「いらない子だ」と思っていた私が親になって思うこと

今日は、私の昔の話を。

 

 

私は、九州の田舎の次女として生まれた

 

私の家は「本家」

 

 

「本家」や「分家」なんて、今ではあんまり聞くことがなくなった言葉だけれど、私が幼い頃は、なにかというと

 

「本家の人間だから、世間様に恥じぬよう」

「本家だから、悪いことはしないように」

「本家だから、後ろ指を指されるようなことはしてはいけない」

本家だから

本家だから

本家だから…

 

もう、とにかくいろんな場面で言われてきた

 

 

躾も厳しく、親や大人の言うことがすべて

 

それに口ごたえしようものなら、手は出てこないまでも、言葉と表情で押さえつけられる

 

そんな家で育った

 

 

 

上には姉

下には弟

 

九州という土地柄か、姉より私より、男である弟が一番可愛がられていた

これは、弟が40代に突入した今でも変わらない

 

 

弟が、姉や私を「あんた」呼ばわりするのは許されて、

姉や私が、弟を「あんた」呼ばわりした途端、親や祖母から「何様のつもりだ!」くらいの勢いで怒られる

 

 

いつだったか、姉と私は祖母に呼ばれ、何の用かと思っていたら

「あんたたち2人がこの世に生まれてこれたのは、弟がいるからだよ。感謝しなさい」

と言われたこともあった

 

順番としては弟は一番最後なんだし、

「私たちが生まれてきたから弟が生まれてこれた」

と考えた方が自然だし、当時の私も少し「なんでやねん!!」とは思っていたけど、

『大事な大事な本家の跡取り』

ということも幼き私は理解できていたし、そこでまた反論したとしても怒られることはわかっていたので黙って頷いて済ませた

 

 

 

姉も弟も昔からマジメ

勉強もできるし、親の言うこともよく聞く

周りの大人たちからの評判は良くて、学校の先生からの評価も高かった

 

 

反対に、私は勉強が大キライ

遊ぶの大好き

いたずら大好き

親からもよく怒られていたし、

「校則なんて破るためにある」

とか思っていたときもある

 

 

「お姉ちゃんたちみたいに勉強しなさい!!」

と言われることは日常茶飯事

 

「お姉ちゃんたちみたいに机を片付けなさい!!」

と言われることも日常茶飯事

 

いつもいつも

「お姉ちゃんたちみたいに」

「お姉ちゃんたちみたいに」

 

時には

「なんであんただけいつもそうなの?!」

と言われたりもした

 

 

 

毎日毎日学校から帰ってきたら必ず机に向かって宿題をする姉や弟が不思議でたまらなかった

 

遊ぶことより宿題を先にすることが不思議でたまらなかった

 

宿題をしている2人をどんなに遊びに誘っても、いつも断られ、私は1人で遊んでいた

 

 

小学3年生くらいのある日、宿題をしている弟にいつものように

「一緒に遊ぼう!」

と声をかけたとき、弟は

「ダメ!!」

と強めに言ってきたことがあった

 

 

いつもは「イヤ」と言って断るのに、その日は「ダメ」と言って断ってきたのが不思議で、

「なんでダメなん?」

と聞いたところ、

「宿題しなかったら、なおみ姉ちゃんみたいにお母さんたちから怒られるから」

と弟が答えた

 

その時に

「あぁ、そうか!この人たちは、楽しいからとか面白いからとかの理由で勉強してるんじゃないんだ!!なぁ〜んだ♪」

と、気持ちが急に楽になった感覚をいまでも覚えている

 

「親とか誰かの目を気にしてやるような勉強なら私はしなくていいわ!」と。

 

 

 

それから数日後、またもや

「また遊んでる!!あんたもお姉ちゃんたちみたいに勉強しなさい!!!」

と母親に怒られたとき、私はものすごく冷静に

 

「お母さん。ウチは子どもが3人いる。そのうちの2人は頭がいい。勉強もできるし、マジメ。3人のうち、2人も出来が良い子がいるんやから、そんなに心配しなくてもウチの家は大丈夫やから!」

と、自信たっぷりに言ったことがある

 

 

「そんな訳のわからんことばっかり言ってないで勉強しなさい!!!」

と、さらに怒られたのは言うまでもないが(^_^;)

 

 

お出かけするのに、姉や弟は連れて行ってもらえるのに私だけ留守番とかもあったし、親戚から理不尽な態度や言葉をかけられたこともある

 

 

だから、

「私はこの家ではいらない子かもしれない」

「私は姉や弟の引き立て役かもしれない」
と思ったことは何度もある

 

 

でも、そんなことを思っていても、この家で暮らしていかなきゃいけないのは現実としてある

 

こんなに四角四面のマジメな家での私のポジションは、家族を笑わせることだ
とずっと思ってきたし、実際そうしてた

 

 

姉も弟もできない・やらないことで、親に私という人間を注目させたかった

 

 

わざとおどけて笑わせたり、少々のウソをついてでもいいから、私が言ったりやったりすることで家族が笑ってるならそれでいいと思っていた

 

 

だから、姉も弟も、私のことを

「いつも親に怒られてる愉快な人」

と見ている感じがあった

 

