赤ちゃんのうつ伏せ運動は必要か?

赤ちゃんは、生まれてきたときは腕も脚もまだまだ骨は柔らかい

 

首なんてヘニャヘニャで、頭と首とを支えてあげなければ危険だ

 

 

 

馬や牛など動物の子は生まれたその日のうちに立ち上がって歩きだすけど、人間の子は長い時間をかけてカラダをつくっていく

 

それは当然のことであり、何らかの手によってそれを早めたりするものではないと解釈している

 

 

 

けれど、時々子どもの身体的な成長を早めようとする大人を見かけてヒヤヒヤすることがある

 

 

たとえば、まだヘニャヘニャの赤ちゃんをうつ伏せにして首を鍛えようと運動させること。

 

 

先日もSNSで見かけた

 

 

生後1ヶ月くらいの赤ちゃんがうつ伏せにされて頭を一生懸命あげようとしている

 

「がんばってます!」と書いてあった

 

 

 

 

 

頭を支えるために必要な筋肉や骨が発達すれば、赤ちゃんは勝手に寝返りをする

 

まだ寝返りをしないということは、頭を支えるために必要な筋肉や骨がまだ未熟だということだ

 

 

でも、それをなぜか待てない大人がいる

 

本人のペースに任せられない大人がいる

 

 

 

おそらく、成熟するまでの時間を短くすることで親をはじめとする周りの大人は安心したいのだと思う

 

「あぁ、ウチの子は大丈夫だ!」

「この子は “ちゃんと” 育ってる!」

と。

 

 

早く自分たち大人と同じ状態にもっていきたくて、それが一番良いことだとも思っているかもしれない

 

大人の姿が完成形だと捉えているのだろう

 

 

かなり歪んだ見方だとは思うけど、早く結果を見たがってる・早く安心したがってるように思えてならない

 

 

 

 

でも、結果は早ければいいとは思わない

 

 

動物も人間も、早く成長すればいいとは思わない

 

 

カラダに無理をさせることによって生じる危険性も大いに孕んでいるはず

 

なのに、うつ伏せ運動を推進している病院や自治体などの団体はそれを伝えない

 

 

 

かくいう私も、娘の1ヶ月検診のときにうつ伏せ運動を勧められて生後3ヶ月くらいのときにやったことがある

 

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2〜3回やっただろうか…

 

やったものの、何となく違和感があった

 

 

これはもしかして余計なことなんじゃないか?

本人がこの体勢を求めているなら、勝手にこの体勢になるだろうに、それを大人の手によって無理やりさせることは、本人には苦痛なんじゃないだろうか?

本人の成長に任せておけばそのうち首もすわるだろう

未熟な時間なんて、この子の人生では点みたいなもの。

それを今楽しまなくてどうする?!

この子の成長を心から信じて見守るのは、この子の一番近くにいる私が誰よりも適任じゃないのか?!

 

と自問しました

 

 

 

 

当時の私としては、成長した娘を早く見たい!とか、それによって早く安心したい!などの自覚はなく、ただ「検診のときに言われたから」という、ただ盲目的にやったけれど、結果的に同じことをしていたわけで、今となっては「しんどかっただろうに…  かわいそうなことをしたな…」と反省要素の1つになっている

 

 

 

こういう、赤ちゃんのカラダに無理をさせるようなことが定着しているのは、きっと、共働きの家庭が主流で、生後半年から子どもを預けて働きに出る女性が増えたことにより、

「早く手がかからない状態にした方が助かる人が多い」

という、ある意味 ニーズとして捉えられているのも理由の1つのような気がする

 

 

 

すべては大人の都合

 

 

それによって、言葉もしゃべらず表現力の低い赤ちゃんたちのカラダは無理を強いられているのではないだろうか?

 

 

たとえ実害などはなくても、未熟な時間も楽しめる、余裕のある大人たちで子どもたちを守り支えていければと思う

 

 

 

まだ脚も腰もフラフラなのに手をつかんで歩かせようとしたり、1人でお座りできないのに座れる椅子や歩行器を使ったり…

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ネットから拝借

 

 

 

もし娘が自分の子にしていたら、

寝返りできるカラダになったら勝手にするし、お座りできるカラダになったら勝手にするし、立てるカラダになったら立つし、歩けるカラダになったら歩くねんからそっとしとき!!

親のあんたがこの子を一番に信じてあげへんかったらどうすんの!?

あんたの子やから大丈夫!

焦らんと待ってあげて!

