「なぜ日本のお出汁には香りがあるのか?」日本人のカラダの特徴を元に考察してみた。
どんなにお腹がいっぱいの時でも、うどん屋さんやお蕎麦屋さんの前を通るとお出汁のいい香りについホッとするのは、やはり日本人だからこそではないでしょうか。
「素材に火を通してその旨味を引き出した液体」
これを日本では「お出汁」、海外では主に「スープ」「ブイヨン」などと呼ばれます。
日本のお出汁がいろいろな料理の基本となっているように、海外のスープも同様に、様々な料理の基本です。
私は先日、海老の頭と殻でお出汁を引きましたが、
魚
肉
野菜
何でもお出汁・スープにできます。
ですが、日本のお出汁と海外のスープでは決定的に違うことがあります。
それは『香り』です。
海外のスープは何時間も煮出して完成させるものがほとんどです。
ステーキのソースやビーフシチューなどによく使われるフォンドボーも、中華料理の定番 鶏がらスープも、長時間コトコト煮出してつくるスープです。
それに対して、日本のお出汁は、長くみても20分ほどでできます。
昆布と鰹節のお出汁でも、そこに煮干しが入ろうが、干し椎茸が入ろうが、海外のスープの加熱時間と比較するとビックリするくらいあっという間にできあがります。
香りは揮発性のものです。
時間が経てば経つほど失われていきます。
だから、日本のお出汁には香りがあるのです。
もちろん、海外のスープにも香りが残っているものもあるのでしょうが、日本のお出汁ほどではありません。
この、「香り」
香りがすることによって癒されたり、気持ちが落ち着いたり、いろいろな効果がありますが、お出汁の香りの最大の効果は「胃酸分泌」だと思っています。
日本人はもともと胃酸の分泌が苦手な民族です。
外国人と比べると、酸度や量が足りていません。
(だから、近年の生活習慣病をはじめとする様々な病気や疾病の増加は、食の欧米化だけでなく、胃酸の分泌の具合も大いに関係していると思っています。)
胃酸が分泌されていないと、摂れるべき栄養が摂れません。
ビタミン
ミネラル
多くの栄養素は、胃酸によって分解されることが多いからです。
どうしても咀嚼回数が少なくなりがちな小麦ものが多い食生活をしている場合は、余計に胃酸は分泌が低下していきやすいのです。
ただでさえ胃酸を分泌しにくい我々日本人にとって、いかに胃酸を出すか?というのが、健康維持への大前提だと言っても過言ではないのですが、そのためにも香りが残っているお出汁は大いに役に立ちます。
というのが、胃酸は、香りや音によって分泌されるからです。
包丁で野菜を切るトントントンという音
何かが焼けているジュージューという音
煮炊きもののコトコトという音
揚げ物をしているときの音
そして、香り。
それによって、胃酸が分泌しはじめ、カラダは食べものを受け入れる準備をするのです。
そう考えてみると、なぜ日本のお出汁は香りがするのかがよくわかります。
先人たちがそこまで考えてあみ出したものかはわかりませんが、とてもよく考えられた、日本人にぴったりのものなのです。
そして何より、お母さんが台所でご飯をつくることの大きな意義も見えてきます。
インスタント食品
コンビニ弁当
レトルト食品
菓子パン
これらの手軽な食事は、ご飯をつくる過程で自然に生まれる香りも音も乏しいもの。
カラダが食べものを受け入れる準備が整わないうちに食べてしまっている可能性があるとも言えます。
たった一品でも素材からつくったものであれば、それだけでカラダにとっては優しいごはんになるのです。
レトルトなども否定はしません。
ですが、例えばそこに一手間加えるのとそうでないのでは、得られる栄養素はわずかであっても違うかもしれません。
こういう面でも、手づくりごはんのメリットがわかるかと思います。
そして、自分で引いたお出汁の効果の素晴らしいこと!!
お出汁の香りで栄養を吸収するスタンバイができるなら、これ以上 手軽でカラダに負担なくできる胃酸分泌法はありません。
これは、やはり顆粒だしより天然素材で引いたお出汁のほうが断然 香りが高いため、胃酸分泌の効果も高いと思われます。
あまりお腹が空いていなくても、ごはんの香りでお腹が空いてきたり、「美味しそうだな」と思った経験はありませんか?
食欲はないのに、ごはんをつくり始めたらお腹が空いてきたという経験はありませんか?
