豊かさはどこにある?

少し前、FB経由で以下の出来事を知った

 

『友利新、ツツジ「花摘み」批判されて謝罪 「息苦しい社会に...」同情の声相次ぐ』

https://www.j-cast.com/2017/04/26296589.html?p=all

 

 

私の娘も、公園の中に咲いている花や、スーパーの敷地内に茂っている木の葉っぱなどをちぎって家にまで持って帰ることがある

 

が、私は止めない

 

 

あまりにも度がすぎるというか、1〜2枚の葉っぱでも毎日ちぎっていたり、それをポイポイ捨てるだけのためにちぎりまくっているのなら止めるし、

 

ちぎっているところを見かけたら

「お花が痛い痛いって言うてるよ」

とか言うし、明らかによそのお宅が大切に育てているだろう草花などは絶対に止めるけれど、

 

公共の場所で見つけた花や落ち葉など1〜2回のことなら、一緒にそれで楽しむことにしている

 

 

硬い葉っぱと柔らかい葉っぱ

ザラザラした葉っぱとツルツルの葉っぱ

大きい花びらと小さな花びら

 

実際に触ることで子どもは子どもなりに何かを感じとっている

 

 

タンポポの花びらの形と芝桜の花びらの形が違うことや、たった一枚の花びらでも色のグラデーションがあること、花びらの中に雄しべや雌しべが包まれていることなど、手にとって初めてわかることもある

 

他のものでは変えがたい体験だ

 

 

 

今回のこの出来事で友利新さんに批判コメントを寄せた人たちは、どんな幼少期を過ごしていたのだろう?

 

親から「やっちゃダメよ」と言われることはすべてやらないだけではなく、

「やっちゃダメよ」と言われそうなことも先回りして考えてやらなかったりしたのだろうか?

 

 

バッタを捕まえて足をもぎ取ってみたり、

笹の葉で舟をつくって川に流したり、

ぺんぺん草を揺らして音を聞いたり、

シロツメグサでお花の王冠をつくったり、 

ザリガニやカブトムシを捕まえてきて家で育てたり、

タンポポの綿毛をちぎって飛ばしてみたり、

学校の帰り道、転がってる石ころを蹴りながら家に帰ったり、

エノコログサで友達をくすぐったり、

どんぐりでコマをつくったり、、、

 

そういうことを友達がやってても、自分はしなかったのだろうか?

 

幼稚園や小学生のときも「市町村のものだから」と思っていたのだろうか?

 

 

 

ツツジの蜜を我が子に吸わせたことに批判コメントがつくことに対して
『どうしてこんなに世知辛い世の中になったのだろう』
『生きにくい時代になったなぁ…』
と感じる人は私の周りにも多いし、私も実際にそう思ったが、

 

インターネットが普及して、SNSが定着し、誰しもがスマホを持つ時代

どんな人でも自分の思いやその時の気分をいつでもどこでも公にすることができる時代

たとえ相手が有名人でも気軽に接点がとれ、実際に会ったことがない人に対しても「友達」になれる時代

ということも、大いに関係していると感じている

 

 

匿名性が高いSNSほど個人の感情がそのまま出る傾向にある

 

いや、自分の壁で好き勝手に叫びまくってるだけなら良いのだけれど、他人の記事にその時の自分の感情をぶつけてしまう人がいるからややこしい

 

わりと匿名性が低いFacebookでも、やたら他人の投稿に噛み付く人ほどプロフ写真が本人の顔写真じゃなかったり、顔がわかりにくい写真だったりする

 

そして、自分の壁には自分の意見が書いてないことが多かったり、閲覧制限をかけていたりする

 

 

まぁ、それは放っておけばいいことなのだけど、

 

要するに、

 

オンラインであろうとオフラインであろうと、他人のことなど気にすることなく、みんな自分が豊かになることだけを真剣に考えて日々暮らしていければいいのに…

 

というのが私の意見だ

 

 

 

なぜこうも他人がやってること・言ってることに目が向いてしまうのか?

 

なぜそんなに他人の行動が気になってしまうのか?

 

 

ズバリ言うと

自分のことを見ていないから

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

これに尽きる

 

 

他人のことばかりに目が向いているときは、決まって自分のことには目が向いていない

 

 

自分は何をしている時が一番シアワセで、

それをやり続けた先には何が待っているのか?

今の自分の生活や思考をずっと続けたら5年後はどうなっているのか?

もし明日死ぬとしたら今何をしておきたいか?

など、ほとんど考えられていない…

 

 

 

人間の目は2つ

 

右と左を別々に動かすことなどできない

 

 

他人のことが頻繁に見えている時

他人のことを頻繁に見ている時は、自分のことはまったく見えていない

 

 

自分を豊かにすることは自分にしかできないのに

 

 

 

人間だけでなく、この世に誕生したものすべてに共通すること

 

『生まれた日から確実に消える日に向かっている』

 

 

そのことを本当に頭にある人は、他人の行動を見てイチイチ意見する暇などない

 

 

自分が今日やりたいことをやる

それだけで精一杯なのだ

 

 

今回の友利さんも

「暇なヤツもいるもんや」

と思って放っておけばよかったのに…

と個人的には思うけど、仕事柄そういうこともできないのかもしれない

 

 

いちゃもんをつけたがる人はどこにでもいる

 

いちゃもんをつけないにしても、他人のいろいろを見て羨んだり悩ましく思ったりする人もどこにでもいる

 

 

でも、みんなそれぞれに、自分の豊かさの場所を探すことに時間を使えば、少なくても他人のことは気にならなくなる

 

 

時間ほど戻ってこないものはない

 

 

せっかく時間を使うのなら、他人のことではなく自分のことに使いたい

 

 

人は誰でも明日がくる保証はどこにもないのだから。