赤ちゃんのうつ伏せ運動は必要か?
赤ちゃんは、生まれてきたときは腕も脚もまだまだ骨は柔らかい
首なんてヘニャヘニャで、頭と首とを支えてあげなければ危険だ
馬や牛など動物の子は生まれたその日のうちに立ち上がって歩きだすけど、人間の子は長い時間をかけてカラダをつくっていく
それは当然のことであり、何らかの手によってそれを早めたりするものではないと解釈している
けれど、時々子どもの身体的な成長を早めようとする大人を見かけてヒヤヒヤすることがある
たとえば、まだヘニャヘニャの赤ちゃんをうつ伏せにして首を鍛えようと運動させること。
先日もSNSで見かけた
生後1ヶ月くらいの赤ちゃんがうつ伏せにされて頭を一生懸命あげようとしている
「がんばってます!」と書いてあった
頭を支えるために必要な筋肉や骨が発達すれば、赤ちゃんは勝手に寝返りをする
まだ寝返りをしないということは、頭を支えるために必要な筋肉や骨がまだ未熟だということだ
でも、それをなぜか待てない大人がいる
本人のペースに任せられない大人がいる
おそらく、成熟するまでの時間を短くすることで親をはじめとする周りの大人は安心したいのだと思う
「あぁ、ウチの子は大丈夫だ!」
「この子は “ちゃんと” 育ってる!」
と。
早く自分たち大人と同じ状態にもっていきたくて、それが一番良いことだとも思っているかもしれない
大人の姿が完成形だと捉えているのだろう
かなり歪んだ見方だとは思うけど、早く結果を見たがってる・早く安心したがってるように思えてならない
でも、結果は早ければいいとは思わない
動物も人間も、早く成長すればいいとは思わない
カラダに無理をさせることによって生じる危険性も大いに孕んでいるはず
なのに、うつ伏せ運動を推進している病院や自治体などの団体はそれを伝えない
かくいう私も、娘の1ヶ月検診のときにうつ伏せ運動を勧められて生後3ヶ月くらいのときにやったことがある
2〜3回やっただろうか…
やったものの、何となく違和感があった
これはもしかして余計なことなんじゃないか?
本人がこの体勢を求めているなら、勝手にこの体勢になるだろうに、それを大人の手によって無理やりさせることは、本人には苦痛なんじゃないだろうか?
本人の成長に任せておけばそのうち首もすわるだろう
未熟な時間なんて、この子の人生では点みたいなもの。
それを今楽しまなくてどうする?!
この子の成長を心から信じて見守るのは、この子の一番近くにいる私が誰よりも適任じゃないのか?!
と自問しました
当時の私としては、成長した娘を早く見たい!とか、それによって早く安心したい!などの自覚はなく、ただ「検診のときに言われたから」という、ただ盲目的にやったけれど、結果的に同じことをしていたわけで、今となっては「しんどかっただろうに… かわいそうなことをしたな…」と反省要素の1つになっている
こういう、赤ちゃんのカラダに無理をさせるようなことが定着しているのは、きっと、共働きの家庭が主流で、生後半年から子どもを預けて働きに出る女性が増えたことにより、
「早く手がかからない状態にした方が助かる人が多い」
という、ある意味 ニーズとして捉えられているのも理由の1つのような気がする
すべては大人の都合
それによって、言葉もしゃべらず表現力の低い赤ちゃんたちのカラダは無理を強いられているのではないだろうか?
たとえ実害などはなくても、未熟な時間も楽しめる、余裕のある大人たちで子どもたちを守り支えていければと思う
まだ脚も腰もフラフラなのに手をつかんで歩かせようとしたり、1人でお座りできないのに座れる椅子や歩行器を使ったり…
ネットから拝借
もし娘が自分の子にしていたら、
寝返りできるカラダになったら勝手にするし、お座りできるカラダになったら勝手にするし、立てるカラダになったら立つし、歩けるカラダになったら歩くねんからそっとしとき!!
親のあんたがこの子を一番に信じてあげへんかったらどうすんの!?
あんたの子やから大丈夫!
焦らんと待ってあげて!
と言うだろう
ジッと寝ることしかできなかった子が手足をバタバタさせ、布団の上をグルグル回るようになり、全身を使って「よいしょ!」と寝返りをし、腕の筋肉がついてきて少し前後に進むようになり、気づいたら座って遊んでいたり、つかまり立ちして…
人間の子どもは本当にゆっくりゆっくり成長していくから、忙しい現代人にはじれったいところもあるかもしれないけれど、時間をかけるからこそ整うものがあると思っている
何でもかんでも大人の頭で考えたことが正解とは言えない
机上の空論ということは往々にしてある
というより、むしろ、我々大人にとって子どもは先生
たしかに大人がサポートしていく場面もあるけど、子どもから学ぶことは予想以上にあるわけで…
私たち大人が子どもにできることは、あれこれと先回りして手を打つことではなく、たとえ手を出したくなる瞬間があってもジッと耐えて、子どもが一生懸命成長しようとしている様子を見守ることだと思う
生後数ヶ月であろうが、成人になろうが、人の親になろうが、
「あなたならできる!大丈夫よ!」
と、いつでも言える親でありたい。