前代未聞の手づくりごはんイベント「ケの日ごはん」で感じたことのいろいろ。

少し前のことですが、先月末、メンバー限定のイベント

やもりなおみのケの日ごはん

を開催しました。

 

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私がつくったごはんたちをひたすら食べてもらうというイベントです。

 

 

 

このイベントの発端は、

「1度 食堂みたいなものをやってみたい!!」

という気持ちから。

 

 

毎日のごはんはなるべく家で作るようにしていても、いざという時は外食に頼ることも当然ながらあります。

 

 

でも、完全なる無添加ごはんとはなかなか出会えないのが辛い現状。。。

 

 

「どうしてお出汁を引かないんだろう?」

化学調味料なしではつくれないの?」

と、素朴な疑問はいつも拭えません…

 

 

だから、「1度お店みたいな感じでご飯をつくってみて、完全無添加のごはんがつくれるかどうか自分で試してみたい!!」との想いがずっとあって実現しました。

 

 

 

 

食材はもちろん、調味料や油や調理器具も持ち込み。

 

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たくさん切るので使い慣れたmy包丁を。

 

 

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 油は、

ノンシリコンの菜種油

ごま油

オリーブオイル

自家製ラード

 

調味料は、5つの魔法の調味料から1つと、塩と胡椒と酢とコラトゥーラ(瀬戸内コラトゥーラはイタリアンレストランで好評中 - 万能調味料・瀬戸内コラトゥーラ4つ星レストラン絶賛)。

 

お子様連れOKなので料理に胡椒は一切入れず、お好みで後がけ方式にすることは初めから決めていました。

 

 

 

結果、、、

 

お昼は12品
夜は15品
(詳細はこちら→やもり なおみ - 一夜明けて。。。。。... | Facebook

 

 

お昼と夜とまとめてつくったのはひじき煮と鶏ハムのみで、あとはすべてそれぞれつくりました。

 

 

仕込み時間は、昼夜ともに2時間ほど。

 

 

その2時間のあいだに、お出汁は昆布と鰹節で二番出汁までしっかり引きました。

 

 

鶏モミジのスープもコトコト煮出しました。

このスープは味付けはせず、そばに塩・コラトゥーラ・カボス・胡椒を置いておいて、好みで味付けをしてもらうようにしたのが功を奏して、「いろんな味で味わえるから楽しい!」と意外な反応をもらえました。

 

 

 

 

一人でやっているとはいえ、熱いものは熱い状態で出したいので、冷たくてもいいものだけを先に仕上げて、切り置きできるものは最大限で用意しておいて、熱いものは参加者さんが来てから次々に仕上げるようにしました。

 

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やり終えた率直な感想としては、

無添加でできるやん!

ということ。

 

 

 

顆粒だしにも市販のドレッシングにも頼らなくても、昼夜ともに

大人10人・子ども7〜8人くらい

1日通して大人20人・子ども16人くらいの食事ならたぶん賄えます。

 

 

 

会場のレンタル費用は4万円ほど。

 

普通のお店が負担している家賃や光熱費などの固定費として考えても1日4万円はしないはず。

 

 

 

で、それなりの金額を支払うホテルのブッフェで言うと、、、、

 

お昼 大人 4,500円

夜 大人 6,000円

子ども 1,500円

 

くらいはする。

 

 

 

同じ金額を出すとして、

 

昼夜ともに大人10人・子ども8人集まったとしたら、、、

 

お昼 大人 45,000円

夜 大人  60,000円

子ども 24,000円

売上 計 129,000円

 

 

そこから材料費や固定費を引いたとしても、少なくても5万は残るかな。。。

 

 

で、週に5日営業するとして、利益は100万円を超える。

 

 

1日の利益が3万だったとしても66万円。

 

 

 

月に60万稼げるなら上等かな…と思う。

 

 

 

 

もちろん、実際にお店を経営している人から言わせれば、

「たった1日やったところで何がわかるねん!!!」

とお怒りでしょう。

 

 

でもこれは、あくまでも

「完全無化調でそれなりの人数のご飯が作れるか?」

という検証なので、細かい計算などはしていません。

 

設備費や管理費も必要でしょうし。。

 

 

素人には到底わからないご苦労もお有りかと思います。

 

「毎日満席になるかいな!!」

という言い分もあるでしょうしね。

 

 

 

でも、今回の検証として、毎日昆布と鰹節でお出汁を引いても、鶏モミジでスープをとっても、そんなに時間はかかっていません。

 

 

用意した材料はそんなに大量ではありませんでしたが、手間だけを考えれば、お昼でも夜でも5組限定の完全予約制のご飯屋さんなら十分にできうる範囲ではないかな…と思いました。

 

 

今は、安心安全をお金で買う時代なので、そういうお店が一つでも増えると嬉しいです。

 

 

 

 

そして、利用者側の

「ホテルでもないのにランチに4,500円も出せない」

という意見もあるでしょう。

 

 

ごもっとも!!

