手術を決断する前にやって欲しいこと~自分のカラダを自分で守る大切さ~
カラダに異変が起きてどうにもならない状態になった時、病院で診てもらうという行動に出る人は多いと思います。
もし、その結果、手術となった場合に必ずやって欲しいことがあります。
それは、
手術をすることによって起こるデメリットを把握しておくこと。
どこをどうする手術か?
なぜそれをすべきなのか?
ということは医師から話があると思います。
でも、その手術をすることによって今後の日常でどんなことが不便になるのか?
どんな支障をきたしてしまうのか?
その部分。
特定の薬を飲み続けることになりますよ
とか
定期的に通院してもらうことになりますよ
ということではなく、
手術をすることでカラダにどんなダメージが残るのか?
ということ。
大きな手術だったなら
麻痺が残るかもしれない
とか
言語障害が残るかもしれない
とかの話はあるでしょう。
そうじゃなくて、例えば、
胃を1/3切除することによる全身への影響
とか、もっといえば、
手術をするというストレスによる全身への影響
とか。
手術のストレスによる全身への影響まで話す医師はいないかもしれないけど、それなら調べて知っておいて欲しい。
決して平常心のままで挑めることじゃないから。
どんなに小さな手術でも、多少なりとも不安だろうし、怖いだろうし。
それによって眠れなくなるかもしれないし、術後も精神的なダメージがどこかに出るかもしれない。
そういうことを知っていれば、手術前に家族でできることもある。
でも、それを知らなければ、本人はどこかで無理をしたり、しんどい想いをしなくちゃいけなくなるかもしれない。
もちろん、家族も。
こんな話をするのは、私の身内が盲腸と胆嚢を取り除く手術をすることになったと、その配偶者から聞いたからです。
なんでも、盲腸を取り除く手術をする検査のときに胆嚢に石のようなものが見つかったから胆嚢も取る、と。
ひととおり話を聞いてから、私は
「先生から盲腸と胆嚢を取り除くことで術後のカラダにどんな影響があるかとか、日常で気をつけなきゃいけないことはどんなことがあるかとか聞いた?」
と聞きました。
すると、
「それは聞いてない」
と。
(以下、会話形式で書きます。配偶者は青字。)
私「聞かずに不安じゃないの?」
配「いや、別に。悪いところを取るだけやから」
私「それでも、内臓がなくなるってことはカラダにとってある程度のリスクはあると思うけど。」
配「けど、放っておいたらまた痛くなるかもしれんし」
私「まぁね。でも、盲腸も胆嚢も普段何もしてない臓器じゃないよ。それがなくなるってことは、その臓器たちが担ってた働きができなくなるってことやから、カラダには何かしらの変化やそれによって日常で注意すべきこととかあると思うけど」
配「うーん…でも、私も胆嚢は取ったからないのよ」
私「そういうことじゃなくて、私が言いたいのは、人間のカラダには不必要なモノや機能は一切ついてないはずで、みーーーんながいろーーーんなことを少しずつ分担して成り立ってるやん?だから、医者も患者もその家族も、『悪いところが見つかりました。はい、取りましょう!』だけで満足してるところが怖いっていうこと」
配「それは先生がそう言うから任せたほうがいいやん」
私「だから、医者といえど自分のカラダを他人任せにすることが怖いし、何よりも無責任なことやって言いたいねん」
配「……でも…もう決まったし」
私「そうね、もう決まったもんね。今さらどうすることもできひんもんね。でもね、人のカラダって、悪くなったからってそんなにポイポイポイポイ取っていいものとは思わへんのよ。自分のカラダやん。家族のカラダやん。医者が言うからって丸投げしてたら『誰のカラダやねん!』って思わへん?カラダが可哀想とか思わへん?そのカラダを守ってるのはだれ?」
配「…そうね」
私「盲腸と胆嚢がなくなった術後の食事はどんなものになるって?退院後はどんな食事をすればいいって言われた?」