我が家の娘も、夕方頃に「今日はごはんいらない」と言う時があります。
おそらく気ままに言っていると思うのですが、そんな ちょっとあまのじゃくなことを言っても、私がごはんをつくってると、
「何つくってるの?」
とか
「お腹が空いてきた」
とか
「早くごはんが食べたい」
とか言いはじめます。
そういえば、先日の『手づくりベーコンの会』でも、参加してくれていたお友達が、
「朝から調子が良くなくてろくにごはんも食べずに来たのに、講座中にずっと漂っていた燻製の香りによってお腹が空いてきた」
と話してくれました。
彼女は私の『オカンのための栄養学講座』も受講してくれているので、食欲が出たことの有り難さも、胃酸がもたらしてくれるカラダへのメリットもよく理解しています。
嬉しそうに「胃酸が出てきた!」と言うので、「香りのチカラってスゴイよなー!ホンマにスゴイ!!」と2人で言い合っていました。
少しでも健康に過ごそうと思うなら、『胃酸』は栄養を消化吸収するための絶対条件。
胃酸が出ることによって、腸への負担も軽くなり、栄養も吸収しやすくなる。
ということは、栄養の合成もスムーズになる。
胃酸の強い酸度によって、病原菌がカラダに入りにくくなり、病気にもなりにくい。
胃もたれや胸やけも、胃酸が出てないからこその症状であることが多いのですが、病院に行くと、なぜか制酸剤を処方される不思議。。。
『腸内環境の改善!』と、ヨーグルトやファスティングに手を出すのも一つですが、まずは胃酸が出ているかどうか、自分のカラダの状態を知ることは大切です。
特に、野菜の栄養価が低くなっている現代、そして、低胃酸症である私たち日本人にとっては最大の課題だと思います。
もし、胃酸が出ていない自覚があるなら、出やすくする工夫は必要です。
まずは、自炊率を上げること。
それから、お出汁を自分で引くこと。
こういうことから見直してみてはいかがでしょうか?
お出汁なんて、香りによって胃酸の分泌をスムーズにしてくれるだけではなく、非常に吸収しやすい状態で栄養が含まれているわけですから、使わない手はありません。
もし、
「お出汁の引き方がわからない」
「自分で引いても美味しく感じない」
と言うなら、ぜひお出汁の会にお越しください。
10/28 午前 広島
https://peraichi.com/landing_pages/view/1028hiroshima
11/19 午前 新潟
https://peraichi.com/landing_pages/view/1119niigata
引き続き 申込可能です。
お待ちしています。
「食」がもたらす普遍の強さで争わなくても良い社会を。
昨日は、久しぶりに京都で『手づくりベーコンの会』でした。
今回は、珍しくベーコンとサラミの仕込みも加え、さらに、最近レシピをリニューアルしたために再受講者も募集。
14名の方にご参加いただけました。
座学が終わり、試食に移ると、必ず場が盛り上がります。
これは、どの講座でも感じることです。
それまでシーーーンとしていた会場内が、「いただきます」の声とともにザワザワザワザワ話し声が聞こえてくるのです。
隣に座っている人も、同じテーブルに座っている人も、今日 初めて会った人たちばかりなのに。
いつの間にか、笑い声も聞こえるほど盛り上がります。
昨日もそうでした。
あちらこちらから塊肉の扱い方の話だったり、日々のごはんづくりに関する話だったり、子育てに関する話だったり、子どもの幼稚園や学校の話だったり…
ほんの数分前にはよそよそしく座っていたのに。
そんな、空気の変化を真近で感じながら私はいつも思うのです。
これが「食」のチカラだ!と。
それまでろくに会話もしていなかった見ず知らずの人たちと、ほんの数分で、グッと距離が縮むことって他に何かあるでしょうか?
かなり非日常的で特別なことです。
一つの食卓を囲むということは、それほどまでに人と人との結びつきを生む行為なのです。
心が通い合う行為なのです。
赤の他人ですら、笑い合えるようになるのですから。
「食べる」という行為は、生きるために必要な欲求を満たすだけではありません。
人とつながり、相手を認め、自分を知り、生きていることを感じる時間。
「私たちが『食』から受け取っているものはこんなにも素晴らしい!!」
と、いつも思う瞬間です。
そして、その後の仕込み体験では、お腹も満ち足りたこともあって本当に和やかで楽しい雰囲気のまま、和気あいあいと仕込みをしている参加者さんたちを見て、かつての実家の風景が蘇りました。
秋頃のお味噌づくり
年末のお餅つき
お正月の祝宴とお盆のご先祖を敬う会
実家には隣近所や親戚のおばちゃんたちが集まって、みんなで手分けしてお味噌をつくり、お餅をつき、宴で出す料理をつくり。。。