と言うだろう

 

 

 

ジッと寝ることしかできなかった子が手足をバタバタさせ、布団の上をグルグル回るようになり、全身を使って「よいしょ!」と寝返りをし、腕の筋肉がついてきて少し前後に進むようになり、気づいたら座って遊んでいたり、つかまり立ちして…

 

人間の子どもは本当にゆっくりゆっくり成長していくから、忙しい現代人にはじれったいところもあるかもしれないけれど、時間をかけるからこそ整うものがあると思っている

 

 

 

 

何でもかんでも大人の頭で考えたことが正解とは言えない

 

机上の空論ということは往々にしてある

 

というより、むしろ、我々大人にとって子どもは先生

 

たしかに大人がサポートしていく場面もあるけど、子どもから学ぶことは予想以上にあるわけで…

 

 

 

私たち大人が子どもにできることは、あれこれと先回りして手を打つことではなく、たとえ手を出したくなる瞬間があってもジッと耐えて、子どもが一生懸命成長しようとしている様子を見守ることだと思う

 

 

生後数ヶ月であろうが、成人になろうが、人の親になろうが、

「あなたならできる!大丈夫よ!」

と、いつでも言える親でありたい。

 

 

長岡花火と祇園祭に見た「お天道様」の存在

先日、貴重なご縁をいただいて、新潟の長岡花火を観覧する機会に恵まれました。

 

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長岡花火は、噂どおりの素晴らしいクオリティーで、観ている私たちを一瞬たりとも飽きさせず、すっかり魅了されてしまいました。

 

 

特に、多くの人から「泣くよ」と言われていたフェニックスという、平原綾香さんの曲に合わせて広範囲で繰り広げられる花火は言葉を失い、代わりに涙が溢れました。

 

 

 

長岡花火というのは、大東亜戦争で焼け野原になった長岡市の復興と、戦争で亡くなった方々の慰霊を込めて復活したお祭りらしく、今年で70年になるということ。

 

それゆえ、白菊と名付けられた尺玉3発が初めに打ち上げられます。

 

 

 

 

戦後70年以上が経ち、戦争体験者が少なくなってきた現代において、このようなお祭りによって「戦争」というものが後世にまで伝わり続けていることは、とても貴重なことだと思います。

 

 

到底 話し合いなどでは理解してもらえないであろう隣国が核だのミサイルだのとざわついているにも関わらず、「戦争反対!」といつまでも訴え続けるのはまさに平和ボケであり、これまでの歪んだ学校教育が生んだ結果とも思ったりしますが、

 

とはいえ、今ある平和や幸せを心から有り難く感謝する機会が身近にあることの素晴らしさを感じることができました。

 

 

 

 

会場に着いた頃は心地よく吹いていた風も、花火がスタートした途端に止み、打ち上げられる花火の周りには少し煙が溜まってしまったのですが、周りに座ってらっしゃった、おそらく地元の方だと思われる数人の方が、

「煙が溜まってしまってるね… かわいそうに…」

「悔しいだろうねぇ…」

と、花火師さんはじめ、お祭り関係者の心を察した言葉を口々に話されていたのを聞いて、

「関係者だけでなく、地元市民も全力でこの長岡花火の成功と伝承を心から願っているのだなぁ…」

と感じました。

 

 

これは、お互いに、相手に対する尊敬と感謝が根底になければ成り立たない

 

 

関係者も、観覧者も

「おかげさまで無事に今日を迎えることができました」

という思いが根強いはず

 

 

このネット社会において、この関係性は本当に理想だと思いました。

 

 

 

 

花火が終わり、歩行者天国になっている道路を駅まで歩いていると、3〜4階ほどのビルの屋上から子どもたちの声が聞こえてきました

 

 

よく聞くと、

「今年も見に来てくれてありがとう!また来年も来てくださーーい!」

と手を振りながら叫んでいたのです

 

 

 

なんという自尊心の高い子どもたちなんだと驚きました。

 

 

 

きっと、長岡花火の歴史を周りの大人たちから聞いていて、きっとおじいちゃんやおばあちゃんたちとのつながりも強いのだろうと想像しました

 

 

普段から、「あなたが今ここにいるということはね…」と、ご先祖さんの存在を意識できるような親からの語りかけがないとできないこととも思いました。

 

 

 

花火を観て心が震え、地元の方々の姿を見てまた心が震え…

 

私も1人の人間・1人の親としての姿を見直す貴重な機会となりました。

 

 

 

 

京都には祇園祭というお祭りがあります。

 

無病息災を願うお祭りです。

 

 

山鉾巡行が行われ、

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その後、八阪神社の神々が祀られている三基のお神輿が練り歩くのです

 

 

 

お神輿の担ぎ手は何百人ともなり、その何百人もの人たちの指揮をとるために拡声器を使って掛け声をかけながら担いだり練り歩いていきます。

 

 

 

しかし、そのうちの一基が通るある商業地区の一部のお店から

「うるさいからお神輿が通るときは拡声器を使わないで欲しい」

との声が出たそうで、今年からその一帯を通る際はマイクを使わずに通ることになったという話を聞き、ショックを受けました。

 

 

 

あの掛け声は、大人数をまとめるためでもありながら、遠くの人に

「お神輿が来ましたよ」

というお知らせも兼ねているのです

 

 

その拡声器での声をきっかけに、住人たちは外に出てお神輿を拝むことができます

 

 

実際に、お神輿が通るのを待って、手を合わせて拝んでらっしゃる年配の方の姿があります

 

 

 