 

 

でも、今の日本の外食の相場はそもそも安すぎるのです。

 

 

1,000円や1,500円のランチで完全無化調なご飯が食べられるわけがないし、無農薬野菜や自然農法の野菜を使ったご飯なんてものも不可能です。

 

 

日本の飲食店の中で、安くて、人をすぐに満腹にさせる炭水化物に頼らずにご飯を提供しているお店なんてほんの一握りです。

 

 

満足な量のお肉やお魚を食べようと思えば、

そして、さらに質も重要視しようとするなら、やっぱりそれなりの金額を支払わなければ食べられないのです。

 

 

 

 

 

人は不思議なもので、安いものばかり求めている人ほど文句が多くなる傾向にあります。

 

 

高いものすべてが高品質とは言い切りませんが、安いなら安いなりの理由が必ずあるし、それは高いものも然りです。

 

 

 

 

「それでも安くて高品質なものが食べたいの!!!」

と主張するなら自分でつくるのが一番です。

 

 

 

「それがイヤだから外食するんでしょ?!」

と言うなら、安くて低品質なものを食べるか、高くて良質なものを食べるか…

 

いずれにしても覚悟が必要になってくるわけです。

 

 

 

 

買い物も下準備も作ることも片付けも肩代わりしてくれるのが外食なんですから、私はある程度の金額を支払っても高くはないと思いますが。

 

 

 

 

ある程度の金額を払うとお客の感覚も肥えてくるだろうし、飲食店側ものんびりしていられなくなるから、いっそのこと全国の飲食店が一気に値上げしたらいいのに…とすら思います。

 

 

 

 

 

とにかく、今回のイベントでわかったこと・再認識した具体的なことは5つ。

 

完全無化調でも大人10人分のご飯くらいは作れる。

 

ドレッシングはいらない。

 

シンプルなスープなら自分好みで味付けできるシステムも一つのアトラクションになる。

 

今の日本の外食は安すぎる。

 

どんなお店のどんな料理もありがたくいただこう!

 

 

 

ということだけじゃなく、今回、お友達のカメラマンに撮影をお願いしていたのですが、できたての料理をすぐに撮影するためにそのカメラマンに渡していたんです。

 

 

で、カメラマンが「唐揚げでーす」「鰻でーす」「じゃこ炒めでーす」と言いながら料理を持って行ったら、その度に「わーー!!」とか「おいしそう!!」とか歓声が上がっていたんですが、その時のそのカメラマンの顔が本当に嬉しそうだったんですよ。

 

 

『あぁ・・・良い景色やなぁ・・・』と思って見ていました。

 

 

 

実際、後日「自分が作っているわけじゃないけど、歓声を聞いて毎回得意げでした」と話してくれました。

 

 

 

もちろん、私が作っているから気持ちよくもあったのですが、もし、そのカメラマンが従業員ならどうだろう?と。

 

 

 

自分が働いているお店の商品に絶対的な自信を持ってお客に提供できたら、そのお店で働いていること自体が本人の生きるモチベーションにもなるし、人生の誇りにもなるんじゃないかと思ったのです。

 

 

 

飲食店に限らず、今の日本にあるすべての業種のお店でそれができているところはどれほどあるだろうと思いを巡らせました。

 

 

 

 

それは、働く場を提供している側にも、働いている側にも責任があることだと思います。

 

 

 

どちらも欠けてはいけない想いだな、と思いました。

 

 

 

 

社会は、小さな家庭から作られます。

 

家庭内で何気なくやっていることの一つ一つが、将来の仕事に対する姿勢にも影響してくるはずです。

 

 

日常を当たり前にしない教えは、まだ子どもが小さなうちからできることかもしれないと自分に置き換えてみたりしました。

 

 

 

 

 

 

「お店みたいなことがしたい!」

と軽々しく思った時には考えてもみなかったことがこの1日で山ほど発見できました。

これからの自分の人生に反映できることは本当にたくさんありました。

 

 

やってよかったと心底思います。

 

 

 

 

新しいことにチャレンジするのはなんとも楽しい♪

 

また気ままにこういうことをやっていこう!

 

 

私をつくってくれたミスタードーナツJR山科駅前ショップ 今までありがとうございました!

今日は思い出話をします。

かなりの長文になってしまいました。

 

わたくし個人の勝手気ままな文章なので、興味がない方はどうぞ素通りなさってくださいませ。

 

 

 

先日、若かりし頃にお世話になっていたJR山科駅前のミスタードーナツに行ってきました。

 

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このお店は、私の原点ともなるお店の1つです。

 

 

15年前、このお店がオープンする時のオープントレーナーをおおせつかったのが27歳の時。

 

当時はまだアルバイトでした。

 

 

トレーナー業務はこのお店の前にも何度か経験はありましたが、ずっとサブトレーナーで、メイントレーナーの補佐としてチョロチョロチョロチョロ動く役ばかりでした。

 

 

でも、このお店のオープンに関してはメイントレーナーでした。

 

人生初のメイントレーナーです。

 

 


それまで何度か集団トレーニングに携わらせていただいた経験上、私には個人的な想いや疑問などがありました。

 

そこで、ミスタードーナツJR山科駅前ショップの初代店主でもあり、私をメイントレーナーとして指名してくださった方の了解を得て、「私は私独自のトレーニングがしたい!」との想いでマニュアルづくりから始めました。

 

 

それまで携帯電話すら持っていなかった私が、パソコンを使うようになったのもこのことがきっかけでした。

 

 


ドリンクの提供量

商品のレンジ加熱時間

ドーナツの袋詰めの仕方

商品の提供方法

などなど、会社から決められたことはもちろんマニュアルの中に入れていましたが、私が新人アルバイトに伝えたかったことは、

挨拶のしかた

礼儀作法

姿勢

立ち居振る舞い

身だしなみ

食べかた

言葉遣い

などでした。

 


「挨拶をしたのに返ってこなかったら、あなたの声は相手に届いていないということ。『言った=伝わった』じゃないよ」

 

「エリアとエリアの間にある『敷居』のようなステンレスの部分は、店主の頭だと思いなさい。踏んじゃダメ!」

 

「音を立てて歩くな」

 

「背筋を伸ばせ」

 

「人の話を聞くとき・ものを食べるときは、肘をつくな。足も組むな」

 

「いただきますとごちそうさまは手を合わせなさい」

 