ワイワイとしゃべりながら作業をしていました。
今となっては再現不可能な景色です。
でも、この広い世界の、日本という国の中の、京都という土地のたった1ヶ所で、「美味しい加工肉が食べたい!つくりたい!」という1つのことにアンテナが立っている人たちの集まりは昨日たしかに存在しました。
きっとその集団の想いは、世界規模・全国規模で見てもまだまだまだまだ極小で、「関西」や「京都」という枠で見てもまだまだまだまだ点にもならないけど、でも、その小さなコミュニティーが生み出すものはなんとも輝かしく、温かく、優しいものだと信じてやみません。
昔、数人の女性たちが近況報告などをしながら、神にお供えし、家族や親族の空腹を満たす食事をつくっていたあの光景と昨日の光景は、どちらも女性たちがとても生き生きとして、楽しそうで、優しさに満ちあふれ、神々しいほどでした。
こういう女性がつくったものを食べた人には、確実にその愛が伝わっていくのだと思います。
『あぁ… なんてステキな世界なんだ♡』
と思いながら、参加者さんよりひと足遅れてベーコンをいただきました。
先日、FBFの方が
『戦争もやむを得ないと思っている人はどれだけいますか?』
と投稿されていました。
その投稿を見て、自分なりにいろいろ考えました。
「戦争には反対。できれば起きて欲しくない。でも、隣国の状況を見ていると、「日本を守りたい!守らなければ!」と強く思う。その結果が戦争になるなら悲しいけれど」
という内容のコメントをしたのだけど、その方とやりとりをしていくうちに
「政府に丸投げせずに、個人が学んで強くなることはとっても大切。そのために何をするか?どう生きて、どう在るか?が問われている時代ですね」
との結論に至りました。
以前ここ(自殺者をなくすご飯 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」)にも書いたように、私は、おうちごはんを通じて人の在り方を伝えています。
どこかの国が核やミサイルで国の存在を主張するなら、私にとってのそれはおうちごはんです。
核やミサイルを使って自分の国の平穏と安泰と繁栄を得ようとするなら、私は、お出汁の会・5つの魔法の調味料講座・手づくりベーコンの会をはじめとする各講座やイベントを手に、日本の平穏と安泰を守り抜き、さらなる繁栄を目指そうとしています。
核やミサイルなどのようにインパクトも迫力も派手さもないけれど、これまでの経験によって、地道に続けていくことの強さとしなやかさと確かさを知っています。
わざわざ各地に出向いていく大切さも必要性も感じています。
無理なダイエットをすると大幅にリバウンドしたり、忘れた頃にダメージがやってくるように、一気に変えようとすれば、いずれどこかしらにそのしわ寄せがきます。
だから、地道にやっていくことが1番の近道なのです。
私のコミュニティーはまだまだ小さい。
政治家さんに物申せる立場でもない。
でも、今、日本中を走っているどの選挙カーの叫びよりも強く、熱く、日本を守りとおす気持ちがあります。
…って書くと胡散臭くなるな(^_^;)
ちょっと選挙演説みたいにもなったけど 笑
投票日を明日に控えた今、SNSでは、やれ どの党に一票入れるべき!誰に入れるべき!安倍政権続投反対!とザワついていますが、投票することと同じくらい… もしくはそれ以上に、
『5年後の日本を豊かにするために、あなたは昨日 何をしましたか?今日は何をするつもりですか?』
との自分に向けた問いかけが必要な気がします。
「昨日は子どもといっぱい遊びました」
「今日も仕事に行ってきます!」
「明日は地域のボランティアに参加します」
それぞれに思う未来の日本に向けた活動にどんな可能性があるかわからない。
でも、『未来の日本のため』と思っていれば、きっとそうなるはずです。
日本人として生まれてきたことを誇りに思うからこその個人の活動。
私は今後も講座やイベントで自分の道を極めていきます!
リクエストなどがあればご遠慮なく。
実現できるかわかりませんが、実現できるようにさらに進化していきます☆
その食べものはどこでつくられたものですか?
最近、所用でとある冷凍食品業者の倉庫に出入りする機会が重なりまして、、、
そのメーカーの方だけじゃなく、いろんな会社の運搬業者さんが数人お仕事をされているわけなのですが、行くたびに様々な種類の冷凍食品・冷凍食材の箱が山積みにされているので、それを見るだけでも楽しい場所です。
お肉や魚介類はもちろんあるのですが、
お好み焼き
肉まん
グラタン
きつねうどん
キンピラ
焼き鳥
などなど、
加工品が本当にたくさん!