小さな頃から、何かと言うと

「神様はちゃんと見守ってくださってるからね」

とか

「誰が見てなくても、神様からは見られてるよ」

と言われて育った私は、

『神様によって守られてきた私たちの命に感謝をし、今後も無事に命をつないでいけるよう祈願するのが神事』

と認識しています

 

 

 

それを、「うるさい」という感覚で捉える人がいることに大変なショックを受けたのです。

 

 

 

言葉を選ばず書くならば、

「うるさいとは何たることだ!誰のおかげで今の命があると思っているんだ!」

というのが正直なところです

 

 

ですが、幼い頃から親をはじめとする大人たちからの語りかけがなければ、神々の存在を周りにお知らせする声とて違和感になってしまうこともあるかもしれません

 

 

 

 

そして同時に、もしかしたらそれを楽しみにしている人がいるかもしれないのに、反する言い分をすんなり受け入れた神社側にもある程度の憤りを感じました

 

「そんなときこそお祭りの目的や真意を伝えるときじゃないの?!」

「これによって多くの人にお神輿の存在を知らせることができるから止めることはできないと一蹴してしまえばよかったのに…」

と。

 

 

 

しかし、真相はわかりません。

 

 

本当は神社側も何度も交渉されたかもしれないし、お祭りの歴史や存在意義を説明されたかもしれない

 

 

それに、どんなものでも時代に合わせて少しずつ変化していくのは世の常で、今後もお祭りを存続させるためには必要な苦渋の決断だったのだろうとも察します

 

 

 

 

しかしながら、我々日本人は、

「お天道様が見ているよ」

という教えを元に育ってきた感覚があります

 

だからこそ、思いやりがあり、冷静で、穏やかで、他者の気持ちを察することができる国民で、世界では珍しく「自然あっての人間」という考え方ができる民族でもあります

 

 

見えないものを大切にする気持ち

見えないものを敬う気持ち

 

それは、自然であったり、先祖であったり、神様であったり…

 

 

そこに思いを馳せることができるかどうかが、個人の豊かさにつながるような気がしてなりません

 

 

 

この夏のお祭りで、両極端のことを経験しました

 

 

今を生きる人間として、

次世代と暮らしている親として、

今後どう立ち振る舞うのか?

 

大きなきっかけとなりました。

 

 

何はなくともお出汁があれば人は元気になっていく

先日 完全クローズドで、子育てママたちのためにお昼ご飯をつくりに静岡まで行ってきました

 

 

だし巻きやら唐揚げやらフォーなどのリクエストがあったので、最初は鶏づくしにしようかと思ったり、

「まぁそんなのは関係なしで調達できた食材で適当につくるか!」

とか思ったりしてましたが、途中で、参加メンバーのほとんどが妊婦さんだということが判明し、いろんなお出汁を味わってもらう時間にしようと決めました

 

 

 

昆布と鰹節のお出汁と鶏がらスープの他に、子牛のスネ肉を輪切りにした骨つきも使って。

 

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 野菜もたっぷり!

 

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 骨から簡単に外れるくらいホロホロに。

 

 

 

なぜお出汁か?というと、

 

それは、

栄養の吸収が良いから。

 

 

 

お肉やお魚や野菜から抽出された成分は、とても分子が細かく、胃腸にも負担が少ない

 

 

胃腸への負担が少ないということは、カラダに吸収されやすい状態だということ。

 

 

吸収されやすい状態ということは、吸収された栄養がカラダをつくる材料になりやすい、もしくは、炎症などの修復にも回りやすいということ。

 

 

 

 

小麦ものが多い現代

咀嚼力が弱い人が多い現代

胃酸過少な人が多い現代

 

「人は、食べたものでつくられている」

とは言えなくなってきています

 

 

 

 

「人は、消化されたものでつくられている」

と言ったほうが、現代にはしっくりくるでしょう

 

 

 

それほど、消化吸収とは大切なプロセスなのです

 

 

 

 

しかし、胃腸に負担がかかる食事内容や食事の仕方をしていると、消化吸収能力はどんどん落ちてきます

 

 

 

日本人でしっかり胃酸が出ている人なんて一握りじゃないかと思うくらい少ないのに、

「胃がもたれる」

「油っこいものが食べられない」

と言うと、胃酸抑制剤が処方されてしまったり、市販のサプリメントにも何の目的なんだか同様の作用があるものが入っていたりする

 

 

 

ただでさえ野菜の栄養価が低くなってきている時代なのに、人間のカラダという受け皿の機能が低下していては、吸収できる栄養の量も種類も、そしてそれを合成するチカラも減って当然

 

年齢性別問わず、あらゆる不調が出てきて当然

 

 

だからこそ、お出汁なのです

 

 

 

「昆布と鰹節で引くお出汁が美味しくない」

と感じる人は、とりあえず、いつもより量を多めに入れてみてください

 

 

「鰹節が魚臭くて苦手」

という人は、昆布と干し椎茸だけでもいいし、

 

 

「鶏がらスープをとりたいけど、鶏がらが手に入らない」

という人は、手羽先でいい

 

 

豚のスペアリブでも、牛こまでも、とにかく何でもいいから鍋にぶち込んで水を入れてコトコトやってください

 

 

冷蔵庫に余っている野菜があればそれも入れてコトコトやってください

 

 

それなりに美味しいお出汁ができるはずです

 

 

そのお出汁を使う

 

利用法がわからなかったら、塩を入れて飲んでください

 

 

ココロが緩んでいくのがわかると思います

 

 

ちゃんと呼吸ができているかもわからないくらい毎日毎日がんばって、頭もフル回転させているとカラダはガチガチなはず

 

 

カラダがガチガチだと、栄養もうまく入っていきませんから。

 

 

 

 

そういう理由もあって、静岡でのごはん会はお出汁メインの内容にしました。

 

赤ちゃんにも栄養がどんどん取られていくからね!

