「子どもの食事の味付け、何歳から大人と一緒にするの?」の質問に答えてみました

この前、子どもの食事について質問を受けたので、忘備録のつもりで書いておこう

 

 

その質問は、

2歳になる子どもにはまだ薄味のものしか与えておらず、何歳くらいから大人と同じ味付けのものを食べさせればいいかわからない。

なおみさんは、娘さんが何歳くらいから大人と同じ濃い味のものを食べさせてますか?

という内容

 

 

「たぶん2歳くらいから大人と一緒のものを食べてたと思う」

と曖昧に返事をしたのだけど、今日FBに過去のこんな写真が上がってきた

 

f:id:y_naomix:20170521173247j:image

これはイワシのつみれ汁

 

当時 娘は1歳7ヶ月ほど

 

 

お味噌汁もお湯で薄めたりした記憶はないから、たぶんコレもそのまま出してるはず

 

 

取り分けなんかもした記憶があまりない

 

 

だからと言って、娘に最初から濃い味のものを食べさせてたわけではなくて、そりゃもちろん、最初の頃は味付けなしのものを食べさせてたけど、私の感覚としては、娘のご飯づくりを機に大人のご飯の味付けを薄くしていった

 

 

娘の離乳食が始まったからといって、いきなり薄味にすると夫も抵抗があるだろうと思い、離乳食を始める3ヶ月くらい前から徐々に徐々に調味料の種類も使用量も減らしていきました

 

 

だから、

「いくつから濃い味に?」

と言われてもあまり覚えてなかったことを今更 思い出しました(^_^;)

 

 

 

離乳食となると、やたら神経質になるお母さんが多いのだけど、離乳食といえど、なるべくお母さんのストレスは軽減しないと続かない

 

 

たしかに大事な時期ではあるけれど、離乳食でヘロヘロになっていては、お母さん自身の栄養が足りなくなる

 

栄養って、ストレスかかると消耗が早いからね…

 

 

相談者さんのお子さんは2歳

一般的な、生後半年からの離乳食をしていると仮定して、今で約1年半ものあいだ大人と子どもの食事を別々に作っていることになる

 

 

しんどかろうに…と思う

 

 

 

 

どちらかというと、世間一般の離乳食は、子どもの味覚を少しずつ大人に近づける感じ

 

でも、我が家は、大人の味覚を少しずつ子どもに近づけるやり方でした

 

 

まぁ、我が家は一歳から離乳食をスタートしたので、一般の進め方より早かったのも一つの理由かもしれないけど。

 

 

もし、自分たち大人が食べてるものが「濃い味」という認識があるなら、せっかくだから、少しずつ薄味にしていけばいいと思う

 

 

調味料を使えば使うほど味覚は狂ってくる

 

素材の味より調味料の味がないと満足できなくなってしまう

 

 

 

子どもの離乳食は、大人の味覚を整えるチャンス!!

 

 

そういう意味でも、

大人は子どもから育ててもらっている

とも言える。

 

白米がいいか、玄米がいいか、米は食べない方がいいか?

白米がいいか?

玄米がいいか?

はたまた米は食べないか?

 

 

私自身、あまり偏るのは好きじゃないけど、(これまでいろいろ偏ってきたからw)

 

お米を食べるから体調を崩すのでもなく、

お米を食べるから太るのでもなく、

 

 

大量のお米を一度に処理できないカラダだということに目を向けるべきであって、

 

そこを見ずしてカラダの許容量を超えた量を食べてることが問題なわけで、、、

 

 

結局は

「自分をもっと見つめようよ」

「自分をもっと知ろうよ」

ってことが一番に伝える必要があると思う

 

 

白米がダメとか、玄米がいいとか、お米は食べないほうがいいとか、

そんなのは所詮 小手先のこと。

 

 

あなたから見て多すぎる量のお米も、処理できる人もいたりするからね

 

あなたから見て少なすぎるお肉の量も、それで精一杯の人もいたりするから

 

 

無性にお米を食べたくなるのも、
無性にお肉が食べたくなるのも、
もっともっと自分のカラダに目を向けると、何らかの改善点が見つかったりもする

 

 

 

「白米は、“粕=カス”なのよ」と、玄米推進者から聞くことがあるけど、白米だって、雑穀混ぜたり、炊き込みご飯にすれば玄米よりも栄養価があがったり、玄米にはない栄養をプラスすることもできる

 

そういう意味でも私としては、玄米<白米なのだけど、

 