中には、
明太マヨソース
カスタードクリーム
などの、いかにもな業務用も見受けられます。
いや、上記のお好み焼きやグラタンやキンピラでさえ、もしかしたら業務用かもしれません。
実際に、泊りがけで出張したりすると、有名なホテルでさえ、朝食には市販のお惣菜が使われていることもあります。
袋から出せば終わりというようなお惣菜です。
全フロア カーペット敷きのホテルでも。
そういえば、以前、フラッと入ったステーキ屋さんで注文した「炙り寿司」も、シャリは明らかにレンチンもの。
表面だけバーナーで焼き色をつけた牛肉がのせてありました。
2貫で1000円くらい。
もうそのお店への2度目はありませんが。
先日、この倉庫に行った時にお世話になったタクシーの運転手さんと産地偽装の話になり、2人のあいだで出た答えは、
『外食でまともなものを手軽な値段で食べようと思うことがそもそもおかしい』
これでした。
安いものには安いなりの理由があります。
特に、 冷凍食品をはじめとする加工品は、原材料すべてに細かい産地表示はありません。
スーパーに並んでいるむき出しのお惣菜も、いちいち産地が書いてあるものは見かけません。
どこでつくられた素材を使っているかまではわからない状態。。。
何年か前に、食品メーカーの工場で商品の製造工程をテレビで観たことがあります。
出演者の方々は
「うわー!美味しそう!!」
「この、途中の状態のものを食べたい!!」
などと声をあげてましたが、いろんなものが機械でつくられている状態のどこが美味しそうなのか、なぜ食べたいのか私にはわかりませんでした。(芸能人のお仕事も大変だ…)
これまで私が食べてきたごはんは、機械でつくられたものではなく、
自分の手
祖母の手
母の手
友達の手
お店の人の手
など、『人の手』によってつくられたものです。
金属だらけの無機質な機械によってつくられている様子は、どう見ても『人間が食べるごはん』とは思えませんでした。
それから数年が経ち、段ボール箱に山積みにされたそれらを目にして、あの時のテレビの映像が蘇りました。
もちろん、私も外食やお惣菜に助けられることもあります。
この倉庫の中で見たものを口にしていない自信なんてありません。
でも勝手なもので、こうして段ボール箱に入った状態で目にすると、どうしても「美味しそう!」「食べたい!」とは思えないんですよね。
さまざまな食べものたちの名前が書かれた段ボール箱を見て、より一層
「やっぱりごはんは可能なかぎり手づくりしよう!」
と思いました。
人は何のために食べるのか?というと、生きるためです。
明日以降のカラダとココロをつくるのは、これまで食べたものです。
すべての食材にとことんまでこだわり続けるのはなかなか難しいかもしれませんが、せめて、どこの誰がつくったものかわかるものを口にしたいものです。
「とんでもございません」「〜になります」…キレイな日本語を使いましょう!
今日は日本語のお勉強です笑
かなり長くなります笑
昔、仕事で人に言葉づかいを教えていた経験がある手前、普段でも「キレイな日本語を使いたい!」と思っているし、自分の子どもにも「日本語が持つ美しさを伝えていきたい!」と思っています。
美しい日本語を使っていると、それがゆくゆくは日本人としての自信や誇りにつながると思うし、先人たちへの敬愛の表れにもなると思うからです。
長年の戦後教育によって失いつつある我が国への尊敬や敬愛の精神や、核家族化によって受け継ぎにくくなっている先祖を敬い感謝する気持ちなど、生活の随所で思い起こすことができたら、日々ニュースで目にするような悲しく痛ましい事件が一つでも減るのではないかというのも、私の根底にある深い想いです。
これまでfacebookではチョコチョコ投稿していましたが、今回ブログでまとめてみることにします。
《とんでもございません》
よく聞く言葉です。
でも、これはもともと『とんでもない』という言葉が変化したもの。
『とんでもない』というのは、「もったいない」「だらしがない」「みっともない」などと同じように、本来は変化しない言葉なのです。
「ない⇔ある」と変化するものではないのですが、その「ない」の部分だけを切り取って、丁寧に表現するために「ない→ございません」と変化し、付け足すようになったのでしょう。
私もそうですが、『敬語』は一応学校でも習いますが、イマイチ理解しないまま使っていることが非常に多く、過剰に「丁寧に言わなければ!失礼がないようにしなければ!」との気持ちが先行しすぎて、無駄な言葉が入ったり二重敬語になって余計にわかりにくい場合も多々見られます。
コンビニでお弁当を買った際に言われる
「温められますか?」
がその典型ですね。
いやいや、あなたが温めてくれるんでしょ?と言いたくなる状態です^^;
もっとシンプルに
「温めましょうか?」
で十分伝わるし、まったく失礼ではありません。
話を「とんでもございません」に戻すと、、
「もったいある」「みっともある」とは言わないように、「とんでもない」はそれ以上変化しないものなので、
「とんでもないです」
で十分です。
もし、もっと丁寧に言いたいなら、
「とんでもないことです」
「とんでもないことでございます」
と表現します。
余談ですが、先日宿泊したホテル日航大阪では、外国人のホテルマンが何人かいらっしゃいました。
そのお一人から
「とんでもないことでございます」
と言われたときは、さすが名の通ったホテルだと感銘を受けました。
でも、これはホテルだからこその言葉づかいであって、普段は「とんでもないです」だけで気持ちはいいものです。
《れる・られる》
世間では「ら抜き言葉」と言われているようですね。
本来は「ら」が入るはずの言葉に入っておらず、省略されているのです。
会話の中で使われるだけでなく、文字にした場合でも見かけることが多くなりました。
「〜できた」という意味で使うとき、「られた」と言うか「れた」というか。
まぁ、それだけの違いなのですが、文字にされると余計に目立つような気がするのは私だけでしょうか?