 

 

 

 

よく、野菜嫌いのお子さんを心配するお母さんがいますが、スープにいろんな野菜を入れて飲ませれば、それだけで野菜の栄養は入っていってますから、そんなに悩むことでもないし、野菜をバクバク食べる子を羨んだりする必要もない

 

「食べなさい!!」って怖い顔をしてたら、それこそ子どものお腹は固くなりますよ

 

 

 

子どものカラダや旦那さんのカラダを心配する前に、まずはお母さんのカラダを整えること

 

 

お母さんがゆとりを持つためにも、

お母さん自身がお出汁を飲んでくださいね!

 

 

「お菓子がご飯」という人に私ができることは?

突然ですが、

3年前の昨日、FBにあげた記事をシェアします

 

 

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【手づくりすること】

 

お米や野菜・お漬物・お味噌と、何かと手づくりする家で育った私。

 

顆粒だしの存在を知ったのは20才前後。

 

母や祖母は、煮干しや昆布や鰹節でいつもお出汁をひいていたし、高校や専門学校でも同様のお出汁のひきかたを習ったので、顆粒だしを知ったところで長年カラダに染み付いている方法でしかご飯を作ってきませんでした。

 

 

今でこそ、栄養の勉強をしたり、食の安全について調べたりしてそれなりの知識はついてきましたが、小さい頃や学生時代、厳密に言うと結婚するまでは

「慣れた方法でやってる」

「それしか知らないから」

というだけの理由でやってきたようなものです。

 

結婚し、家族ができてから本格的に意識し始めましたが、すればするほど「手づくりの良さ」に気づかされます。

 

 

小さい頃は、

「外食したいなぁ…」

「よその子みたいにパフェとかオレンジジュースとかお店で食べたいなぁ…」

としょっちゅう思っていましたが、今更ながら

「家で作ったもんが1番美味しい!1番安心!」

という、耳タコ状態だった父の言葉に強く頷けます。

 

 

食事は命を作るもの。

 

 

特に、将来子どもを育みそだてるであろう娘を持つ母としては、日々の栄養の積み重ねを意識せずにはいられません。
(とはいえ、がんじがらめではなく、「AよりB」「それより先にコレ食べたら?」という、ゆる〜い感じですが)

 

 

先日、母乳と昆布の旨味成分の投稿をしましたが、離乳食を始めた1才の時から昆布と鰹節でひいたお出汁に馴染んできた娘は、大のお出汁好き❤︎

 

1日3食お味噌汁を出しても、小さいお手手で器を持って、チューチュー器用に飲み干します。

 

まだ授乳中なので、周りの、早くも卒乳(断乳)したお子さんよりも汁物の飲み方はまだまだヘタクソですが、それでも、シジミやアサリのお味噌汁や鰯のつみれ汁の時などは、お鍋を指差しておかわりを要求してきます。

 

手づくりご飯を喜んでいた父と、実際にご飯もおやつも手づくりしてくれた母の精神を、少しは私も受け継いでいけてるのかなぁ…と、最近思います。

 

 

今は、踏み台に乗って私と一緒に台所に立ちたがる娘。

 

約30年ほど前、母と私たち姉弟3人とで餃子を包んだり、コロッケを丸めた光景を思い浮かべながら、そのうち娘とも同じ光景をつくることができるかな?と密かに楽しみにしている母です(*^^*)

 


昨日、某ファストフード店の食肉問題がニュースになっていましたが、こういうことがある度に、父のあの言葉が響いてきます。

 

…ということで、今夜はチキンナゲット作ろうかな☆


画像は、私のお味噌汁を横取りする娘の画f^_^;)

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この記事から3年経って思うのは、いつでも『絶対手づくりご飯!!』と思う必要はないけれど、でもやっぱり手づくりご飯はいつでも美味しいし、嬉しい

 

だから、世の中の多くの人にも手づくりご飯を見直して欲しい

 

と思うけれど、それが叶わない人もいる

 

 

 

家族につくってあげたいけど、カラダが思うように動かずつくれない人

 

時間がなくてつくれない人

 

「ご飯をつくる」という意識が薄い人

 

そういう人がつくれるようになるためにどれだけのことができるか?

 

それがこの1〜2年間 抱いている私の課題です

 

 

 

 

ご飯をつくりたくてもカラダの不調や時間がないという理由でつくれない人にはまだいいのですが、

 

「ご飯をつくる」という概念がない人にどうアプローチするか?

