落ちているお財布を拾わず素通りする人の価値観から生まれる人生への責任とは?
ちょっといろいろ書きたいことは溜まっているのだけど、とりあえず一番タイムリーなものから書きます。
わたくし、本日 交番に行きました。
夜の19:30頃。
理由はお財布を拾ったから。
これは娘のお財布
でね、拾ったときに、親として1人の人間としてちょっと考えさせられることがありました。
それを書きます。
歩いていたら、前方に幼稚園か小学校低学年くらいの女の子とお母さんが2人で歩いていました。
そしたら、小さな横断歩道の真ん中で2人とも急に足が止まったので不思議に思っていたら、なぜか道路をみてジッとしている。
何かあるのかな?と思いながら歩き進めていると、目線の先に何か落ちている。
大きさ・形からして本のようなもの。
近づくにつれてそれがお財布だとわかったのですが、その時に
「ダメダメ!怖いから触らんとき!」
というお母さんの声が聞こえてきてました。
「え?何が怖いの?」と一瞬思ったのだけど、お母さんは我が子にずっと
「怖い怖い!」とか
「そのまましとこう」とか
「誰かなんとかしてくれはるかもしれんから」とか言っている。
子どもは「え?怖いの?」「触ったらあかんもんなん?」とお母さんに聞いている。
「うん、触らんとき、怖いし」と言うお母さん。
私にはそれがとっても不思議でね。
不思議というか違和感。
いや、わかるよ。
変なことに巻き込まれたくない。
誰のものかわからんものを触りたくない。
もしかしたらどえらいものかもしれない。
とかいう、そんな恐怖心。
私もわかります。
でもね、明らかに落し物。
本当にそのまま素通りして行って、もし、中のカード類(入ってるかわからんけど)を悪用されたとしたら… とか考えると、そっちのほうがイヤじゃない?
「あー!あのとき私が交番に届けてたら持ち主の人は辛い経験をせずに済んだのに」
とか、思わへんの?
って思ったんですよ。
いや、悪用されるかどうかの保証もないし、他人がそれを知る術もないけどね。
けど、もし自分がそんなことになったらイヤじゃないのかな?って。
自分がお財布を落としたら
「誰か警察に届けてくれていますように…」
って必死で願ったりしないのかな?
家に帰ってバッグを見たらどこにもお財布がなくて、一瞬何が起きたかわからん状態になって、めっちゃ焦って、何からどうしたらいいかわからんようにもなって…
ってこと、思わへんのかな?
もし、めっちゃ焦って警察に届けたら「ありましたよ」って連絡が来た時の安堵感とか、ホンマに腰が抜けそうなくらいやろな…
とか、思わへんのかな?ってね。
もしかしたらね、それは同じ境遇に立った人じゃないとわからないから、そのお母さんはお財布を落としたことがないのかもしれないですよ。
それはわかりませんけどね。
私だったら、もう夜も眠れへんくらい不安になります。
カード類を全部止めたとしても、現金よりもカードよりも大切なものが入ってたりすると本当にショックなんですよね。
私ね、昔、引ったくりにあったことがあってね。
25歳くらいのときかな。
バッグ丸ごといかれました。
その時、たまたまパスポートもハンコも入れてたんです。
家の鍵も。
警察に行ったら、いろいろ聞かれるんですけど、
「そんなことはいいから早くカード類を止めさせてよ」
「そんなことよりパスポート紛失の連絡させてよ」
「そんなことよりマンションの大家さんに電話させてよ」
ってことばっかり考えてました。
ほぼ放心状態でしたけど、
「盗られたバッグはいくらのものでしたか?」
「手帳はいくらのものですか?」
そんな質問に答えるより、私物の諸々の手続きを一刻も早くしたかった。
けど、聴取のあとは現場検証。
もうそろそろ夜が明けてもおかしくないくらいの時間からヘロヘロになりながらパトカーに乗ってね。
咄嗟のことだからハッキリとしたことなんて朧気で記憶なんてほとんどないのに、そこでもいろいろ質問攻め。
「こんなことをしている間にカードが悪用されてたら…」
「パスポートが悪用されてたら…」
「パスポートで住所をチェックして鍵を使って家の中に入られてたら…」
そんな良からぬことがいろいろいろいろグルグルグルグルグルグルグルグル回っててね。
もう気が狂いそうでした。
引ったくられて一番悲しかったのは、手帳に挟んでいた友達の写真がなくなったこと。
20歳のときに交通事故で亡くなった仕事仲間でもある友達の写真でした。