たとえば、「見れた」「食べれた」
意味はもちろん通じます。
でも、なんとなく拍子抜けするというか、物足りなさを感じるというか、、、
「作れる」「座れる」のように、『れる』だけで表現するものがあるから区別がつきにくいのでしょうね。
わかりやすいのは、「さぁ、〇〇しよう!」という意味に変えてみると違いが出てきます。
見るー見ようー見られる
食べるー食べようー食べられる
作るー作ろうー作れる
座るー座ろうー座れる
「〜よう」と変換する言葉は「られる」
それ以外は「れる」です。
話すー話そうー話せる
行くー行こうー行ける
のように、「れる」と言わない言葉もありますが、同じく「〜よう」とは変換しません。
「見られる」「食べられる」以外には、
「着られる」
「信じられる」
「寝られる」
などはよく使う言葉ですね。
過去形で「〜られた」となる場合も同じく、「見れた」「食べれた」「起きれた」ではなく、「見られた」「食べられた」「着られた」と変化します。
ただ、こうなると
『誰かに見られた』
『ワニに食べられた』
『私の服を着られた』
と解釈できるから、「見れた」「食べれた」でもいいんだ!
という意見もあるようですが、前後の文脈でわかるので理由にもならないかと思います。
また、『られる』は尊敬語としても使われますので、その点も注意です。
『見られる→ご覧になる』
『食べられた→召し上がった』
『着られた→お召しになった』
『起きられた→お起きになった』
『寝られた→お休みになった』
と言い換えます。
日本語って、奥が深いですね。。( ̄▽ ̄;)
でも、やっぱり美しい!!
《〜になります》
これは、誰かとの会話というより、お店の店員さんやビジネスの場でよく聞く言葉ですね。
私も、かつて口酸っぱく指導していました。
「〇〇円のお返しになります」
「トイレはあちらになります」
「3ヶ月後の状態がこちらになります」
という使い方。
『なります』は、「音がなります」 「鈴がなります」の『なります』以外に、「実がなります」「どんぐりがなります」のように『できあがる・完成する』という場合でも使います。
他には、「紅葉の葉っぱが赤くなります」「ハマチがブリになります」「氷が水になります」など、状態が変化する場合に使うのが『なります』です。
だから、
「〇〇円のお返しになります」
「トイレはあちらになります」
「3ヶ月後の状態がこちらになります」
など、変化しないものに対して使う言葉ではないのです。
このことをアルバイトや教え子たちに説明するとき、私は決まって『サザエさん』を例に挙げていました。
サザエさんは、始まるとき「サザエでございまぁ〜す♪」と言って登場します。
カツオくんが出てきて「サザエになりまぁ〜す♪」と言っているわけでもなく、サザエさんが「カツオになりまぁ〜す♪」と言っているわけでもない。
サザエさんはサザエさん以外の何者にも変わることがないから「サザエでございまぁ〜す♪」と言っているのよ。
と話していました。
「〇〇円のお返しになります→〇〇円のお返しです(でございます)」
「トイレはあちらになります→トイレはあちらです(でございます)」
「3ヶ月後の状態がこちらになります→3ヶ月後の状態がこちらです(でございます)」
など、「です」もしくは「でございます」とハッキリ言い切ったほうがわかりやすいですね。
《〜のほう》
上記の『なります』と同じく、バイト敬語と言うのだそうです。
「お釣りのほうお返しします」
「靴は靴箱のほうに入れてください」
「お皿のほうおさげします」
などですね。
『〜のほう』とは、方角・方向を表したり、2つ以上のものを比較するときに使います。
「東のほう」
「西のほう」
「上のほう」
「右のほう」
または、
「AよりBのほうが」
「北より南のほうが」
「右より左のほうが」
「さっきより今のほうが」
「前より後ろのほうが」
といった具合です。
方角でも方向でもなく、何かと比較しているわけでもないのに『〜のほう』と言うと、伝えたいことがボヤけてしまいます。
「お釣りのほうお返しします→お釣りをお返しします」
「靴は靴箱のほうに入れてください→靴は靴箱に入れてください」
「お皿のほうおさげします→お皿をおさげします」
です。
『〜のほう』はなくても伝わります。
いや、ないほうが伝わります。
《すごい・すごく》
最近よく目にする、「すごい美味しい」「すごいキレイ」「すごい歩いた」という類の使い方が、個人的にどうも気になりまして…
なぜ動詞や形容詞に『すごい』をつけるのか不思議なのですが。
『すごい』というのは、それ自体が形容詞なので、
「すごい人」「かわいい人」
「すごい状態」「汚い状態」
「すごい技」「素晴らしい技」
「すごい紙」「薄い紙」
など、他の形容詞を用いても意味を成すのです。
つまり、『すごい』は、「赤い」「高い」「低い」「黒い」「白い」「美しい」「古い」「新しい」「まずい」「甘い」「寒い」などと同じ仲間。
でも、「すごい美味しい」「すごい暑い」「すごいキレイ」と使ってしまうのは、程度を表す『とても・すさまじく』という意味の『すごく』と混同しているのでしょう。
『すごい』と『すごく』の使い分けを考えるときには、「めっちゃ」を使うとわかりやすいです。
いずれも「すごく」という意味を持つので、「めっちゃ」で言い換えて変な言葉になるならそれは「すごい」と表現したほうがキレイな使い方です。
