子どもの学び欲を最大限に発揮させるために親ができること
先日、娘のお誕生日でした。
5歳ともなると、さすがにお誕生日には何かプレゼントがもらえるとすっかり思い込んでいて、数日前から「アレが欲しい」「コレが欲しい」とおねだりしていました。
娘が一番ねだってきたおもちゃと本は本人の捨てられない性格上、あれこれとあるので最初から私の眼中にはなく、季節の変わり目だし、秋冬物の洋服にしようと思ったものの、まだ去年買ったものが着られそうだったので却下。
じゃあ、どうしよう・・・
と夫と話し合った結果、腕時計にしました。
半年くらい前から、「そろそろ自分で時間管理ができるようになるといいな」と思っていたので、ことあるごとに
「長い針が5のところまできたらお片づけしようね」
「短い針が3のところにきたら3時だよ」
などと話していました。
そしたら、1〜2ヶ月前くらいから急に夫の腕時計に興味を示してきて、
「私も欲しい!」
と言い出したのです。
見かねた夫が、電池がなくなって使わなくなった腕時計を実家から持ってきて娘に渡したのですが、もらった本人は針が動いていないことが気に入らないらしい。
そんなことより、一番小さな穴で止めても何せ紳士用の腕時計なのでスポスポ抜けるのがイヤで
「お父さんのみたいにピッタリしてない!」
と言ったりして。
時計が読めるようになるといいな…と思っていた私としては、針が止まっていたら意味がないので、今回は私の意見を優先させてもらって決めました。
私は、人はいくつになっても、何かを習得するためには興味を持ったときが一番吸収できるタイミングだと思っています。
これは自分の経験からの考えです。
世の中には、子どもに早くからいろんなことを学ばせるツールが溢れていますが、何歳からどんなものを提供しようが、本人の興味がなければ成果は半減すると思うのです。
英会話
バレエ
ピアノ
習字
そろばん
ダンス
剣道
柔道
「これからは英語くらい話せないと!」と小さいうちから英語教育に触れさせるより、自国の言葉の美しさを伝える方がずっとずっと大事なことだというのは私個人の強い想いだとしても、
「音楽というものに触れさせたい!」
「頭の回転は早い方がいい!」
「礼儀作法は身につけておいて欲しい!」
などなど、大人のいろいろな思惑はあるにせよ、本人の興味や意欲がなければただの押しつけでしかありません。
早い子なら3歳で文字を書けるようになる子もいますが、娘が文字に興味を持ち始めたのはつい最近… 3〜4ヶ月前からだと記憶しています。
絵本の文字、幼稚園からもらってくるプリントに書いてある文字、看板の文字、、、
いろんな文字を指差しては、
「これ何て読むの?」
「これに点々がついたら何て言うの?」
「あ!これ私の名前の字や!!」
と言うようになりました。
それからです。
去年のクリスマスにサンタさんからプレゼントしてもらった文字が書いてある積み木で遊びはじめました。
いただき物のかるたを楽しめるようになったのもこの頃からです。
その様子を見て、お風呂の壁にこんなものを貼りました。
世間のペースで考えるとずいぶんと遅いのかもしれませんが(^_^;)
世にある知育本などを見てみると、1〜2歳児向けの本でも文字が書けるようにするページがあって驚きます。
まぁ、世の中に「文字というものがあるよ」と伝える一番最初のステップだと思えなくもありませんが、それさえ、今が最適かどうか?という親の判断は必要だと思うのです。
「やった〜!文字が書けるようになった!!」
という大きな喜びも、本人の自覚がなければ大人のエゴにしかなり得ません。
そのためには、まず『本人が興味を示しているか?』が一番重要です。
これは、早く文字が書けるようになることを批判しているのではなく、本人の意思や意欲を先回りして大人が手をかけすぎていないか?という視点を持つ必要性の話です。
親が子にあれこれ期待をするときは、だいたい誰かと比較をしている時が多いような気がします。
「うちの子も◯◯ちゃんみたいに」
「この子も上の子みたいに」
「昔 私が辛い思いをしたから」
「私はこれができたおかげで幸せだったから」
という想いが子に託されていくパターンが多いのではないでしょうか。
そんなの、子にとっては迷惑でしかありません。
子どもといえど他人ですから。
子どもといえど意思や考えがありますから。
2歳で英語に興味を持つ子もいる
5歳で計算が得意になる子もいる
8歳で歌を唄うことに楽しさを見出す子もいます。
でも、歌を唄うことが楽しいと思わずに一生を終える人もいます。
男の子なら全員 電車に興味があるわけではありません。
女の子なら全員 ピンクが好きなわけでもありません。
その子が英語に興味を持たなくても、計算が苦手でも、歌を唄わなくても、電車に興味がなくても、ピンクが嫌いでも、親をはじめとする大人が焦る必要はないのです。
その人生は、あなたのものではく、その子のものですから。
「そうは言っても、、、」と思う人は、自分が同じようにされたら息苦しくないか?と考えてみてください。
親は子のサポート役。
本人が興味を示したと見受けられた時にそっと手を差し伸べる程度でいいのではないかと思います。
子どもは他人。
友達にできないことは子どもにもできませんよね。