愛された記憶がない人間はどうなるか。

愛された記憶。

 

 

この年になって、ようやく

自分のことを愛する大切さを

日々感じてはいるのだけど、

子どもの頃は自分のことを

愛するなんて考えたことも

なかった。

 

 

人はみな、子どもの頃は

自分のことを愛する必要性や

大切さにそれほど気づいていない。

 

 

たとえば、挨拶や言葉遣いなどの

礼儀や、お箸の持ち方・靴を揃える・

勉強をすることなどは、

結果的に自分で自分を大切にすること

につながるけど、たいていの親は

そこまでは伝えない。

 

 

 

では、人はいつ自分のことを

愛していると気づくのだろう。

 

もしくは、人はいつ自分のことが

嫌いだと気づくのだろう。

 

 

おそらく、最初は他人から

大切にしてもらっていると

気づくことから始まるんじゃないか

と思う。

 

 

私はこんなにも人から

大切にしてもらっている。

 

私はこんなにも人から愛されて

いる。

 

そう思える瞬間があればあるほど、

人は自分のことを大切にでき、

自分のことを愛せるのではないだろうか。

 

 

大切にされ方や愛され方は

人それぞれだと思うけど、

本人が大切にされてるな、

愛されてるなと思える時間が

どれだけ多いか。

 

 

 

自分が大切にされているか

愛されているかどうかは、

周りの人からの態度だったり、

言葉だったり、表情などが

判断材料になる。

 

 

他人が自分をどう扱っているかが

自分への扱い方につながる。

 

 

 

 

愛された記憶

 

少し言い替えると、

愛されたと感じた記憶

 

 

愛されたと感じた記憶があれば、

自分を必要以上に責めることはない。

 

愛されたと感じた記憶があれば、

自分の過去も今も未来も大切にできる。

 

 

 

愛されたと感じた記憶がない場合、

不思議なことに、

自分を愛してくれる人ではなく、

自分を愛してくれそうもない人に

フラフラと寄っていく傾向にある。

 

 

本当は愛して欲しいのに、

愛してくれそうもない人に愛を求める。

 

 

愛してくれそうもない人に尽くすことで、

自分への無価値感を埋めようとする。

 

 

他人の笑顔のために自分を後まわしにする。

 

 

自分がやっていることが、

自分の幸せのためなのか、

他人の幸せのためなのか、

分別がつかなくなる。

 

 

やればやるほど疲れるのに、

相手が求める誰かになろうとする。

 

 

自分のために時間を使うことが苦手になる。

 

 

自分がやりたいことも

自分の強みも

自分の良さも

自分の幸せが何なのかも

わからなくなる。

 

 

そして、最後は、

「こんなに尽くしたのに」

「こんなことまでしてあげたのに」

と相手を責める。

 

尽くしたかったのは自分なのに。

がんばりたかったのは自分なのに。

 

やがて自分のことも責める。

 

 

人を見る目がなかった。

 

こんなことになるなら、

あの日あの場所に行かなければ

よかった。

 

なんて無駄な時間を

過ごしてしまったのだろう。

と。

 

 

相手が、同性であろうと異性であろうと。

 

 

 

愛されたと感じた記憶がなければ、

心の底から自分を愛してくれる人が

現れても、その気持ちに応えられない。

 

愛された記憶がないから、

自分が愛されている状況が想像できない。 

 

自分が愛されることを異常なまでに

拒否する。

 

怖がる。

 

 

他人を信じていないし、

自分を信じていないから。

 

「私のことを愛してくれる人なんていない」

と決めつけているから。

 

本当は心底 愛されたいのに。

 

 

相手のあらゆる好意を踏みにじる。

 

自分のあらゆる可能性も否定する。

 

 

それでも、相手が根気よく辛抱強く

愛を伝え続けて、ようやく少しずつ

「自分は生きていてよかったんだ」

と思える。

 

 

 

同時に、自分への可能性も少しずつ増す。

 

 

愛された記憶がない人間が、

初めて他人からの底なしの愛を感じた時、

愛を伝え続ける必要性を痛感する。

 

 

愛された記憶がない人間は、

反面教師のように我が子に愛を伝え続ける。

 

 

 

毎日毎日ハグをして、

「愛してるよ」

「カワイイね」

「上手!上手!」

「あなたはお母さんの宝物よ」

「あなたに何があっても味方だからね」

と伝え続ける。

 

  

自分がして欲しかったことをし、

自分が言って欲しかったことを言う。

 

 

もしかしたら、

それは我が子が求めている愛の表現

ではないのかもしれない。

 

 

大人になって「ウザかった」

と言うかもしれない。

 

 

でも、我が子には愛された記憶を残したい。

 

 

自分のことを誰よりも愛して欲しいから。

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