「めっちゃ人」
「めっちゃ状態」
「めっちゃ技」
「めっちゃ紙」
と言っても、なんのこっちゃわかりません。
だから、これは『すごい』。
「めっちゃかわいい」
「めっちゃキレイ」
「めっちゃ美味しい」
「めっちゃ黒い」
「めっちゃ暑い」
「めっちゃまずい」
「めっちゃ安い」
「めっちゃ古い」
「めっちゃ若い」
「めっちゃ走る」
「めっちゃ食べる」
「めっちゃ伸びる」
「めっちゃ上がる」
「めっちゃ飛ぶ」
「めっちゃ回る」
「めっちゃ流れる」
「めっちゃ泣く」
と、形容詞や動詞に『めっちゃ』をつけても文章になる場合は、『すごく』だと覚えておくとほぼ間違いはないかと思います。
『めっちゃ』をつけると意味がなる場合は『すごい』
『めっちゃ』をつけても意味が通じる場合は『すごく』
です。
とまぁ、いつも以上に長くなってしまいましたが、私も「てか」とか「みたいな」とか使いますし、言葉とはそうやって時代によって変化していくものだし、どこまで厳密に使うかは個人の心地良さに委ねられるのでしょうね。
こういうことを十分承知の上で
「でも一般的じゃないから」
「使い慣れてないから」
などの理由であえて使わない人もいるのは承知だし、方言によっても多少違ってきますからね。
…と、ここへきて身も蓋もないことを書いていますが、せめて文章として書くときくらいはちょっと気をつけておくと、文字から伝わる印象も違うかな?と思います。
無駄に崩す必要もないかな、と。
個人的には、「あたし」や「てにをは抜き」も気になるところですが、もう今日はやめておきます(^_^;)
話し言葉は可視化できないけど、書き言葉は残りますから余計に心づかいが必要な気がします。
知っているのと知らないのとではまったく違うし、使うのと使わないのとでもまた違いますから、何かのときに「あ!」と思ってもらえたら嬉しいです。
もし使えるなら、新人教育の場でも例文としてお使いくださいませ。
でも、こうして書くと、やっぱり日本語とは美しくて奥が深くて、無駄がない言葉だなぁ…と思います。
わたくしもまだまだスマートに使いこなせていませんので、これからさらに勉強です^^;
娘にはキレイな使い方をして欲しいですから。
全身全霊でオススメするお店『とくを』さんの魅力を余すところなく。
全国で本当に安心して食べられるお店は残念ながら数少ない。。。
どのお店も利益を出さないと存続は難しいし、従業員を養うことも、その家族の明日を保障することもできません。
でも、ごく稀に、お店の存続と、従業員やその家族を食べさせていくことと、お客を満足させることを同じくらい大切にしているお店があります。
インチキせず、本当に美味しいものを本当に美味しい状態で提供してくれるお店。
かつて、同じ職場で働いたことのある先輩のお店『とくを』さん。
時々… 本当に時々お伺いしていて、その度にたくさんの感動をもらっているのを見て、「一緒に行きたい!」という仲間が3人集まりました。
一度、私を含めた4人で夏に伺い、そのときに「一年通して行きたいね!」と話したことから、とくをさんの春夏秋冬を味わう会を結成。
その名も『とくを会』
昨日は『とくを会 秋』と称してお昼にお邪魔しました。
朝からシトシト雨が降り、薄手の長袖1枚では肌寒く、道中ではキンモクセイの香りが秋らしさを演出してくれて、夏以来、この日を本当に心待ちにしていた私たちの期待感より高めてくれました。
昨日のお料理は、万願寺の焼き浸し・鯛の中落ちでつくった煮こごり・無花果の胡麻和えの前菜からスタート。
絶品の鯛やよこわや天然車海老などが盛り付けられたお造り
蕪の吹き寄せ
まながつおと本ししゃもの焼きもの
鱧と松茸の土瓶蒸し
うざく
鱧のアスパラ巻き・茄子・パプリカのクラッカー揚げ
鱧まむし
柿の栗クリームがけ
以上がコースの内容。
これ以外に、おまけとして出してくださった、究極の魚介スープでつくったラーメンも(通常はメニューにありません)。
思わず、「うわー!これ、香りだけでお酒が飲める!」と言ってしまうほど香り豊かな1品や、よくよく噛みしめると後から後からどんどん旨みが押し寄せてきて、飲み込むのがもったいないほどの絶品料理の数々。
器も、月をモチーフにしたものや、鮮やかな紅葉の器・菊型の器など、秋を感じるものがたくさん。
お料理との色のバランスがとても美しく、食べるのを忘れるくらいしばらく見とれていたものもあります。
全国のすべての飲食店は愚か、京都市中のお店のお料理を口にしたこともないのであまり大きな声では言えませんが、『京料理』『日本料理』という看板を出しているお店でも、目を見張るような演出はあれど、食べてみると見た目ほどではなかったというお店はたくさんあります。
日本料理という、いわば我が国の伝統を受け継いで世に残していこうとしているはずお店でも、化学調味料を巧みに使い、本来の素材の味を消してしまっているお店もあります。
『老舗』と言われるお店でもです。
料理人を生み出す専門的な学校でも化学調味料の用いて指導している場合もあります。
本当に、本当に、残念なことですが。。。
自分のお店を持つときに無化調で料理をつくろうとして、味覚を正常化するのに苦労した経験を持つ料理人さんもいます。
その点、とくをさんのお料理は、過剰な演出は一切なし!