亡くなる数日前に、
「私な、あんたには幸せになって欲しいって思ってるねん」
ってボソッと言ってくれた友達の写真が。
職場から2人で一緒に帰って、そのほんの1〜2時間後くらいに事故で亡くなった友達の写真が。
当時の職場では唯一の同い年で、その子のおかげで就職できたようなものなのに。
たった一枚しか持っていなかった写真がなくなりました。
だからね、引ったくった相手が猛スピードでバイクで走り去っている後ろ姿を見ながら、
「写真だけは返してー!!!」
って叫びましたよ。
それくらい大事なものだったんです。
でね、まぁ、それから何回も警察には呼ばれるし、家の鍵を変えるために余分な出費があったし、いろいろなストレスがかかりすぎて胃潰瘍にまでなったんですけど…
そんな経験もあるから、
「いやいやいや、お財布が落ちてたら交番に届けるのが普通やろ!」
って思ってしまったんですよね。
そんなことで「普通」とか「当然」とかは使ったらいけないのでしょうけど。
それでね、そのお母さんの言葉の何に一番の違和感を感じたかと言うと、
「触らんとき」
「そのままにしとこう」
「誰かなんとかしてくれるはず」
と、子どもに向かって言っていたこと。
その子は、このお財布の持ち主が困ってるかもしれんという想像はしなくなるんじゃないかな、と。
めっちゃ余計なお世話だし、かなり大袈裟かもしれませんけどね。
極端に考えすぎかもしれませんけどね。
この延長線上に、目の前に妊婦さんやお年寄りが立ってても優先席にドーーンと座って寝たふりをするような人がいるんじゃないか?とか、
吸殻入れが設置されてないところで平気でタバコを吸うような人がいるんじゃないか?とか。
本当に余計なことを考えてしまいました。
極端ですよ。
めっちゃ極端ですけどね。
でも、私はそう思いました。
人への思いやりって、想像力がベースにないとできないことだと思うんですよね。
「思い」を「やる」ってことだから。
この人、困ってそうだな。
辛そうだな。
なんか我慢しているかもしれないな。
大丈夫かな?
何か手伝えることはあるかな?
そういうのって想像力が働いているから思えるはずなんです。
でもね、
「触らんとき」
「そのままにしとこう」
「誰かがやってくれるはず」
これを親から言われたら、その子の他人への配慮とか心遣いとかどう形成されていくんでしょうか。
この一件だけですぐにどうなるものでもないのはわかっています。
ただ、その積み重ねでできあがる子どもの認識ってどうなんだろう?と。
どこまで他人に手を差し伸べられるんだろう?と。
だって、子どもの常識って誰の影響が一番大きいかって、親ですからね。
そりゃ、一番最初に出会う大人だし、一番長く接している大人も親ですもの。
できるかぎり責任を負いたくない。
この感覚が狂わすものってものすごく大きいような気がするのは私だけでしょうか?
そのうち自分の人生の責任も負わないようにならないかしら?
ま、これも断言はできないけど。
めんどうなことは他人任せ
ややこしいことも他人任せ
なるべく痛い目にも遭わず、傷も負わずに常に安全地帯で生きていきたい
そんな人生のどこに充実度があるのでしょう?
これからは、どんどんどんどん「個」のチカラが重要視されていく時代。
だからこそ、個人の人生に対する責任が問われるし、
だからこそ、他人からの支えによってより質の高い循環が起きてくるのだと思うのです。
循環を起こすのが当たり前になっている人の周りでは。
とまぁ、いろんなところに話が飛びすぎだと思われるかもしれませんが、親とは子への影響力が大きいからこそ、不意の一言とか気をつけないといけないな…と思った次第です。
なんか、ほんのちょっとしたことをスケールでかく書いたわりに締め方がショボくてすみません…
何かを考えるきっかけになれば幸いです。
あ、ちなに、お財布や大事なものをなくしたら、とにかく警察に届けましょう!
地域によって多少の差はあるかもしれませんが、同都道府県の中でなら全部の警察署や交番にすぐに情報が行き渡るそうで、その後、一週間もすれば全国の警察署・交番に情報が届くのだそうです。
だから「出てきましたよ」ってことにもなりやすいそうで。
ただ、それはあくまでも届けを出すことが大前提。
届けを出さないと見つかるものも見つかりません。
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