「身だしなみとは、他人の目を持って自分を整えること。オシャレは自己中心的なもの。必要なのは身だしなみです」

 

「自分が同じことをされて嬉しいかどうか、気分を害さないかどうか、をいつも考えなさい」

 

そんなことばかりです。

 

 

 

 

私は、かつての料亭での勤務経験を生かして、自分が在籍するお店でも
『ファストフードでも一流のサービスを』
との想いで仕事をしていたので、新規オープンのお店とて同じです。

 

 

もう飲むものも食べるものもないのに長時間いらっしゃるお客様にはお水を提供したり、

財布を出したりお金の受け渡しの様子みて利き手を見分け、コーヒーやスプーンの取っ手のセッティングを変えたり、

襟が立っている・服に糸くずがついているお客様にはそれをお知らせし、

胸ポケットにタバコが見えたら言われる前に灰皿をお渡しし、

小さいお子様を連れた方には紙のコップを添えるなど、

「常にお客様を観察しなさい!」と口酸っぱく伝えていました。

 

 

 

1人の店員として働いている時も、『かゆいところに手が届くサービス』より、『かゆくならないようにするサービス』を目指していたので、トレーナーとしての私の気持ちは、商品の提供方法やコーヒーの量なんて本当はどうでもよく、それ以外のもっと大切なことを伝えていきたかったのです。

 

 

…が、「提供量なんてどうでもいいから」と断言するのは立場上マズイと思い、在職中は口にしていないと記憶していますが(^_^;)

 

でも、本心はそうでした。

 

 

 

それより、周りの人たちへの配慮ができる人の集団にしたかったのです。

 

人を思いやれる人たちの集まり。

 

品格を持つ人たちが集まる場に。

 

 


時には「そんなこと、親にも言われたことがありません」と言われたこともありましたが、「じゃあ、この機会に身につけてごらん」と促していました。

 

 

同じお店に働くもの同士でも、店員とお客という立場でも、「人は1人では生きていけないからご縁を大切にできる人たちが増えるといいなぁ…」と思っていました。

 

 

 

だから、提供量を間違ったり、何か失敗したことでアルバイトを叱ることはありませんでしたが、人としての思いやりに欠けることをしたり、品格を失う行動をした場合は、それはもう厳しく叱っていました。

 

 

15年経った今でも、あの時 厳しく言い続けたことは何も間違っていなかったと思っています。

 

 

 

多くの人に何かを伝えるために、文章にもたくさんのエネルギーを費やしました。

 

たった一文字で文章の印象がガラリと変わることも、句読点を打つ場所によって伝わり方が変わることもこの時 身をもって知りました。

 

 

「〇〇が」のほうが伝わりやすいのか?
「〇〇を」のほうが的確か?
「どこに『、』を打てば万人に誤解なく読んでもらえるか?」
「どこで文章を切れば、より説得力が増すか?」

「どういう流れで書けばメリハリのある文章になるのか?」
とか、そんなことを常に真剣に考えていました。

 

たくさんの人を相手にこちらの気持ちを確実に伝えるためには、『誤解』は何としてでも避けたかったし、伝わり方が減ることもまた多くの人に負担をかけてしまうことになるからです。

 

これは、文章だけでなく、話し方に関しても同じように思っていたので、言葉選びや言い回しなどは本当に気をつけていました。

 



こうしてこのお店のオープントレーナーを無事に終えたのですが、このことをきっかけに、沖縄や兵庫の新店オープン・長崎や宮崎のリニューアルオープン・第1号店となる大阪 箕面ショップのリニューアルオープンのトレーナーも務めさせていただき、
ミスタードーナツ直営店西日本サービストレーナー
という立派な肩書きまでいただきました。

 

多い時は50人くらいのアルバイトを相手に1人でトレーニング業務をこなしたときもあります。

 

西日本の直営店各店のリーダー・トレーナーを集めたサービスレベルアップ勉強会も、関西・中四国・九州と3拠点で開催したこともありました。

 

普通ではなかなかできない経験をたくさんさせてもらいました。



自分の言葉で人に何かを伝える難しさも、
伝わったときの喜びも、
大勢と少人数では話し方を変えたほうがいいことも、
文字がもたらすチカラも、
怒られ慣れてない人に対する叱り方も、
褒められ慣れてない人に対する褒め方も、

人の成長を真近で見られる感動も、
私はミスタードーナツのトレーナーを任されてなければ知ることもありませんでした。

 

 

 

食を中心とした講座を始めて約3年。

 

人の親となり、人前で話をし、レジュメをつくり、ブログを書き…

 

今の活動の根幹には、このお店から始まったものがたくさんありすぎて、どれだけ感謝をすれば良いかわかりません。

 

 

ありがたいことに、時々 私の文章が読みやすい・話がわかりやすいと言っていただくことがあります。

 

そう聞くたびに、「ミスドでトレーナーをさせてもらったおかげだな」と、いつもトレーナー時代のいろいろを思い出しています。

 

 

 

 

 

今、あの時の私を振り返って思うのは、ミスタードーナツのお仕事を通してたくさんの人に自分の存在に自信を持って欲しかったのだと思います。

 

 

『やればできるんだ!』という喜びを感じて欲しかった。

 

 

それは、私がたくさんの方から教えていただいたことでもあったから、その気持ちを循環させたかったのではないかと思います。

 

 

人によって褒め方・叱り方を変えていたのも、『あなたの存在を尊重していますよ』という私のアピール方法の1つだったのかもしれません。

 

 

そして、最初は自信なさげにオロオロしていた人たちがどんどん輝きだして、自信満々にお客様や仲間と楽しんでいる様子を見て、私自身が一番『やればできるんだ!』と思いたかったのだと思います。

 

 