完全に『質で勝負』『味で勝負』のお店です。
ちょっといやらしい話ですが、今年は松茸が高いのだそうです。
それを手頃なお昼のコースでも出してくださる太っ腹さ!
だいたいコースで出てくる土瓶蒸しの松茸は、2〜3枚程度が相場です。
お昼ならなおさらです。
でも、とくをさんは5枚も!!
お店にとって、例年より高騰している素材を一般的な量より多め… というより倍ほどの量を入れるのは相当な覚悟が必要です。
それをサラリとやってしまう、ご主人 徳尾さんの心意気には本当に惚れ込んでしまいます。
彩り
香り
歯ごたえ
味のバランス
素材の生かし方・・・
本当に素晴らしく、過去とはいえ、「先輩」とお呼びすることが恐れ多く感じます。
徳尾さんのこだわりは、お料理だけではありません。
若い人材である従業員さんへの教育も細やかで、出勤時の服装・姿勢・言葉づかいに至るまで厳しく指導されているとか。
そんなお店、なかなかありません。
本当です。
それはそれはもう悲しくなるほど、従業員の身だしなみや礼儀作法というものに無頓着なお店はたくさんあります。
私も人材育成に携わったことのある端くれとして、街を歩いていても
「あんた、お店の看板を背負って歩いてることわからんのか!!」
と喝を入れたくなるほどずさんな場面に出くわすこともあります。
名だたるお店の店長・料理長クラスでも、金のネックレスがはっきり見えるほど服の胸元を開け、靴のかかとを踏んで靴を引きずるように歩き、髪はボサボサ、手にはタバコ。。。。。。。
「あのお店には一生行くまい!!」と思います。
直接伺ったことはありませんが、徳尾さんのお仕事に対する姿勢を拝見していると、徳尾さんの視線の先には、お弟子さんたちを通した未来の日本があるのではないかと思うのです。
「自分が関わった若い人たちが理不尽な目に遭わないように」
「無駄に苦労しないように」
「信頼・信用される人になるように」
という深い深い想いや願いがあるように思えてなりません。
いや、実際は何も伺ってないのでわかりませんけどね^^;
完全に憶測と妄想ですけどね^^;
でも、そういう想いがなければ、服装・姿勢・言葉づかいにまで神経がまわらないと思うのです。
かつて私もそういう想いで人と相対していたので、何か同じ匂いを感じてなりません。
同じ目線に経つのは非常におこがましいのですが。。。
そして、「飲食業は労働時間が長い」というのは暗黙の了解のようなもの。
でも、そのデメリットばかりが世間で取り上げられてしまって、継承して欲しい良き文化が途絶えてしまってはあまりにも悲しすぎます。
今、徳尾さんはその壁さえも越えようとされています。
私も詳しく存じ上げないのでココで詳細を書くことはできませんが、確実に変化・進化しようとされています。
ほらね!
未来の日本を想ってアレコレやってらっしゃると思わないと辻褄が合わなくなってきませんか?
先日、古くから呉服屋さんを営んでいらっしゃる若旦那さんとお話しする機会がありましたが、伝統文化を何年も何十年も何百年も何千年も受け継いでいくには、その都度その都度 少しずつ時代に沿った形に変えていかなければいけないとおっしゃっていました。
食文化とて同じことです。
「飲食ってブラックでしょ?」
たったその一言で終わらせてはいけないものがあります。
でも、そのたった一言が現代の若い世代に与える影響は絶大なものです。
それを考えての徳尾さんの決断と行動。
ただただ感服です。
どこまでも応援したいお店です。
聞くところによると、「最後の晩餐にはとくをさんのお料理を」とおっしゃるお客様も多いのだそうです。
重複しますが、こんなお店はなかなかありません。
京都という土地は、住んでいる人間でさえ年中魅了される場所です。
いつでも観光シーズンとも言えます。
「京都でちゃんとした日本料理が食べたいけど、敷居が高くて・・・」
「観光客向けの料理は食べたくない」
という方は、ぜひとも『とくを(京都 木屋町 日本料理 とくを)』さんへ足を運んでみてください。
仕事と同じくらい遊びを大切にされている方なので、もしかしたらライブでお休みされているかもしれませんが(笑)、とくをさんの営業日に合わせて京都旅行を計画してもいいくらい行く価値のあるお店だと思います。
本当に美味しいものを本当に美味しい状態で味わってみてください♪
母子のイライラ防止策〜間食のススメ〜
昨日、夕方4時頃にお腹が空きはじめました。
すぐに海苔で巻きながら納豆を食べたのですが、そこから1時間半ほど経ったとき、またさらにお腹が空いてきました。
昨日は朝からばたついていたので、納豆1パックでは足りなかったのだと思います。
夕方5時半といえば、あと30分〜1時間もすれば夕食という時間。
そんなタイミングでお腹が空いたら、あなたはどうしますか?