 

まぁ、結局は、

「雑穀米を食べてるから良い」というわけでもないし、

「玄米を食べてるから良い」というわけでもないし、

「お米を食べてないから良い」というわけでもない

 

 

毎日 同じ筋肉を使い、同じ歩数を歩き、同じエネルギーを使ってる保証なんてどこにもないのに、毎日同じものを同じだけ同じ感覚で食べる方が不自然でもある

 

 

 

食べることすべてがカラダのためになるとは限らない

 

 

食べることがカラダの負担になることも往々にしてある

 

 

白米を食べるのも、

玄米を食べるのも、

お米を食べないのも、

偏らないほうがいいですね

 

健康は「食」だけではつくられない

なるべく安心で安全な食べものを選ぶことはとても大事


だから、ご飯を手作りすることが大事だし、そうしようとする人のことは応援するけど、

でも、それだけでは健全なカラダはつくられない

 

 

「食」って、ものすごく大事なことだけど、ほんの一部の要素に過ぎないのです

 

つまり、「無農薬・無添加手作りご飯を食べてるから健康」ではないってこと。


それらを受け入れるあなたのカラダの機能は?
メンタルは?
思考の癖は?

 

そんなこんなも含めて観ていく必要がある。

「抱っこして!」は、「助けて!」と一緒です

子どもが抱っこをせがむときってね、

疲れてるからとか歩きたくないからだけじゃないのよ

 

 

「今 自分がココにいること」

を全身で感じたくてせがんでたりする

 

 

それは、

「私って、ココに居てもいいのよね?」

っていう確認のようなもので、自分の存在を自分で認めたがってる

 

…というか、自分の存在を認めてもらいたがってる

 

それも、一番信頼できると認識している人から。

 

 

 

そりゃ、疲れてるとか、重たいものを持ってるとか、昨日あまり寝てないとか、大人も大人なりの事情があると思うけど、

 

 

抱っこをせがまれる時間なんてほんの数年のこと

 

子どものカラダの全部を抱えられる時間なんて本当に限られている

 

 

 

抱っこを拒むと、子どもは自分の存在を認められないまま、自分が宙に浮いてしまった感覚になる

 

 

生きてる心地がしない状態

 

 

 

大人だって、ハグを求めて拒否されたら傷つくように、子どももそれを感じてる

 

 

そういう瞬間瞬間が、親と子の信頼や信用を積み重ねてくれる

 

 

 

「この人にはどんなことでも言える!」

「いざとなったら、この人に言えば大丈夫!」

と思える関係をつくれるかどうか。

 

ココロが安らぐ場所になるか?
本音を言えない窮屈な場所になるか?

 

 

 

「だっこしてー!!」

という一言が、実は数年後の緊急SOSにつながるかもしれない

 

 

近くにいるのに助けを求められないって悲しいから。

 

 

 

今日もたくさんの抱っこでエネルギーの交換を。

 

自殺者をなくすご飯

先日、数ヶ月前に万能調味料講座を受講されたある女性から、嬉しいレポをいただいたのでご紹介します

 

 

*****

 

 

野菜に○○○○+味噌で味付け のみ。
手品みたいに料理ができる( ゚Д゚)!!

 

万能調味料を習ってから

・計量カップ使わなくなった
・自分の味覚レベルが上がった
・自分の味覚を信じられるようになった
・家族の笑顔が増えた
・家族と過ごす時間が増えた
・家族に「何が食べたい?」と聞けるようになった
・「美味しい?」と聞き、半強制的に「美味しい」と言わせなくても、「美味しい」が自然に聞けるようになった
・洗い物が減った
・料理にすることに構える気持ちがなくなった
・アレンジするスキルを身につけたり、余裕ができた
・食材を無駄なく使いきれるようになった
・1品持ち寄り会が怖くなくなった(むしろ積極的になった)
・料理番組を見る視点が変わった
・洋服よりも、エプロンや調理器具がほしくなった

・・・等など。


この気持ちは私だけではないはず(^▽^)

 

なんといってもキッチンに立つことが楽しくなりました。
この気持ちが料理をさらに美味しくしてくれてるかもしれません。

 

改めて最近ありがたさを痛感です。
ありがとうございます。(((o(*゚▽゚*)o)))

f:id:y_naomix:20170515072513j:image

 

 

*****

 

 

終わりのほうの文

『キッチンに立つことが楽しくなりました。
この気持ちが料理をさらに美味しくしてくれてるかもしれません。』

まさにおっしゃるとおりだと思います

 