『やればできるんだ!』と感じているアルバイトに『やればできるやん!!』と伝えることで、自分の気持ちを解消させていたのでしょう。

 

何せ、小さい頃から褒められた記憶がありませんでしたから。

 

 

 

そして、厳しく躾られたことによって得をした経験もまた、同じように循環させたかったのかもしれません。

 

 

それを証拠に、

『今、私が彼らに伝えていることは、すぐに芽が出てくるものではない。でも、いつかきっと何らかの形で出てくるはず。10年後になるか20年後になるか、はたまたもっとかかるかはわからないけれど、誰かにふと「あ!あの人ステキだな♪」と思ってもらえたり、面接官から好意を持たれて希望している会社に入れたり、結婚の話がスムーズにいったり…  本人たちの自覚がないところであっても難を逃れるきっかけになってくれたら、そのときが本当の意味での私のトレーニングの結果になるんだろうな』

と考えていました。

 

 

 

母親になって5年経った今、娘に対しても同じ想いです。

 

 

だらしがないとはどういうことか?

みっともないとはどういうことか?

 

子どものころは嫌々聞いていた親の言葉は、大人になってようやく実感します。

 

 

 

 


ミスタードーナツJR山科駅前ショップは本日17時で閉店します。

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私は勝手に自分のお役目が1つ終わったような気がしています。

 

 

ですが、今の私はこのお店がつくってくれたのは確かだし、思い出すことがたくさんあります。

 

今でもこのお店の中で働いている夢を見るほどです。

 

 

自分が関わったお店がなくなることは寂しいことだけど、それによってこうして自分の気持ちを振り返るきっかけをいただいたことは1つの区切りとも転機とも言えるかもしれません。

 

 

 

あの頃の私を支えてくださった多くの方々に、この場をお借りして御礼申し上げます。

 


あの時、私を指名してくださった多田さん。
私は多田さんのおかげで今があります。

 

大きな成長のきっかけをくださり、本当にありがとうございました!!

 

 

 

そして、ミスタードーナツJR山科駅前ショップ
15年間お疲れさまでした!!

本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

ご清聴ありがとうございました。

意外と知られていない「切れる包丁」のメリット4つ

私は毎月1回の包丁のメンテナンスを行います。

 

 

…と言っても自分で研ぐだけですが。

 

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家にある包丁という包丁をすべて研ぎます。

 

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最近は出刃包丁を手にする機会もないけれど、出刃包丁も研ぎます。

 

研ぐたびに「使わないとなぁ・・・」と反省しますが^^; 

 

 

 

 

 

包丁の切れ味だけで変わることはたくさんあります。

 

 

あまり知られていないようなので、包丁が切れるとどんな利点があるか4つほど挙げてみます。

 

 

 

まず1つめは、素材の味

 

野菜にしろ肉や魚にしろ、繊維があります。

 

その繊維を潰すか潰さないかで味は変わります。

 

何度も押し引きを繰り返して切ったものと、1度押しただけ・引いただけでスパッと切れたものとでは、舌触りは雲泥の差です。

 

 

 

 

2つめは、見た目のキレイさ

 

わかりやすいのが柔らかい素材です。

 

スパッと切られたトマトや魚の切り身は角がハッキリしていてとてもキレイです。

お店で食べるお造りも、使っている包丁が切れるか切れないか割とすぐにわかるものですよ。

 

 

 

 

そして3つめは、野菜からの刺激

 

わかりやすいのが玉ねぎ。

 

切れない包丁で研ぐと、必ず涙を流すハメになります。

 

玉ねぎを切ると硫化アリルが発生し、それをカラダが感知すると鼻水や涙を流して防御してくれるのですが、これは、細胞が潰れれば潰れるほど涙が出るのです。

 

よく研いだ包丁で切ると、玉ねぎの細胞を壊すことが少なくなるので、涙を流すことなく切れます。

 

わざわざゴーグルをつけたりする必要もありません。

 

鼻水ズルズルにもなりません。

 

 

たったこれだけでもごはんづくりに対するストレスが軽減されます。

 

 

 

 

 最後4つめは、肩こりしない

 

 スーッと切れるので、無駄に力を入れることなく調理が終わります。

 

腕も肩もガチガチになりません。

 

 

私は仕事上、自分の家以外で調理する機会が多いのですが、My包丁は持って行かず、で先に備え付けの包丁で調理をします。

 

今までいろんな施設・いろんな家庭の包丁で調理をしてきましたが、包丁の手入れまでされているところはあまりありません。

 

レンタルキッチンや市町村の調理室ならそこまで管理できないのは理解できますが、一般家庭の包丁が切れないと、お節介にもお母さんのカラダへの負担を考えてしまいます。

 

包丁が切れるとホントにカラダがずいぶん楽ですから。

 

 

 

 

とまぁ、こんな感じで包丁が切れるとかなりのメリットが得られます。

 

 

やっっっっっっすいステンレスの包丁であっても、研ぐとやっぱり切れるようになります。

 

 

 

個人的には、美味しく楽しい食卓づくりの第一歩として、道具の手入れは必要だと思っているので、

「包丁を研ぎが気になっている」

「包丁研がなきゃなぁ…」

「包丁が研げるようになれたらいいなぁ…」

という人がいるなら今からでもいいのでチャレンジされることをオススメします。

 

 

週に一度、たった10回でもシャカシャカするとずいぶん変わるし、私は精神集中にもなる点でも好きな作業です。

 

 

 

とはいえ、研ぎ方を知らなければ包丁をダメにすることにもなるので、近所に研いでくれるお店があれば定期的にお願いしてもいいと思います。

 

 

 

いつか包丁研ぎの講座もやりたいなぁ・・と思ってはいるのですが、とりあえず今のところは10/6 横浜で行う肉フェス〜牛肉解体〜の講座のみです。

 

 

まさに日常的に使っている包丁を持ってきてもらい、お肉を解体する前に研ぐのですが、家に帰っても研げるようにしたいので一方的に教えるだけでなく、もちろん研いでもらいます。

 

切れない包丁と切れる包丁の見分け方や、研げたかどうか目安の見方もお教えします。

 

初めての試みですが、もう何年もやり続けていることなので一般家庭の主婦でも続けられる方法をお伝えします♪

 

どんなに良いことも続けられなければ意味がありませんからね!