 

そこが意外に難しい。

 

 

 

コロッケも焼き鳥も餃子も、買わないと食べられないと思っていた40代の人を知っています

 

家族分の茶碗やお箸がない家庭もあります

 

お菓子であっても満腹になりさえすればそれが食事だと思っている人もいます

 

 

 

根深いことです

 

 

 

その人のお母さんやおばあちゃんの食生活にまで問題が及ぶからです

 

 

そして、それは栄養状態にも課題がある場合が多く、親との関係性にシコリがある場合もあるので、私が介入できることは限られていたり…

 

 

でも、そういうことを踏まえて

「食をもって私にできる何か」

を探していきたい

 

 

 

そのために求められることはたくさんあるでしょう

 

もっともっと私自身が変化していかなければ成し得ないことだと思っています

 

 

 

手づくりご飯の大切さを伝える活動はまだまだ始まったばかりです

無農薬・無添加をスタンダードにするために

昨日、久しぶりに電話相談を受けました。

 

一時期、「食事のこと・料理のこと・子育てのことなど悩みがあればご相談ください。1時間5000円です」と打ち出してやっていたことがあったのです

 

 

それがキッカケで講座を主催してくださったり、講座に参加してくださった方もいらっしゃったり。

 

 

昨日のお相手は、その時に一度相談を受けた方だったので今回は2度目のお電話でした

 

 

 

内容は野菜について。

 

 

ペットを含むご家族に、安心な野菜を食べさせたいと思って自家菜園にチャレンジしようとされているようで、それに関連したお話でした。

 

 

花屋での勤務経験があるのに、いろんなものを枯らせてしまう私からすると尊敬に値します

 

 

 

その方とお話ししている中で、

「私も普通にスーパーで野菜を買ったりしますよ」

と話すと、

「えーー!そうなんですか?!よかった…  なんだか安心しました」

とおっしゃっていました

 

 

 

時々言われることです

 

 

 

どうも、口に入れるものはいろいろとこだわっているように見えているらしく、

 

『「野菜は絶対無農薬!」

「牛や豚も絶対無投薬!」

と決めてらっしゃるんだと思ってました』

 

と言われることがあります

 

 

 

見境いなく買うことはないけれど、取り寄せばかりしているわけでもありません

 

 

 

植物も動物も、消費者としては薬が入らない方が安心ではあるけれど、そればかりを求めて農家さんが苦しむことになってしまっては本末転倒

 

 

 

我々の命となるものをつくっている人ほど豊かになって欲しい

と思っている私としては、消費者の過度の期待で産業が潰れてしまうのは悲しいことです

 

 

ただでさえ、「お客様第一主義」みたいな、お客を変に持ち上げる風潮のある(そして無駄に威張るお客がいる)我が国 日本

 

 

企業やメーカーの努力はものすごく有り難いけれど、これ以上、お客様は神様主義が過剰になってしまうと、いつでも安定したものを提供するあまり、工場製品が増えたり、大量生産が当たり前になったり、輸入ものが増えたりしてしまわないだろうかと不安になる

 

 

 

私は、提供者も消費者・利用者も対等でいることが、さらに良い循環を生むと思っているので、無農薬野菜を必死に探し回って手に入れることはしません

 

 

あるものを有り難くいただく

これが一番ストレスなく暮らせるコツだと思っています

 

 

 

 

無農薬

とか

無添加

とか、あまりにもその言葉だけが大きくなりすぎて、影で苦しんでいる人もいるし、表示のグレーゾーンをかいくぐって本来のそれとは違うものが売られていたりする

 

 

とある食材宅配サービス会社が、

「西日本野菜」

という括りで野菜を販売していることに対し、

『さも東日本の野菜が危険みたいな謳い文句で商売をするのはいかがなものか』

との反論を見て納得したことがあった

 

 

 

たしかに、「西日本野菜」と書いてあったら安心する人はいるだろう

 

でも、「西日本と書いておけば何でも売れる」という状況をつくってしまうと産地偽装は絶えないと思う

 

 

「安心なものを食べたい!」と心底思っている人たちの気持ちを踏みにじることにもなる

 

 

誰も幸せじゃない

 

 

 

無添加』と謳っていて、たん白加水分解物や○○エキスといったものを入れたり、いろんなものをひっくるめて「香辛料」と表示するのも、やっぱり誰も幸せにはならない

 

 

きっと、つくっている人たちも

「ホントは違うんだけどなぁ…」

と思っているはずだし、そう信じたい

 

 

 

何も、西日本野菜がダメだと言ってるわけでも、たん白加水分解物や○○エキスを使うことがダメだと言ってるわけでもない

 

 

変に括ろうとするから、そうでないものが過剰に避けられる状況ができてしまう

 

作り手の思いは置き去りにして。

 

 

 

 

普通に

「美味しい野菜がありますよ」

「大切に育てられた野菜ですよ」

と言えばいいだけで、

 

たん白加水分解物とか○○エキスとかを使ってるなら『無添加』と書かなければいいだけの話

 