 

2日ほど前 島根県の江津でお出汁の会と万能調味料講座を開催しました

 

午後の万能調味料講座の締めの言葉として、

 

「私たち人間は食べないと生きていけません。

お母さんが楽しくご飯づくりをしている姿を子どもに見せることは非常に大切なことです。

明日の命をつくるご飯づくりをお母さんが楽しそうにしている姿を見て、子どもは

『生きるって楽しいことなんだな』

って、いつかどこかで必ず感じてくれると思います。

そういう子が増えてきたら、自ら命を絶つような子はいなくなるんじゃないかと思うのです」

 

といった内容の話をしました。

思わず感極まって泣いてしまったけど。

 

 

 

かなり大げさに聞こえるかもしれませんが、戦争も、犯罪も、自殺も、家庭の在り方次第で減らすことができると思っています

 

その方法として、人によっていろんなアプローチがあると思いますが、私がこれまでの経験を生かして行なっているアプローチが『料理』なのです

 

 

 

ありがたいことに、私の講座に参加してくださった方々は、

「こんなに簡単にこんなに美味しいものができるとは思いませんでした!」

と、感激してくださる場面が少なくありません

 

 

先日も、年配の女性が

「今までお出汁には昆布と煮干ししか使ってきませんでした。鰹節には見向きもしてこなかったのですけど、こんなにカラダによくて美味しいお出汁ができるなら、これからは鰹節もぜひ取り入れてみます!」

と張り切ってらっしゃいました

 

 

「なるべく砂糖を使わずにご飯を作りたいという気持ちはあるのだけど、使わないとなんだか物足りなく感じてしまって、『使いたくないけどなぁ…』って思いながらも入れてるんです。

でも、万能調味料があれば砂糖入りのご飯づくりを卒業できますね!」

と、嬉々として帰られる方もいらっしゃいます

 

 

罪悪感を持ちながらつくったものを差し出す母の気持ちを少しでも取り除けたら、家族を包む空気はもっともっと柔らかく暖かいものになるはず

 

暖かい空気に包まれた家庭からは、犯罪者も被害者も、それから自殺者も出にくい。

むしろ、他人の気持ちも自分の気持ちも、他人の命も自分の命も、同じように大切にできる人がつくられていくような気がしてなりません

 

 

 

社会をつくっているのも、

世界をつくっているのも、

元はと言えば家庭です

 

 

家庭を包む空気を変えるためには、家庭を照らす太陽であるお母さんたちに変わるヒントがあればいい

 

 

かつて私がそうであったように、料理を通して、自分の姿を見つめ直すお母さんたちを増やすこと

 

それがいつの間にか、各家庭の在り方の変化へと変わっていく

 

 

 

とても地道な活動です

 

今は、「この活動の先には、より豊かな世界が待ってる!!」と信じ抜いていますが、果たしてどうなるか、本当のところはわかりません

 

でも、私の中でやらない理由はないのです

 

 

今後も良き出逢いがありますように。

 

 

 

子どもの満足と母親の不便

新幹線に乗って、娘と2人でお弁当を食べていたときのこと。

 

 

私は幕の内弁当のような、いろいろおかずが入ったお弁当

娘は本人の熱烈な要望により、柿の葉寿司

f:id:y_naomix:20170512122542j:image

 

柿の葉寿司にはおかずがない

娘はそれも十分わかった上でリクエストしたのだけど、 どうも私のお弁当のおかずが気になるらしい

 

見かねて

「これ食べる?」

と、いんげんの胡麻和えを見せると、

「うん!」

と、嬉しそうに食べている

 

 

で、また私のお弁当をチラチラ見てる

 

きんぴらごぼうを見せて

「食べる?」

と聞くと、

「うん!」

と。

 

 

結局、いんげんの胡麻和えときんぴらごぼうは全部 娘のお腹に入っていった

 

 

 

こんな場面はよくある

 

 

娘が食べるだろうと思っていたものは食べず、

私が食べようと思っていたものは食べられてしまう

 

 

 

そんなに食べないだろうから、親子丼を半分くらい分けてあげて、あとは好きな山椒をかけて食べよう!

 

と思っていても、思いの外食べられてしまって私の分がない…

もう一つ親子丼を頼むのは多い…

残った親子丼をよく噛んで食べるか?

つるりと入る麺にしようか?