「なおみねえちゃんは面白いけど頭悪い」

と弟に言われたこともある

 

 

 

でも、不思議なことに、自分で「私なんてどうせ…」とは思ったことがなかったし、

そりゃ親としては、いつも笑わせてくれる子より怒る必要のない子の方がやりやすいだろうし、成績だって良い方が安心だろうことも理解していた

 

 

今思うと、

「親から怒られるようなことを散々して、親の目を自分に向けようとしていたけど、いつも険しい顔で見られるのがイヤで笑わせる方に走った」

ということがわかる

 

 

 

「この家では求められてないだけで、外に出たら意外とそうじゃないかもしれない」とも薄っすら思っていた

 

「人間って、学校の成績とか、親の言うことをよく聞くとか、大人からの評判だけで良し悪しが決まるもんじゃない。他に何か基準があるはず…」

と。

 

当時の私の頭では、その「何か」がわからなかったけど、

「何かあるはず…」

と信じてやまなかった

 

 

 

そして、小学4年生のとき、父の仕事の都合で転校することになった

 

 

 

母はどうやら、自分が慣れない土地で近所付き合いがうまくできるかどうかを心配することより、子どもたちが新しい学校に慣れられるかの方が心配だったようで、

 

「自分の名前は大きな声でハッキリ言うのよ」

「挨拶もきちんとしてね」

と、朝の登校前にしつこく言われた記憶がかすかにある

 

 

 

初めて経験した転校生

 

ドキドキしながら席に座ったけど、もうすぐに1人の女の子が声をかけてきてくれた

 

そして、声をかけてくれる子がどんどんどんどん増えて、私の席の周りは人だかりになっていた

 

 

「へぇー!転校生ってこんなに重宝されるのか…」

と思っていたら、最初に声をかけてくれた女の子が

「家に帰ってお昼ご飯を食べたら一緒に遊ぼう!家に迎えに行くね!」

と言うので、遊ぶ約束をして家に帰った

 

 

 

家に帰ると、心配そうな母が3人の子どもに真っ先に聞いてきたこと

 

「新しい学校はどんな感じ?仲良くなれそうな友達はいる?」

 

 

それに対して、姉も弟も

「う〜〜〜〜ん… どうかな…」

「まだ今日が1日目だからわからん」

みたいな反応をしていた

 

 

「なおみちゃんは?」

と聞く母に

「私、お昼ご飯を食べたら友達が迎えに来るし、遊びに行って来る」

と答えた

 

 

答えた瞬間、家中の空気が止まった

 

 

「え?!今、何て言った?!」

みたいな顔をした家族がいた

 

 

今まで、何をやらせてもダメダメで、3人の子どもの中で秀でるものなど何もないと大人からも姉や弟からも思われていた私だけに友達ができているという状況を、誰1人 今ひとつ把握できていない様子だった

 

 

 

私は、「遊びに行ってくる」と答えながら、初めて姉と弟に「勝った!」と思った

 

つい何年か前までは、当時の私の「勝った!」の意味がわからなかったのだけど、今はわかる

 

 

親に「すごいやん!!」って思われたかった

のだ

 

親に認められたかった

のだ

 

親に「私だってやればできるんだ!」ということを知って欲しかった

のだ

 

 

 

私はこの時、

「人生で大切な、学校の成績や大人からの評判ではない何か」

がほんのりわかったような気がした

 

「ほら!こういうことよ!コレコレ!!」

という手ごたえが確かにあったから。

 

 

私の席に集まってきた友達とのやりとりで私がどう接し、何を話していたのかなんて欠けらも覚えていない

 

面倒見のいい女の子が居てくれたおかげで、私は、目には見えない、でも、確かな何かを感じとることができた

 

 

 

今思えば、

 

素直さだったり

人の役に立つことだったり

人を受け入れることだったり

笑顔は大切とか

人をバカにしないとか…

 

きっとそういうことだったのかもしれないと思う

 

 

 

自分も人の親になった今、幼き頃の私を振り返ると、かなり生意気でオマセな感じが否めない

 

 

でも、子どもは、大人が思っている以上に感じ、考え、物事を決めているんだということがわかる

 

 

だからと言って、4歳になる娘の顔色を伺いながら暮らしているわけではない

 

 

私は彼女の親だし

彼女は私の子どもだというのは紛れもない事実

 

 

でも、他人であることも事実

 

 

 

4歳であろうと、彼女が下した決断をねじ伏せる権利は私にはない

 

最低限のアドバイスや提案はするけれど、それでも揺るがない場合は、彼女の判断を優先する

 

 

 

 

子はいつでも親をみて様々な情報を得ている

 

共感もし、反面教師にもしている

 

 

時々「こんな母親でごめんね…」と、真剣に思っているママがいると聞くけれど、

 

『子どもは親を選んで生まれてくる』という言葉を信じるならば、

 

あなたがそんなお母さんであることなんて子どもは百も承知だということだ

 

 

 

どんな親であれ、

どんな家族であれ、

どんな親戚がいようと、

 

子どもは子どもなりに考え、感じて自分の立ち位置を決めていく

 

 

 

自分もそうだったように、娘もこれからどんどん変化していくだろう

 

 

そういう意味でも、子育てはやめられない