 

 

「いやいや、それは、たん白加水分解物も○○エキスも食品添加物じゃないからですよ」

とかいう意見は却下

 

 

本当に真っ当な商品をつくろうと思えば、本来それらは不要なものだから。

 

 

 

 

「本当に本当に、カラダに優しいものをつくるためにがんばってるんですよ!」

という生産者さんはたしかにいる

 

 

 

農薬も、無くそう無くそうとがんばってるけど、「これだけは!」との思いで使っているものもあるかもしれない

 

 

除草剤を使わない苦労や、虫を一匹ずつ排除する大変さの本当のところは私にはわからない

 

 

だから、そうやってがんばっているけど、それでも「これだけはどうしようもない」という農薬があったとしても、それは否定なんてできない

 

むしろ「ありがとうございます」と伝えたい

 

 

 

 

謳い文句だけではわからないことがあるけど、『無農薬』や『無添加』という看板の裏で苦しむ人たちを減らすためにも、あまり言い過ぎない必要はあるような気がする

 

 

無農薬と言えば言うほど、無農薬が特別なものになってしまう


無添加と言えば言うほど、無添加が特別なものになってしまう

 

 

そう思って見渡すと、真っ当なモノづくりをしている人は派手な広告も宣伝もしない

 

 

うちの近所に毎週トラックで無農薬野菜を売りに来ているおじちゃんのそのトラックには、「無農薬野菜」という文字も入ってなければ、のぼりも立っていない

 

野菜が入った袋にさえも表示されていない

 

近所のおばちゃんたちは、

「この人が持って来てくれるもんは何でも美味しいねん!」

と、おじちゃんの代わりにアレコレ勧めてくれたりする

 

 

 

商売の基本は「信用と信頼」だなぁ…とつくづく思う

 

 

 

 

 

無農薬も無添加も世の中のスタンダードにするためには、提供者が大々的に宣伝しないことが初めの一歩なのかもしれない

 

 

 

じゃあ、どうすれば安心な野菜が買えるのか?

というと…

 

 

消費者が生産者とより近くなればいいと思う

 

 

企業を通さず、農家さんから直接買うようにする

 

野菜もお肉も魚も、できるかぎり。

 

 

 

その方が、農家さんに受け取ってもらえる金額も多くなる

 

 

何よりも農家さんの応援になる

 

 

 

そして、加工品はなるべく手作りする

 

 

その方がずっとずっと安心

 

もちろん、すべてとは言わない

 

できるかぎり。

 

 

 

 

生産者さんと直接つながること

なるべく手作りすること

この2つだけで、カラダに入れるものの安全性はずいぶん保たれる

 

 

この2つを常識にしてしまえば、メディアや企業が打ち出す「無農薬」や「無添加」に踊らされることがなくなる

 

 

 

「無農薬」や「無添加」を流行りものにしてはいけない

 

 

まずは、個人の意識から。

 

 

 

 

…と思い、私のベーコンの会の名前も新しくしました

 

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自分で「無添加ベーコンの会」と打ち出してやってはいたけれど、いつの日か「無添加」に違和感があったのです

 

 

無添加」と謳っているのに、正真正銘の無添加ではないものが出回っているのを知ったから。

 

 

そういうものと一緒にして欲しくなかったから。

 

 

 

小さい頃、父がよく言ってました

 

『家でつくったものは何でも美味しい』

 

 

 

 

家でご飯をつくることが当たり前の世の中になって欲しい

 

 

そのための講座は受講しに来てもらうとして(ヤラシイやり方^^;)

 

 

 

 

まぁとにかく、

「無農薬野菜がどこでも買える世の中になって欲しい」

無添加食品が気軽に買える世の中になって欲しい」

と思うなら、

 

①農薬や食品添加物がどんなものかを知ること

②それらを使うことで何がどうなるかを知ること

③何のために使われているのかを知ること

 

まずはそこからでも始めてみて欲しい

 

 

 

そして、企業の謳い文句だけを信じることなく、自分のカラダに入れるものの入手方法は、なるべく自分で開拓すること

 

 

 

こういうことが個人の当たり前として通用する世の中になると、真っ当なものをつくろうとする人が増えると思う

 

 

 

今日は香川 高松でのベーコンの会

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食品添加物を知るきっかけづくりをしてきます

香り(匂い)とカラダの関係を浅いながらも書いてみた

私は、いろんな地方に呼ばれて講座をする機会があるのですが、だいたいは荷物が多いため、自宅から駅までとか、着いた先での駅から会場までとか、タクシーを利用することがあります

 

 

最近、タクシーを止めて乗り込むときに、タクシー内のある所を見るようにしています

 

 

エアコンの吹き出し口です

 

 

 

この、エアコンの吹き出し口に芳香剤が取り付けられていることがよくあります

 

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↑こんなの。

 

 

 

季節柄、カラダから出てくる匂いが気になる時期ということもあるのでしょうが、いつだったか、暑くなりかけた頃にタクシーを使ったとき、車内の芳香剤の匂いにやられました…

 

 

タクシーを止めてドアが開いたときは何も気づかなかったのですが、乗り込んだ瞬間に強烈な匂いがカラダを包み込みました

 

 

もうホントに乗り込んだ瞬間です

 

 

くっっっっさ!!!