 

 

 

よく切れる包丁で調理する楽しさ・楽チンさ・気持ち良さを味わって欲しいし、「包丁を研ぐ」という単純なことにより、またさらに毎日のごはんづくりを楽しくできる人が増えるならやらない手はありません。

 

 

子どもにも伝えていける技を身につけながら、酸化していないお肉料理を超絶カンタンな調理法でつくってワイワイ食べる。

 

最高の講座です☆

 

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カラダのことを考えた卵かけごはんの食べかた

FBのお友達から美味しい卵をいただきました☆

 

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とても丁寧に梱包された卵たちです。

 

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生産者さんの心が見て取れますね。

 

 

 

以前にも鳥取のお友達からいただいたことがあって美味しいことを知っていたから、とっても嬉しくて…

 

思わず、翌朝は卵かけごはんにしていただきました。

 

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久しぶりの卵かけごはん(^-^)♪

 

 

昔こそ時々は食べていましたが、今は丁寧につくられた新鮮な卵でしかいただくことがありません。

 

 

だから、私にとって卵かけごはんは、卵が新鮮なうちしか食べられない贅沢品です。

 

 

 

あまり頻繁に食べない理由はいくつかありますが、そのうちの1つは、

あまり噛まなくなるから。

 

 

同じ理由で、納豆もごはんにかけてたべることはありません。

 

どうしてもスルスルと入っていってしまうから。

(お茶碗が洗いにくくなるという理由もあり)

 

 

「カレーは飲み物だ」

「卵かけごはんは飲み物だ」

と言う人にはなんのこっちゃわからん言い分かもしれません(^-^;

 

 

 

 

でも、食とカラダの関係性を知れば知るほど『咀嚼』という工程がいかに大切かを身にしみてわかるようになります。

 

 

「とにかくもう何でもかんでも腸の状態が関係してくる」

と言っても過言ではありません。

 

 

腸を整えたければ、胃は無視できません。

 

 

胃を思うなら咀嚼は必ずついてまわります(;´д`)

 

 

 

だから、どんなものでも『いかに噛むか?』というところに健康への重要な第1歩が隠れていると思うのです。

 

 

 

そこへきて、卵かけごはん。

 

 

いわゆる「かっこんで」食べている人もよく見かけます。

 

 

が、いくらスルスルと入っていくものでも、やはり噛みたい!!

味をしっかりと感じるためにも噛みたい!!

 

 

そこで、卵かけごはんをガガガーーーッ!ズルズルズルーーーッ!とかっこまずに食べる方法として、私は一口分ずつ海苔で巻いて食べるようにしています。

 

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卵かけごはんに鰹節を混ぜ込んだもの。最初は鰹節なしでいただいて途中で混ぜこみました♪

 

 

 

卵のおかげでごはんがツルツル滑るので、普通にお箸でつかもうとしてもなかなかつかめない。

 

だからかっこむのでしょうけど、ある程度のボリュームで口の中に入れて、なおかつ、しっかり噛める状態にしたいもの。

 

お箸で1度にすくい上げられるごはんの量は少なくても、海苔で巻けばそれも気にならずに食べられる。

 

海苔と一緒にごはんも噛むことになるので、ごはん粒を丸呑みする確率も低くなる。

 

 

…というわけで、私は面倒でも一口分ずつ海苔で巻いて食べるようにしています。

 

 

 

時々おやつに納豆を食べることがありますが、そのときも海苔で巻いて食べるようにしています。

 

 

すると、たった1杯の卵かけごはんでも、たった1パックの納豆でも、とても満足感が得られます。

 

 

海苔をプラスすることにより、栄養はもちろん、香りや歯ごたえが増すという点もあるかと思います。

 

ですが、やはり『噛む』ことによって得られる満足度は十分にあると感じています。

 

 

ちょっとしたことですが、ひと手間で1食のごはんやおやつが豊かになります。

 

それに加えて、カラダにも負担が少ないとなれば、やらない手はないと思います。

 

 

今まで『咀嚼』をあまり気にせずに食べてきた人も、ほんの少し気にしてみてはいかがでしょうか。

 

 

子どもの学び欲を最大限に発揮させるために親ができること

先日、娘のお誕生日でした。

 

 

5歳ともなると、さすがにお誕生日には何かプレゼントがもらえるとすっかり思い込んでいて、数日前から「アレが欲しい」「コレが欲しい」とおねだりしていました。

 

娘が一番ねだってきたおもちゃと本は本人の捨てられない性格上、あれこれとあるので最初から私の眼中にはなく、季節の変わり目だし、秋冬物の洋服にしようと思ったものの、まだ去年買ったものが着られそうだったので却下。

 

 

じゃあ、どうしよう・・・

と夫と話し合った結果、腕時計にしました。

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半年くらい前から、「そろそろ自分で時間管理ができるようになるといいな」と思っていたので、ことあるごとに

「長い針が5のところまできたらお片づけしようね」

「短い針が3のところにきたら3時だよ」

などと話していました。

 

 

そしたら、1〜2ヶ月前くらいから急に夫の腕時計に興味を示してきて、

「私も欲しい!」

と言い出したのです。

 

