイイ!」

「悲しい気持ちは我慢なんかしなくていいから、思いっきり出していいよ」

本当にいろんな言葉を使って『泣くことの大切さ』を伝えてきました。

 

あまり言いすぎるのも本人のプレッシャーとなってはいけませんから、もちろんそれも考えて。

 

 

 

なぜ泣くのを我慢するようになったかは私にもわかりません。

 

 

もともと感受性が強い子なので、

「今は泣いてはいけない」

「泣くことは恥ずかしいこと」

「泣けば他の人がビックリする」

などと、どこかで感じて制御しているのかもしれないし、スピリチュアルなことを言えば、前世の何かを引き継いでいるのかもしれません。

 

 

 

 

 

失恋

裏切り

挫折

嫌がらせ

喜び

怒り

人は年を重ねていくごとに泣きたい場面に出くわします。

 

 

なぜか大人になればなるほど泣くことを我慢するようになってしまいます。

 

 

 

私も、思春期にトイレにこもって泣いてたことが何度もあります。

 

職場でも、トイレで泣いたことがあります。

 

結婚してからも、夫が寝ている横で声を殺して泣いたときもあります。

 

 

 

人は大人になると、もしくは、大人になる過程で、人目につかないように泣く場面が必ず出てくるのです。

 

 

 

 

そういえば、つい数日前も私は悔し涙を流しました。

 

その時も声を出して泣いたりしませんでした。

 

 

声を出して泣きたかったことなのに。

 

 

 

 

そうやって、いつの頃からか声を出さずに泣く癖がついてしまう。

 

 

美談でしょうか?

 

 

 

 

悲しい

辛い

悔しい

寂しい

こういった感情ほどしっかりと声に出したほうがいいと思うのです。

 

押さえ込んだ感情は何らかの形になって忘れた頃に現れる。

 

栄養の消化吸収にも良くありません。

 

 

 

 

そういう面もあって、娘にも押さえ込んで欲しくない。

 

 

というより、娘はまだ5歳。

 

 

まだまだずっと先に「声を殺して泣く日々」があるはず。

 

 

それを生まれてたった5年で経験させるなんて、親としてはどうしても避けたい。

 

 

いつかは人知れず泣く日があるだろうし。

 

そのとき、親の私でさえそばにいてあげられないから。

 

 

 

だから、せめて5歳の今は、人の目なんて気にせず自由奔放に生きて欲しい。

 

思いっきり動いて、思いっきり食べて、思いっきり寝て。

 

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人目をはばからず、

「痛いよ〜」

「悲しいよ〜」

「悔しいよ〜」

「つらいよ〜」

って全身で全力で泣いて欲しい。

 

 

 

 

でも。。。

 

電車の中や公共施設の中ではそれが許されない場合が多いのが現実です。

 

 

 

迷惑そうな顔で見られたり、席を立たれたり、咳払いをされたり…

 

 

もしかしたら本当は違うのだろうけど、周りの人のちょっとした動きや表情が気になるのは、現代の子育てママなら誰しも経験していることではないでしょうか。

 

 

 

そんなことを考えながらも、先日寝る前に

「電車の中とか他所の場所で泣くのを我慢するときがあるやろ?」

と話しかけてみました。

 

 

娘は頷いたので、本人が自覚してやってることなんだとわかりました。

 

 

私「お母さんはね、泣きたいときは泣いたほうがいいと思うねん。でも、あなたはあなたなりに何かを考えて泣くのを我慢しているんでしょう?」

 

娘「泣いたらみんながイヤかな?と思って」

 

私「そうか。でも、だからって泣くのを我慢せんでもいいのよ」

 

娘「わかった。次からはちゃんと泣く」

 

私「でもね、きっとあなたはあなたなりに何かを見て『泣くのはみんなが嫌がる』って思ったのかもしれんしね。その気持ちもわかるよ。だからね、お母さん、あなたがいつでも思いっきり泣ける世の中をつくるから。小さい子が泣いてても、イヤな顔なんてする人がいない世界をつくるからね。お母さんがんばるからね」

 

と娘に言うと途端に泣き出しました。

 

それを見て私も泣いて。

 

2人ともそのまま寝ました。

 

 

 

 

きっと5歳は5歳なりにいろいろ見て感じて考えて、その結果として『泣くのを我慢する』選択をしたのでしょう。

 

 

なぜそうなったのか、本当の原因はわかりませんが、今よりもっともっと人のココロを柔らかく温かくするために、私は私ができることをする。

 

 

 

近くに保育園や幼稚園ができることを反対する理由として「うるさいから」というのは、どう考えてもおかしい。

 

 

唯一 泣くことでしかコミュニケーションがとれない赤子の泣き声を聞いて、眉間にシワを寄せて見るだけの人しかいないなんて、やっぱり悲しい。

 

 

マタニティーマークを下げた女性が優先座席にさえ座れないなんて…

赤ちゃんを抱っこしたママが、周りに遠慮して座らない選択をするなんて…

ベビーカーを抱えて階段を登ってるママに誰も手を貸さない世の中なんて…

 

やっぱりどうにかしてます。

 

 

 

 

 

私は娘に「世の中を変える」と約束しました。

 

せめて、娘が誰かの母親になっている頃には、今よりもっと人のココロが柔らかく温かくなっている日本があることを信じて、これからも突き進みます。