 

と思わず言ってしまいそうになるほどの匂いでした

 

 

運転手さんにエアコンを止めて窓を開けてもらうようにお願いしましたが、あえなく却下

 

 

急いでいたし、大きな荷物はすでにトランクに入れていたので、「10分少々の我慢。。」と思い、そのまま乗っていました

 

 

 

降りた後もしばらくズーーーンと頭が重たく痛い

 

 

久しぶりに匂いによる頭痛を感じたので、

「匂いは脳に直接届く」

ということを実感しました

 

 

 

今では、「香害」と打つとウィキペディアでも出てくるくらいの世の中になっているのに、匂いによって頭痛がしたり、気分が悪くなったりする人がいることはまだまだ知られていないのです

 

 

それより、むしろ「もっと強く広がり残る香りを…」と望んでいる人が多いというのが現状

 

メーカーも消費者も。

 

 

 

少し前も、娘と同じ年くらいの子どもを持つお母さん同士が

「良い香りの柔軟剤を探してるのよー!」

「あ!それなら私 知ってる!今度一緒にドラッグストアに行こう!教えてあげる!」

というような会話をしていたのを聞いてゾッとしたことがありました

 

 

 

ちょっと余談ですが、香りと匂いの違いは感覚の違いで、

「良いものは香り、良くないものは匂いと言う」

と昔 弟が言っていたので、「なるほどー!」と思い、私はその基準で今でも使い分けているのですが、

 

上述したタクシーの運転手さんは、芳香剤を「良い香り」と思い、ドラッグストアに行く2人のお母さんは柔軟剤を「良い香り」と感じているわけです

 

 

が、

 

私にとってはどちらも「匂い」

 

 

つまり、「臭い」と判断しています

 

 

 

タバコの煙や排気ガスの匂いと同様

「臭い」

 

 

 

芳香剤も柔軟剤も、香りの成分として使われているのは化学物質なので、その香りを察知した時点で化学物質が体内に入っていることになります

 

 

「良い香り♡」と思った瞬間、

または

「くっっっっさ!!!」と思った瞬間、

もうすでに体内には取り込まれている

 

 

 

人間のカラダは、不必要なものは体外へ排出する解毒機能が備わっていますが、解毒するために使われているのは「栄養」です

 

 

普段から「栄養貯金!栄養貯金!」と、消化吸収しやすいカラダにするためのできうる限りの施しをしながら食べるものを選んでいても、芳香剤ムンムンのタクシーに乗れば、栄養がごっそり取られてしまう。。

 

お隣さんから柔軟剤の匂いがバコーーーン!と家の中に入ってきたら、栄養がズドーーン!と減ってしまう

 

 

 

 

蓄えておいた栄養がなくなるということは、生命維持や成長に使われるはずの栄養がなくなるということです

 

 

普段から栄養を必要としている臓器や骨や筋肉や血管や血液や粘膜やホルモンや脳や免疫などに栄養が行き渡らないということです

 

 

成長期の子どもならどうでしょう?

 

大人でさえも数日間 体調を崩してもおかしくありません

 

 

 

すれ違うだけで柔軟剤の匂いがする人がいますが、街を歩いていても柔軟剤の匂いがするということは、匂いの成分である化学物質が服に残っているということ

 

 

 

温泉に肩こりやリウマチなどの効能があるように、「現代人に便秘が多いのは、裸足で土の中に入らなくなったからだ(皮膚からの土壌箘の吸収=腸内細菌の多様性)」と言われるように、人間は皮膚からいろんなものを取り入れることができます

 

良いものも悪いものも。

 

 

 

柔軟剤の香りの成分である化学物質が皮膚から体内へ入っていっているとすれば、その解毒もまた栄養たちががんばってくれているということ

 

 

毎食 特に栄養のことを気にせず食事をしていた場合はどうなるのでしょう?

 

 

もちろん、合成香料が悪く、天然香料が良いということではありません

 

それは食品添加物も一緒。

 

 

それに、香りによってココロが癒されたり、香りによる治療法があることも否定はしませんので悪しからず。

 

 

 

 

 

私たちのカラダの機能は、正常だとそうでもないのに、異常があると狂ってきます

 

 

やたら敏感になったり、鈍感になったり…

 

 

 

嗅覚に異常が出てくるのは、だいたい亜鉛が足りていない場合に起こりやすい傾向があります

 

 

亜鉛は、味覚・嗅覚・視覚を正常化してくれる働きがあるからです

 

 

亜鉛が足りていないということは、他の栄養たち… ビタミン・ミネラル・たんぱく質ももちろん足りていません

 

 

 

 

私が乗ったタクシーの運転手さんも、柔軟剤を買いに行くお母さんたちも、もしかしたら栄養を吸収できるカラダになると、芳香剤も柔軟剤も使わなくて済むかもしれないと思います