 

と考えて麺にしたりすると、

「それ食べる!」

と言われてさらに半分こ…

 

あぁ。。。。。

 

 

とか、よくある

 

 

外食で、唐揚げとか枝豆とかだし巻きとか、お昼でも頼めるお店は本当にありがたい

 

だって、おやつをあげてる・あげてないに関わらず、その日 その時によって子どもが食べる量ってバラバラだから。

 

 

 

「食べる」と見越して、定食のご飯を大盛りにしたところが意外に食べずに、お漬物でご飯を食べた

というお母さんも少なくないと思う

 

 

 

そんなことを考えながら、いんげんの胡麻和えときんぴらごぼうがなくなったお弁当を食べていたとき、

 

あぁ、私もこうやって本当はお母さんが食べたかったものを横から奪ってたのかもしれないなぁ…

と思った

 

 

私は三人姉弟

 

外食したとき、3人分のご飯はどんな注文の仕方をしてたんだろう?

 

お漬物でご飯を食べて空腹を凌いだこともあっただろうな…

 

お腹いっぱいでも、子どもたちが残したものを「もったいない、もったいない」と、がんばって食べてたんだろうな…

 

うどんだって、お蕎麦だって、七味や一味をかけて熱々のうちに丸々一杯分 食べたかっただろうに…

 

美味しいカレーのお店にも行きたかっただろうに…

 

 

などと、実母と自分が重なった。

 

 

 

今の私の想いを、今の娘に力説してもわからない

 

 

そんなことをするつもりもない

 

 

 

そして、きっと母も同じように、自分がちょっとずつ辛抱していることや、感じている不便さを幼き私に説明するなんて頭にもよぎらなかっただろうと思う

 

 

 

我が子が美味しそうに食べている姿を見ているだけで

「他にもこの子が食べたいものはないかな?」

と、自分の前に置かれた定食やお弁当を眺めていたのかもしれない

 

 

 

そういう意味でも

『女性は無意識のまま自分を押し殺し、欲を押し込めて、我慢しながら生きやすい』

という側面を見て、最近では

『自分を大切に!』

と発信する人が非常に増えた気がするのだけど、

 

 

それはそれでものすごくわかるのだけど、

 

事実として、子どもが美味しそうに食べてる姿はいつ見ても嬉しい

 

いつでも、いつまでも見ていたい

 

 

 

子どもが自らのチカラで自分の命をつくろうと必死になっている姿は本当に微笑ましいし、たくましさも感じるし、勇気をもらえるのだ

 

 

 

私は、お箸の練習をしているくらいの頃、何度やっても左手に持っていたらしく、どうしても右手に持たせようとしていた母は、それを見つけたらすぐに右手に持ち替えさせていたと言う

 

そして、一口食べては走り回っていた私を捕まえて座らせ、座ったかと思ったらまた左手にお箸を持ち、右手に持ち替えさせて食べたと思ったら走り回って座らせ…

というのが毎日毎食続いたらしく、今でも

「あんたは本当に大変やった…」

と言われる(^_^;)

 

 

そんな私が18歳の時、母と初めて2人で大阪という都会に来て、初めて入ったコンビニで、ホテルで食べるためのご飯を調達したとき、ポテトサラダを食べるためのフォークが一本しか入っておらず、母はそのたった一本のフォークを私に譲り、自分は、サラダにかぶせてあったフタでサラダをすくって、大きな口を開けて無理やり食べていた

 

 

そのとき私は

「母親という立場の人は、我が子のためにここまでするのか!」

と驚き反面、泣きそうになったことを今でも覚えている

 

 

 

でも、同じような場面を想像したら、きっと私も娘にフォークを譲るだろう

 

 

 

 

いつの時代も、

母親は子どものことが一番で、

子どものことに精一杯

 

 

 

十組の親子がいるなら、

十通りの接し方や言葉がある

 

 

 

「正しい子育て」なんてどこにもなく、

お母さんがその場 その時、子どもに対して思ったことが紛れもない事実で、

 

子どもがお母さんに向けた態度や言葉や表情が現実なだけ

 

 

 

 

いつかきっと、娘もご縁しだいでは誰かの親になるときがくるかもしれない

 

 

その姿を私は見れるかどうかはわからないし、自分の子どもを通して私のことを考える瞬間がくるかどうかもわからないけど、

 

自分の子どものことが一番になるだろうし、
自分の子どものことに精一杯尽くすだろう

 

 

そうやって、親から子への想いはずっとずっと変わらずいつの間にか同じように受け継がれていく

 