 

見かねた夫が、電池がなくなって使わなくなった腕時計を実家から持ってきて娘に渡したのですが、もらった本人は針が動いていないことが気に入らないらしい。

 

そんなことより、一番小さな穴で止めても何せ紳士用の腕時計なのでスポスポ抜けるのがイヤで

「お父さんのみたいにピッタリしてない!」

と言ったりして。

 

 

時計が読めるようになるといいな…と思っていた私としては、針が止まっていたら意味がないので、今回は私の意見を優先させてもらって決めました。

 

 

 

 

私は、人はいくつになっても、何かを習得するためには興味を持ったときが一番吸収できるタイミングだと思っています。

 

これは自分の経験からの考えです。

 

 

 

世の中には、子どもに早くからいろんなことを学ばせるツールが溢れていますが、何歳からどんなものを提供しようが、本人の興味がなければ成果は半減すると思うのです。

 

 

英会話

バレエ

ピアノ

習字

そろばん

ダンス

剣道

柔道

 

「これからは英語くらい話せないと!」と小さいうちから英語教育に触れさせるより、自国の言葉の美しさを伝える方がずっとずっと大事なことだというのは私個人の強い想いだとしても、

 

「音楽というものに触れさせたい!」

「頭の回転は早い方がいい!」

「礼儀作法は身につけておいて欲しい!」

などなど、大人のいろいろな思惑はあるにせよ、本人の興味や意欲がなければただの押しつけでしかありません。

 

 

 

 

早い子なら3歳で文字を書けるようになる子もいますが、娘が文字に興味を持ち始めたのはつい最近… 3〜4ヶ月前からだと記憶しています。

 

 

絵本の文字、幼稚園からもらってくるプリントに書いてある文字、看板の文字、、、

いろんな文字を指差しては、

「これ何て読むの?」

「これに点々がついたら何て言うの?」

「あ!これ私の名前の字や!!」

と言うようになりました。

 

 

それからです。

去年のクリスマスにサンタさんからプレゼントしてもらった文字が書いてある積み木で遊びはじめました。

 

 

いただき物のかるたを楽しめるようになったのもこの頃からです。

 

 

その様子を見て、お風呂の壁にこんなものを貼りました。

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 世間のペースで考えるとずいぶんと遅いのかもしれませんが(^_^;)

 

 

 

世にある知育本などを見てみると、1〜2歳児向けの本でも文字が書けるようにするページがあって驚きます。

 

 

まぁ、世の中に「文字というものがあるよ」と伝える一番最初のステップだと思えなくもありませんが、それさえ、今が最適かどうか?という親の判断は必要だと思うのです。

 

 

「やった〜!文字が書けるようになった!!」

という大きな喜びも、本人の自覚がなければ大人のエゴにしかなり得ません。

 

 

そのためには、まず『本人が興味を示しているか?』が一番重要です。

 

 

 

これは、早く文字が書けるようになることを批判しているのではなく、本人の意思や意欲を先回りして大人が手をかけすぎていないか?という視点を持つ必要性の話です。

 

 

 

親が子にあれこれ期待をするときは、だいたい誰かと比較をしている時が多いような気がします。

 

 

「うちの子も◯◯ちゃんみたいに」

「この子も上の子みたいに」

「昔 私が辛い思いをしたから」

「私はこれができたおかげで幸せだったから」

という想いが子に託されていくパターンが多いのではないでしょうか。

 

 

そんなの、子にとっては迷惑でしかありません。

 

 

子どもといえど他人ですから。

 

子どもといえど意思や考えがありますから。

 

 

 

2歳で英語に興味を持つ子もいる

5歳で計算が得意になる子もいる

8歳で歌を唄うことに楽しさを見出す子もいます。

 

でも、歌を唄うことが楽しいと思わずに一生を終える人もいます。

 

 

 

男の子なら全員 電車に興味があるわけではありません。

女の子なら全員 ピンクが好きなわけでもありません。

 

 

その子が英語に興味を持たなくても、計算が苦手でも、歌を唄わなくても、電車に興味がなくても、ピンクが嫌いでも、親をはじめとする大人が焦る必要はないのです。

 

その人生は、あなたのものではく、その子のものですから。

 

 

「そうは言っても、、、」と思う人は、自分が同じようにされたら息苦しくないか?と考えてみてください。

 

 

 

 

親は子のサポート役。

 

本人が興味を示したと見受けられた時にそっと手を差し伸べる程度でいいのではないかと思います。

 

 

 

子どもは他人。

 

友達にできないことは子どもにもできませんよね。

 

 

 

地に足のついた情報を共有するからこそ得られるもの

前に聞いた話。

 


世の中には、自分はいつもやっていないのに、お金をもらってそれを人に教えている講師がいるらしい。

 

過去の体験でのみ語っていて現在はまったくやっていなかったり、どこからか仕入れた情報を渡しているのだそうで。。。

 

それを「これが大事ですよー!」「こうしましょうね!」って教えてると。

 

 

「虚しくないのかな?」と瞬間的に思いました。

 

 


自分で実践し続けてるからこそ中身が充実するだろうし、本人も受講者も満足度が高くなるだろうに、、、

 


それが、料理教室でもあるというから驚きでした。

 


でもたしかに、例えば計量スプーンや計量カップを使って教室やってる人は、家でも使ってるのかな?とか思います。

 

毎日毎食そんな邪魔くさいことしてんの?!って。

 


たぶん、、、使ってないだろうな・・・


いや、わかりませんけど、、、  たぶんね。

 

 

 

世にある料理教室のほとんどは、

『確実に同じものが作れるように考えられたレシピを伝える』

という前提のもとで行われているのだろうと思います。

 

そのためのツールとして必要なのが、計量スプーンや計量カップやタイマー。

 

 

量も時間も、もしかしたら温度さえもキッチリ管理した上でつくる料理の数々が紹介されているのかもしれない。

 

 

 

でも、家族の体調管理・自分の仕事の時間管理・家計の管理・幼稚園や保育園や学校行事などを絡めたスケジュール管理…

 

世間の母親に課せられた管理は他にたくさんあります。

 

しかも、ごはんづくりの管理よりも重要な管理ばかり。。。

 

これ以上、管理するものが増えることは女性たちにとって負担ではないだろうか?

