娘たちが気づかせてくれた「愛されている前提」

子どもたちを見ていると、

愛されている前提

に時々気付かされる。

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長女は、

いつでも誰かが自分の話を

聞いてくれると思っているし、

自分が欲しいものは

必ず手に入ると思っている。

 

 

 

自分がおもしろいと思うものは

誰だっておもしろいと感じるはずで、

どんなに怒られても

自分のお願いごとは

必ず聞き入れてもらえると思って

話しかけてくる。

 

 

 

次女は、

お腹すいたー!

オムツかえてー!

眠たーい!

抱っこしてー!

あらゆる要求を

泣いて知らせてくる。

 

 

それが叶うまで泣いている。

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2人とも、相手の様子を伺って

躊躇したり、

要求をとりやめたりしない。

 

 

 

むしろ反対で、

「え?今ですか?!」

ってタイミングで、

あれして欲しい

これして欲しい

と言ってくる。

 

 

 

 

そんな姿に、

自分の要求や望みが

叶わないなんてことは

きっと微塵も感じていないんだな

と、いつも思う。

 

 

 

ということは、

2人にとってこの世界は

自分の思うがままで、

自分の願いは必ず実現するし、

欲しいものや状況は

誰かが必ず叶えてくれる

と思ってるんだろうな、と。

 

 

 

どんだけの自己肯定感だよ、と。

 

 

 

 

 

そんなことを感じていたら、

時々 次女の写真や動画を

facebookに投稿している私に、

ある方が、

 

オムツのサイズを明記したり、

次女ちゃんの必要なものを

Amazonの欲しいものリストに入れて

そのリンクをシェアすればいいよ

 

と、

それくらい

赤子に何かしてあげたいとか

ちょっとでもお世話ができたらとか

思っている人は必ずいるから、

アピールしてごらん

という意味でおっしゃってくださり、

 

もしそれで届いたら

めちゃくちゃ嬉しいな!

と、さっそくやってみたら

翌日からプレゼントが

届きはじめました。


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オムツは送り主名なし。

めちゃくちゃ使うので、ものすごく助かります!

この場を借りて…

どなたかわかりませんが、本当にありがとうございます。

 

 

実は、Amazonの欲しいものリストは

次女が誕生したときに

ギフト券のみ入れて公開していて、

その時もたくさんいただきました。

 

 

 

だから、2度目はちょっと…

と気が引けるところもあったけど、

そうやって背中を押してくれる方がいて

実際やってみるとプレゼントが届く。

 

 

 

 

さらに、次女より

2ヶ月早く女の子を生んだお友達から

ちょうどサイズアウトした服が

あるから送ろうか

との声をかけてもらい、

お下がりも届いて。

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欲しいものリストから届く

ギフト券もプレゼントも

お友達からのお下がりも、

こんなにも私の育児を

助けてくれる人がいる

という証明そのもの。

 

 

 

核家族化が進んで、

ご近所付き合いも希薄になり、

人と人が横のつながりをなくし、

子育ては親だけがするもの

と思われている風潮があって、

地域や社会全体で育児をする

という概念がどうも具体化できない。

 

 

 

そんなご時世なのに

こんなにも私を応援してくれる人がいる。

うわ〜!なんて幸せだろう!

と浸っていたら、

実家の母から電話が。

 

 

 

 

電話の目的は、

美味しい鶏ハムのつくりかた

だったのだけど

その本題に入る前に、

数日前に弟のLINEに送っておいた

次女の動画を見たよ

と話してくれました。

 

 

 

まぁ〜  丸々としてて

立派に育ってるね〜!

と、ワントーン高い声で

とても嬉しそうに話す母の声を聞いて、

 

あぁ…  母は本当は

この子の誕生を喜んでくれていたのか

と思って涙が出てきました。

 

 

 

 

小さい頃から異端児で

あんたが一番 手がかかった

と言われ、

親が唯一手を上げた子です。

 

 

 

両親が望んでいなかった離婚をし、

次女の妊娠を報告した時も

あまり良い言葉は聞いてないから、

私の中ではいつの間にか

両親は次女の誕生を

喜んでいないものだ

とインプットしていたのです。

 

 

 

でも、あの電話の声で

そうじゃなかったと察し、

心底 安堵の気持ちが湧いてきました。

 

 

 

そしてさらに

この子を生んで本当によかった

と思い、

無事に生まれてきてくれた

次女への感謝もより深くなり…

 

私はなんて愛されているのだろう

と。

 

 

 

 

私も、かつては今の娘たちみたいに

愛されている前提があったはず。

 

 

 

空腹も睡眠も泣いて知らせ、

自分が愛されていないなんて

思いもしなかった時があって。

 

 

 

私はいつから

愛されていない前提

をつくってしまったのだろう。

 

 

 

 

昔から自分に対する不安は

持たずに生きてきたけど、

他者から愛されているか?

という問いには答えづらかった。

 

 

 

でも今は、

愛されていないなんて、

勝手な思い込みも

たくさん入っているのかもしれない

と思えるようになった。

 

 

 

 

おねだりって

愛されている前提がないとできない。

 

 

 

勇気がいる。

 

 

 

だから

できない人も多い。

 

 

 

でも、恐る恐るでも

やってみると意外に叶う。

 

 

 

受け入れてもらえる。

 

 

 

 

叶えてくれる人におねだりする。

 

 

その見極めが大切なのかもしれないけど、

私のおねだりを叶えてくれる人は

必ずいる。

 

 

 

この一週間ほどで

衝撃的にわかった事実です。

 

 

 

 

愛されている前提

私にも少しずつ芽生えてきてるかな。

 

 

 

生きててよかった。

 

 

 

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