 

 

娘を通して実母を想った今日、母の日が2日後であることに気づいた

 

 

 

今年は娘の写真を送ってあげようかと思う。

 

たこたこウインナーから学ぶ、キャラ弁の必要性

子どもを授かると、子育てに関する情報が自然と集まってくる

 

その集まってきた情報たちを、あーでもない こーでもないと取捨選択していくのだけど、

 

私がコレを必要とする日は、おそらく半永久的に来ないだろう

と判断したものとして、

知育玩具

知育本

歩行器

バン

などがあったのです

 

 

が、

 

もう1つ、不必要だと思っていたものがありまして…

 

 

それはキャラ弁

 

 

細かい作業が苦手ということもあるけれど、海苔やチーズやハムや人参をちょこちょこ小さな形に切ったりして、お母さんがヘトヘトになるようならいらない

 

時間ももったいないし、茶色の地味弁であっても子どもが好きで「美味しい!」と食べてくれるものならそれでいいじゃないか!

 

てか、地味弁でも美味しく食べてくれる子どもに育てる!!

 

 

とか思っていたのが約2年ほど前

 

娘は2歳

 

お弁当なんて、遊びに行った公園で食べるときくらいにしか必要でなかった頃の話です

 

 

 

 

それから時はたち、、

 

去年からほぼ毎日 お弁当づくりをやっています

 

娘のお弁当はこんなものf:id:y_naomix:20170511102642j:image

f:id:y_naomix:20170511102814j:image

f:id:y_naomix:20170511102844j:image

 

茶色い(^_^;)

 

紙カップやピックなどからかなり助けてもらっています(^_^;)

 

 

野菜嫌いの娘は食べる野菜が限られていて、今の季節だとトマト、もう少し先だと枝豆やトウモロコシ、かぼちゃやレンコン、玉ねぎくらいは食べるのだけど、ほうれん草や小松菜、さやいんげんなどはほぼ食べない

 

お弁当でもなんでも、赤・黄・緑が入っていると見栄えも良くなるのだけど、娘が好きな野菜は季節が限定されているし、そもそも一年通して好きな緑の野菜がない…

 

 

だから、『紙カップやピックさまさま』なのです(^_^;)

 

 

 

キャラ弁なんていらない!いらない!

って親が思っていても、子どもは子どもなりに他の子のお弁当をチラ見しては

「明日のお弁当はコレ入れて!」

「次はこんなお弁当がいい」

とかリクエストをしてくることも出てくる

 

 最近出てきたリクエストが、たこたこウインナー

 

あまりにしつこくリクエストしてくるのでやってみました

f:id:y_naomix:20170511104258j:image

f:id:y_naomix:20170511104338j:image

(相変わらず紙カップに助けられてますがw)

 

娘も完食するお弁当ができて何よりw

 

 

 

その、たこたこウインナーを作っている時にふと思ったのは、

 

キャラ弁は、味云々というより、

毎日つくるお母さんたちが飽きないためにあるのかもしれない

ということ。

 

 

毎日毎日のルーティン

毎日毎日茶色だったらお母さんが萎える

 

色から受ける刺激は、食べる人だけじゃなく、つくる人にも大きく影響すると思うのです

 

 

そこで、ちょっと可愛く細工したり、いつもと違うことをやってみる

 

お母さんが楽しくなるために。

 

 

たしかに、キャラ弁は、味の相性の問題もあるから、組み合わせによっては

「いや、それはマズイやろ…」

と思うものもあるけれど、出来上がった色とりどりのキャラ弁はお母さんたちのテンションが上がるのだろうと思う

 

別に、キャラ弁にしなくても、私みたいに

「今日はどの紙カップにしようかな?」

「今日のお弁当に合うピックはどれかな?」

って考えるだけでもちょっと楽しくもなるし。

 

 

もちろん、苦痛を抱えながらつくる必要はないし、それを園から強要されるのも違うと思うけどね。。。

 

 

でも、キャラ弁をつくるお母さんたちの気持ちは、毎日お弁当をつくるようになって初めてわかった。

 

 

その立場に立ってみないとわからないことは山ほどある

 

 

やってみて初めてわかることが山ほどある

 

 

やりもせずにヤイヤイ好き勝手言うのはやっぱり虚しくなるね

 

 

キャラ弁のまとめとしては、

 

つくる人が楽しくあることが、

食べる人の喜びにつながる

 

 

そういうことですね☆