 

 

というより、そもそも自分が普段使っていないなら、生徒さんにも使わなくても済むコツを教えたらいいと思うのは私だけかしら?

 

 

 仮に本当に計る道具を一切使わずにつくっているとして、

「なぜ使わないの?」

と質問したら、きっと

「使わなくても美味しいものができるから」

という答えが返ってくるのかもしれない。

 

 

じゃあ、使わなくてもできる、あなたが普段やっている方法を伝えればいいんじゃないの?

と言いたい。

 

 

まさに生きた情報を伝えたら?

と。

 

 

 

 

今でこそ、スーパーに行けば季節を問わずいろんな野菜や魚が手に入ります。

 

ですが、素材には「旬」というものがあります。

 

 

キャベツも大根も玉ねぎもジャガイモも、旬のもとそうでないものとを食べ比べると味は違って当然です。

 

 

キャベツも外側の葉と芯に近い葉は味が違うし、大根も葉に近い部分と先っぽの細い部分とでは味が違います。

 

 

卵を産んだ鶏肉とそうでない鶏肉は味も食感も違います。

オスとメスでも違います。

 

 

 

そういう揺るがない大前提があるかぎり、いつでも確実に同じ味のものをつくるということは本来 不可能なのです。

 

 

 

当たり前の話ですが、味覚は感覚です。

 

美味しいかどうかを判断するのは、味覚をはじめ香りや歯ごたえという、これまた感覚です。

 

 

ということは、美味しいものをつくるためには、自分の感覚を磨くことが一番大切なのです。

 

 

大さじ3杯

小さじ1杯

50cc

170℃で10分。。。。。

 

多くの料理レシピに書かれている数字ばかりをインプットしてしまうと、感覚は確実に鈍ってきます。

 

 

 

じゃあ、何のための数字なのかというと、目安を把握するための数字なのです。

 

 

 

世に出回るレシピには、

これはあくまでも目安です。調味料をはじめとする材料の量や温度や時間がどれくらいのものなのか、よく見て、よく感じて覚えていけるようにしましょう!

なんてどこにも書いてありませんが、私は1つの指標だと思っています。

 

まぁ、それが書いていないからレシピとにらめっこをし続ける女性が多いわけですが・・・

 

 

 

 

私の講座では、一切計量しません。

 

感覚のみです。

 

 

「どれくらい入れるんですか?」

「何分くらい茹でるのですか?」

「何度で焼くんですか?」

と質問されてもハッキリとは答えません。

 

 

「適当です」

「美味しいと思える量で」

「いい感じになったらok」

とか。

 

オーブンで塊肉を焼くときも、

「今日の場合は◯度で△分焼きましたけど、お肉の大きさや状態やオーブンの機種によってもかなり変わりますからね」

とか

「必ずお肉を指で押してみてください。その感覚で火が通っているかどうかわかるようになってくださいね」

と言うようにしています。

 

 

情報を受け取った人が数字だけを鵜呑みにしないための予防策です。

 

 

 

これまできっちり計量して、時間や温度も書かれている文字を見てご飯をつくってきた人はほぼ面喰らいます。

 

不満そうな顔をする人もいます。

 

でも、そこを乗り越えなければ、自分の感覚を信じるチャンスを失ってしまうと思うのです。

 

 

 

 

もし、私がつくったものを美味しいと感じるなら、私がこれまで経験してきた失敗や反省も同じくらいしなければその味は生まれないと思っています。

 

 

傲慢に感じるかもしれませんが、本気でそう思います。

 

 

 

でも、私は普段 家でやっていることをそのまま講座で伝えています。

 

 

 

だから、講座受講後の嬉しいレポをいただくと、「伝えてよかった!」「やってよかった!」と心底思うのです。

 

 

 

 

『お母さんの味方☆5つの魔法の調味料講座』は、私の講座の中でも最も再現性のある内容なので、講座の当日につくれぽが届くことが多いのですが、9/9に行った東京講座の受講者さんからも、

 

講座で習った、豚ミンチに◯◯を入れてモミモミする肉団子!

朝モミモミしておいて、帰宅後にフライパンに投入~☆

そこから出た油で豆苗とえのきをさっと炒め、△△+お酢でマリネしたお野菜を添えて…

いつもなら木曜の夕飯なんてへとへとすぎて半泣きしながら作っていたのに、なんて楽チンなの!!

しかも美味しいし!

魔法の調味料との出会い、これは紛れもなく感動ものです。

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と写真付きでレポをいただきました。

 

 

 

自分でも実際に使っているものたちを紹介したからこそ得られる感動と達成感があります。

 

 

 

 

メッキは必ず剥がれます。

 

 

口先だけの言葉も、軽くて相手に届きません。

 

 

 

伝える側も受け取った側も、同じだけの感動や達成感や希望を抱くからこそ信頼が得られ、絆ができていくのだと思います。

 

 

 

それには、やはり自分で出向いて伝えていくしかないですね。

 

 

 

おかげさまで、どの講座も各地からリクエストをいただいていますので、可能なかぎり足を運んでいきます。

 

 

受講者限定のごはん会をはじめ、受講したからこそのお楽しみも増やしていきたいと思っています。

 

 

お近くで開催する際にはぜひ♪

 

 

 

講座のスケジュール等はこちらから

↓↓↓↓↓

やもりなおみ公式サイト

 

 

 

 ちなみに、11/19新潟講座は残席わずかです。

お得な早割ワンデイチケットは残すところ1名のみ。

お早めにどうぞ。

 

 

 

今の仕事に生きている手応えを感じていますか?