 

 

 

 

 

というか、自分のことを「臭い!」と感じたなら、他の匂いでごまかす前に、その匂いの元を絶たないといつまでもお金と栄養の無駄な消費を続けることになります

 

 

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こういうものも 

 

 

まぁ、すべての人が自分のために使ってるとも思っていませんが。

 

 

 

 

ケミカルなものを使わないお母さんのことを「自然派ママ」と言うようですが、(私はこの言葉がどうも好きになれないけど)

 

そんなことではなく、芳香剤や柔軟剤を使わなくなるということは、他人への迷惑を減らすためだけじゃなく、むしろ、本人のカラダを守るための行為なのだということが少しでも世の中に知れ渡ると、もっともっとみんなが生きていきやすいのになぁ…と思います

 

 

『香害』という名前がなくなる日を願って書いてみました。

「お出汁ですべてを整える」という考え方

先日、娘が数日間 高熱を出したときに私がしたことのいろいろ。 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」←こんな記事を書きましたが、今日はそれの続きみたいな内容です

 

 

 

数日前、お友達のお宅の娘ちゃんが高熱が出たとSNSで見かけました

 

頭痛と熱のみ、他の症状はないとのこと。

 

 

お出汁を飲ませたり、鶏がらスープを飲ませたりしていると書いてあったので、私は

「お出汁をもっともっと飲ませて」

とコメントしていたのです

 

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私はお茶代わりに飲んでいます

 

 

 

たぶん、そのお友達(娘ちゃんのお母さん)は、なんてことない普通の日だったら娘ちゃんの様子をじっくり見ながらどっしり構えていたと思うのですが、なんとなく焦っている感じが文面から見て取れたのです

 

 

それもそのはず、娘ちゃんは数日後にお泊まり保育を控えていて、娘ちゃん本人がものすごく楽しみにしていたので「どうしても行かせてやりたい!だから早く熱が落ち着いて欲しい」と切に願っている状態

 

 

薬を飲めば一時的には下がるけど、また上がってきたりだとか、長引いてしまうというパターンもあるから、なるべくなら使いたくはない…と。

 

 

とはいえ、もちろん、薬は絶対ダメ!と言ってるのでもなく、薬に頼るしかない!と判断した場合は使う派であることは私も知っている

 

 

でも、個人的に私は、

「お出汁は万能薬!」

と、自身の経験でも断言できるほどにお出汁のパワーを信じているので、夏のお出汁の使い方をメッセージしたところ、とっても嬉しいお返事をいただいたのでシェアしておきます

 

 

********

 

なおみさん、おはようございます☀
ありがとうございますm(_ _)m


お陰様で、お出汁飲んだあとから、みるみる顔つきが変わり、快復していったように思います。
本人もはじめはお腹すいたと言うのでおかゆを作りましたが、案の定食べられず、お出汁だと身体が受け付けるのもわかったみたいです。

その後は、自分から夜中もお出汁飲みたいと要求できるようになっていました。


娘は1日半お出汁を飲んで、ひたすら寝て、先ほど元気にお泊まり保育へ出かけて行きました♪
この暑さなので体力の戻りはは少し心配ですが。
めいっぱい楽しんでくれればと思っています♡

 

お出汁の威力にびっくりです!!
楽しみで楽しみで仕方なかったお泊まり保育に行けて感謝でいっぱいです!

 

これからもたくさんの方々にお出汁のチカラ、良さ、素晴らしさ、、お伝えください〜♪


私も地道にひっそりと周りに浸透させて行ければと思います。

ありがとうございます!

 

 

********

 

 

無事にお泊まり保育に行けたようで本当にホッとしました。

 

 

 

食べものとカラダの関係に興味がない人にとっては、

「お出汁で熱が下がるわけない」

と思うかもしれません

 

 

もちろんそれだけじゃないのは十分承知

 

お出汁を飲んでるだけではどうにもできない場合だってあるのも十分承知

 

お出汁だけではなく、プラスαも必要なことも十分承知

 

 

 

でも、お出汁をひたすら飲んで快復することもあるのです

 

 

やっぱりお出汁にそれだけのチカラがあるのだと思わずにはいられない

 

 

 

カラダの補修

成長するための材料

メンタルを整えるための材料

これらがお出汁にはたっぷり入っているのだと思います

 

 

 

薬もいいでしょう

スーパーフードもいいでしょう

サプリメントもいいでしょう

 

 

 

でも、それもこれもカラダに十分な栄養が入っていないかぎり、うまくチカラを発揮しないのです

 

 

 

そのために、まず、私たちの命の源であるお出汁

 

 

四方八方を海で囲まれた私たち日本人が生み出した「お出汁」という知恵

 

 

そこに想いを馳せるからこそ、

今 ココにいる喜びも、ありがたさも感じられる

 

先人たちへの敬いにも通じ、後世への思いやりにもつながる

 

 

 

簡略化された手軽な顆粒だしがスーパーにズラリと並んでいる今だからこそ言いたい!

 

 

お出汁を見直してみませんか?