配「そこまでは聞いてない。退院後の食事は退院するときに話があると思うから」
私「そう。(←ほとんど呆れてる)」
こんなやりとりの末、
「とにかくそういうことになったから」
と言われて、
「内臓っていう、普段は見えない部分だから取った人も取る予定の人もわりと簡単に決断してしまうのかなぁ?」
と思いながら電話を切りました。
お肉はますます食べられなくなるだろうなぁ…
これが、腕や足だったらもっと深刻に考えていたんじゃないかと。
「足が悪くなってますね、切りましょう」
「右腕が悪くなってますね、切りましょう」
って言われたら
「ちょっと待ってください!」
ってなってたんじゃないか?と思ったり。
そりゃ医師だってヒョイヒョイ軽い口調で言ったわけじゃないとは思うし、その夫婦だって本当は断腸の思いだったけど私に心配かけまいと軽い口調で話したのかもしれない。
でもやっぱり思うのは、
不調が出たら薬を飲む
悪いところが見つかれば取り除く
その時だけのことならそれでいい。
でも、それは根本的解決ではない。
ということは、もしかしたらまたきっとどこかに不調が出てくる。
そしてまた病院に行き、何らかの処置をしてもらう。
そうやって続けていった先に真の健康があるのでしょうか?
医者は不調や病気を治すためにいるのではなく、一時的に治めるためにいるだけなんだけど、今回の話のように医者任せにしている人はまだまだたくさんいます。
病気を見つけるプロは健康のプロじゃないのにね…
あれ?
なんか愚痴っぽくなってきたし、病院をdisってる感じになってきた…
いや、今日はそんなことを書きたいんじゃなくて…
とにかく、万が一のことがあって手術を余儀なくされた場合は、
術後のカラダがどう変化するのか?
どんな日常生活になるのか?
本人や家族が気をつけなければいけないことは何か?
そこまでしっかり聞いてから手術をするかどうかを決めて欲しい。(もちろん緊急性を省く)
そして、
どうしてそんなカラダになったのか?
何をどうしていれば免れたのか?
じゃあ、術後はどんな生活をすべきなのか?
今後どんな人生を歩みたいのか?
そこもよくよく考えて欲しい。
それが何かしらの手を加えなければいけなくなったカラダに対するせめてもの責任のとり方・覚悟じゃないかと思います。
不調や病気を治せるのは、カラダの持ち主しかいません。
あなたが責任を持たなくて誰が持ちますか?
私の身内夫婦の場合なんか、本当は
「こんなカラダになるまでどんな生活してたんですか?!何を食べてました?よく飲んでいたものは?」
とか聞いて欲しいくらいでした。
「そんなこと言える医者なんていないよ」って言う人もいるでしょうが、長年 医者任せにしてきた(今も続いている)この関係性に変革を起こすには、私たち利用者の意識改革も必要じゃないかと。
だから、せめて手術を決断する前に猶予があるなら、たとえ嫌がられたとしても、担当医にはしつこいくらいに聞いて欲しい。
仮に思ったとおりの情報量がえられなかったとしても、今はネットでいくらでも情報は得られます。
調べることは調べて、カラダの仕組みも勉強して、じっくりじっくり考えた上で決めて欲しい。
家族が手術をするときも同じく。
患者が高齢でも会える距離に住んでいるなら、術後のカラダがどうなるか、一緒に勉強する感覚で調べながら話をしてもいいかも。
とにかく、
自分(家族)のカラダが今どうなっていて、これからどうなっていくのか?
より健康に近づくためにはどうすればいいのか?
そこにもっともっと興味を持ってください。
ピンチはチャンス!
カラダもそうだと思います。
病院で診てもらうことが悪いということでも、
手術をすることが悪いということでもない。
大切なのは、
そこにどれだけの責任を持っているか?
ってこと。
他でもない、一生付き合っていく自分のカラダですからね。
愛情を持って大切に扱っていきたいものです。
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