先日、娘が観ていた子ども向けの番組の中で

「仕事ってね、ごはんを食べたり、服を着たり、家に住んだり…  毎日暮らすためにすることが仕事なんだよ」

と言っているのを耳にしました。

 

 

そのとき、何となく違和感を抱きました。

 

 

 

衣食住のためにするのが仕事

という概念への違和感です

 

 

 

収入が少なくなったとしても、食費だけはカットしてはいけないと思っている私としては、

「何のためにお金を稼ぐのか?」

と聞かれたら、

「ご飯を食べるためにお金は絶対に必要です」

と答えます。

 

 

満足に食べられなかった時期もあったから余計にそう思うのかもしれませんが。

 

 

 

 

人は、他から命をもらわなければ生きていけません。

 

食べものを食べないと生きていけないカラダの造りになっています。

 

 

だから、生き続けることは食べ続けることと同意です。

 

 

 

そう考えると、

「何のためにお金を稼いでいるのか?」

の問いに対しては

「ご飯を食べるためですよ」

と答えるのは真っ当だと思っています。

 

 

 

 

 

ですが、『仕事』となると話は別です。

 

 

 

 

2〜3週間ほど前、娘と一緒に歩いているとき、

「お蕎麦屋さんもあるし、自転車屋さんもあるし、薬屋さんもあるし、歯医者さんもある。なんでこんなにいろんなお店があるの?」

と聞かれ、私は

「どんなに小さなお店でも、『人の役に立ちたい』って思ってできてるのよ」

と答えました。

 

 

 

人の役に立つこと

これが私の中での仕事の定義です

 

 

 

人の役に立つから達成感も生まれるし、人の役に立とうとするから課題も挫折も生まれるのです。

 

 

 

そして、その仕事にどれだけ使命感を持っているかで充実度もかなり違ってくる、とも思っています。

 

 

 

 

 

使命感とは何か?

 

 

 

私なりに書くなら、

自分がやらなきゃ誰がやる!

という熱意です

 

 

 

国内や海外で起こっていても隣町で起こっていても、何かの問題に触れたときに、居ても経っても居られない想いを抱き、解決のために日々 自分のスキルを磨きあげる

 

これは使命感がなければできません。

 

 

 

どれだけ人の役に立っていようが、それが真の喜びにつながっていなければ、もしかしたら使命感ほどは持っていないのかもしれません。

 

 

 

 

 

昨日SNSで、お風呂も入らずご飯も食べていない親子のエピソードを読みました。

 

実話かどうか真相はわかりませんが、貧困や病気や虐待などで人が餓死したニュースも流れるくらいですから、まったく有り得ない話ではないな…と思いながら読んでいました。

 

 

こういう話に触れると

「あぁ…  まだまだ私がやるべきことは山積みだな」

と、自分の力不足を感じつつも今後の大きな課題が見えてきます。

 

身震いがするほどです。

 

 

時には、理想と現実のギャップに泣けてきたりします。

 

 

 

でも、それは使命感があるからだと自信を持って言えます。

 

 

 

 

使命感があると、達成感も挫折も何倍にもなって押し寄せてきます。

 

 

それが「生きている手応え」になるのです。

 

 

 

達成感も挫折も、

「あぁ…  今を生きているんだ!」

という確かな手応えとなります。

 

 

 

 

 

私は、今の活動を『仕事』だとも『使命』だとも思っています。

 

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いつだったか、

「今やっていることは仕事じゃなくて趣味でしょう?」

と言われたこともありますが、言葉を濁しました。

 

 

 

 

確かに、得意なこと・好きなことをやっています。

 

 

 

でも、だからと言ってのほほんとやっているつもりはありません。

 

 

他人からどう見られているかはわかりませんが、そんなことは私には関係のないことです。

 

 

 

自分が使命感を感じて、毎日「どうやったらもっと人の役に立てるだろう?」と考えながら暮らしている以上、私にとっては立派な仕事だし、使命です。

 

 

 

趣味程度の心持ちだったら、もう早くに投げ出していてもおかしくない状況もなんとか乗り越えてきたという自負もあります。

 

 

 

 

 

『仕事も職業もつくる時代だ』と思っている私と、

『仕事=雇用される』と思っている人とは、そもそも話が合わないのかもしれませんが、自分で仕事をつくることが可能になったからこそ、定年などなく、人生を通してやり切れるし、より充実した人生を送ることができるのだと思います。

 

 

 

 

 

と考えると、子どもに

「大きくなったら何になりたい?」

という質問ではなく、

「これからどんな人生にしたい?」

という質問の方が最適だと思うし、そう質問しても答えられる子どもにするためにも大人の在り方・親の在り方が重要だとも思います。

 

 

 

 

人は誰にでも使命はあります。

 

それを見つけられるかどうかは、毎日の過ごし方やアンテナの張り方も関わってくるのでしょうし、自己分析・自己対話も必要になってくるでしょう。

 

 

 

 

時代が大きく変わっていく狭間を生きている人たちには、ことさら柔軟性が求められるのだなぁ…と痛感いたします。

 

 

 

この過渡期をチャンスと思うか否か。

 

 

その差が次世代へも引き継がれていくような気がします。