ある日の夕食で確信した、確固たる『食』の役割とは?

食材・色合い・栄養・味・歯ごたえ ともにバランスがとれて、久しぶりに達成感を感じた夕食がつくれた日のこと。

 

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この日のメニューの半分を決めたのは娘でした。

 

 

 

 

私と娘は毎日毎食お肉のほうが嬉しい人間です。

 

でも夫は違います。

 

 

お肉が続くとしんどい人。

 

なので、2日に一回や3日に一回くらいはお魚を挟んで欲しいらしく…

 

 

 

娘との夕方のお散歩のときに、

「そろそろお父さんはお魚が食べたい頃だと思う」

と話したところ、娘が

「じゃあ、鯖にしよう!鯖の焼いたのがいい!」

と言うのでスーパーに鯖を買いに行きました。

 

 

帰宅後、急に娘が

「豚汁が食べたい!」

と言いだしたので、ありもの野菜と偶然解凍していた豚のハラミ肉で豚汁を。

 

 

 

そこに、前日あたりから下味をつけておいた鶏の手羽中を焼いたものと、長芋たんざくを添えて一汁三菜のできあがり。

 

 

 

リクエスト主の娘は、鯖を2切れ食べ、豚汁はお代わりし、普段はあまり食べない長芋もサクサク食べていました。

(こういう“おこぼれ”があるため、リクエストを聞いてつくることが私の定番です)

 

 

 

 

 

そして、私たちが寝る支度をしている頃に帰宅した夫。

 

 

そこから夫用の鯖や鶏肉を焼いて配膳をして、引き続き私たちの寝る支度をしていると、夕飯を食べている夫の横に娘が座り、何やらしゃべっているので聞き耳を立ててみました。

 

 

「この鯖、美味しいやろ?私がモミモミしてん」

「私もいっぱい食べてんで!」

「豚汁も美味しいやろ?私が食べたいって言うてん」

「お父さんのもお芋さん入ってる?私、5個も食べてん!お代わりしたからな!」

「長芋もシャキシャキやで!食べてみて!」

「な?美味しいやろ?!私もめっちゃ好き!」

 

娘の声に「ふんふん」「そうやな」「美味しいわ」と答えている夫。

 

 

 

そんな光景を少し離れた洗面所から鏡越しで見ていて、

 

 

『食』とは、自然に人との会話が生まれるものであり、

『食卓』とは、人と人とが心を交わす場であり、

『食べる』とは、作り手の心や手間ひまを自分のカラダを通して明日の活力にすることなのだ

 

と改めて感じました。

 

 

 

と同時に、作り手としてはそれらのすべてを頭の片隅・心のどこかで思い描きながら作っているはずだと。

 

 

 

少なくても私はそうです。

 

 

 

 

その夫と娘の風景を見て、

 

あぁ・・・なんて幸せな景色なんだろう・・・

 

としみじみ感じていたし、気づけば涙が出ていました。

 

 

 

なんてことない数分間のことなんですけどね(^_^;)

 

 

 

 

 

夜遅く帰宅した父が、私たちとは違うものを食べているのを知って、

「何食べてるの?」

と父のもとに寄って行っていた幼き頃の自分と娘が重なっていたのかもしれません。

 

 

母もこうして父と私たちを嬉しそうに眺めていたのかもな。

母にも幸せを感じる瞬間があってよかったな…と。

 

 

 

あの時は昭和。

 

今は平成。

 

 

そして、もし、娘が誰かの母になる時がくれば、また違う時代になっていて。

 

 

 

 

 

 

最近、「私が大人になる頃、お母さんはもう死んでるでしょ?」なんてサラリと酷なことを口にするようになった娘ですが、彼女が母になった姿を見ることは本当に叶わないかもしれません。

 

 

それは誰にもわからないことですが、でも、毎食毎食 一緒に食卓を囲んだ事実は私たちの頭やカラダの中に、音や香りや感触や味覚や情景として確実に残っている。

 

 

それを頼りに、

やってもらって嬉しかったことを再現し、

やられて悲しかった・辛かったことは排除し、

その時代その時代の「親」が自らフィルターとなり、子から孫へ、孫からひ孫へとより良き形として継承していく。

 

 

 

私の母も、祖母を思って私たちに接していたこともあるはず。

 

 

同じように、娘もいつか私を思って我が子を見る瞬間があるのかと思うと、「親」という立場はなんと誇り高き存在なんだと思わずにはいられません。

 

 

 

 

 

最近は母親を題材にした歌詞がネット上で炎上しているニュースを目にします。

 

 

 

あの歌詞を見てしんどい思いをした人、昔を思い出してほんわかした人、いろいろあるでしょう。

 

 

 

強く嫌悪感をいただいた人の気持ちも、懐かしんだ人の気持ちもどちらもわかります。

 

 

 

ただ、やはり私としては、

 

世の中のお母さんたちが、母親であることに対してもっと誇りを持てるようになるにはどうすればいいだろう?

 

それしか浮かびませんでした。

 

 

 

私が注力するのはそこしかありません。

 

 

 

 

どうすれば世の中のお母さんたちの自尊心が向上するだろう?

 

本当にそれしかない。

 

 

 

 

作詞家さんの家庭環境とかマーケティングがどうとか考えることもないし、お父さんバージョンはどうだとか、あの歌詞を飛躍することとか私には本当にどうでもよくて。

 

 

 

そんなことより、今まさに苦しんでいるお母さんたちがいるのなら、私ができることは何?

 

 

それだけです。

 

 

 

もう、できる限りギリギリのところまで講座をして発信するしかないですよね。

 

 

 

 

★号外★5年前からの私の激変を助けてくれた恩人との対談音声公開 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」

 ↑

このブログ中の対談でも話しているように、

 

『食』をもって世の中の人の自尊心を向上させること

 

これが私が望む世界なのです。

 

 

 

誰に何を言われてもそこは譲れない。

 

 

身内に反対されようが、全財産を失おうが、私が世界に訴えたいことは何も変わりません。

 

 

 

 

目の前の困っている人たちに尽くすこと。

 

 

それがたった一人でも、私は続けていきます。

 

 

 

 

★★★講座のお知らせ★★★

 

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