空腹をガマンしてがんばってご飯をつくれば、遅くても1時間後には食べられます。
でも、残念ながら、自分にゆとりがない状態でつくったご飯はそんなにクオリティーが高くない。
時間的に考えて、子どももお腹が空いてくる。
抱っこをせがんできたり、泣きだしたり、、、
そもそもごはんづくりスタートの時点でお母さんには余裕がないから、そんな子どもの状態にも対応できず、、、
…と言うより、さらに余裕がなくなってきてイライラが増します。
その結果、ごはんづくりもやっつけ仕事みたいになってきます。
だからクオリティーが低くなるのです。
私は、迷わずプロテインと鶏ガラスープを飲みました。
しばらくすると、遊びながら足の指をどこかで強打したらしく、娘が泣きながら私の元にやってきたので「どうしたん?」「どこが痛いの?」とか言いながら足をスリスリしていたのですが、泣きながら「抱っこ!」という娘。
「抱っこひもして!!抱っこひも、一緒に探して!!」と、普段は言わないことを口にしました。
実は昨日、幼稚園から帰ってきてしばらく遊んだあと、そのまま寝たのでおやつは何も食べていませんでした。
抱っこしながら、娘にも鶏ガラスープを飲ませました。
すると、さっきまで大声で泣いていた娘はケロッとして私の腕から降り、また遊び始めたので、「抱っこはもういいの?抱っこひもは?」と聞くと、「うん、もういいねん。わたし、遊びたいから」と。
もし、私が空腹をガマンしてごはんづくりをしていたら・・・
娘にも空腹をガマンさせていたら・・・
きっとこうはなりません。
バッタバタでごはんをつくり、泣いた娘にもイライラし、ヨシヨシも抱っこもできず、さらに娘は泣き、私はもっとイライラし、、、
もしかしたら、帰宅した夫にも八つ当たりしていたかもしれません。
空腹をガマンしない
これは、ものすごーーーーーーく大切なことです。
もっと大きな字で書きたいくらい。
お腹がすくと血糖値が下がり、それをカバーするためにアドレナリンが出ます。
これは体の正常な機能ですが、無駄に出す必要はまったくありません。
むしろ、必要な時に必要な分だけ出してもらいたい、大切なホルモンです。
アドレナリンが無駄に出ると、イライラしやすくなります。
副腎という、アドレナリンをはじめとするいろんなホルモンを分泌してくれている臓器が疲弊します。
分泌しないといけない時に、必要なホルモンが分泌できなくなってしまいます。
メンタルがやられる確率がグンと上がります。
腸内環境も悪化します。
貧血も進みます。
良いことなしです。
母も子も、もちろん父もじいじもばあばも、空腹はガマンするものではありません。
がんばってごはんをつくったのに、なぜかお腹いっぱいになってご飯が食べられなくなったという経験はありませんか?
朝ごはんを抜いたら、頭が冴えて気分がシャキッとした経験はありませんか?
コーヒーやエナジードリンクを飲むと元気になるという人はいませんか?
それ、、、アドレナリンの影響です。
1日1食や断食などをして「お腹が空かない」「食べないほうが頭が冴える」という声を聞くのもアドレナリンの作用です。
(個人差あるのは承知の上で言えば、こういう経緯があるから基本的に筋肉が少ない女性には断食はおすすめできません)
アドレナリンを出すことが悪いわけではありません。
無駄に出すことがカラダにとって負担なのです。
攻撃ホルモンとも呼ばれているアドレナリンは、その名のとおり、スポーツの試合中やテスト中など、「よっしゃー!やるぞーー!!」という時には必要なものです。
集中力や瞬発力を発揮するような時です。
が、それでも、試合終わり・テスト終わりの時に一気に体力・気力が落ちすぎないためにも極度の空腹は不必要だし、エネルギー源になるものをカラダに入れておくためにも空腹は避けたほうが良いと思われます。
修行じゃないからね。。。
アドレナリンの無駄づかいをしないことも大事なことですが、血糖値を安定させることも大事なことです。
血糖値を安定させると、アドレナリンの無駄づかいも減ってきますから。
血糖値を安定させるためにも、空腹をガマンしないこと。
何かちょっとしたものでもいいので食べてください。
とはいえ、お菓子や炭水化物系だとどんどん止まらなくなります。
口にするものはタンパク質系がベストです。
「でも、どうしても甘いものを食べてしまう・・・」という人は、「お腹空いたーーー!!」という状態まで放置していませんか?
極限まで放っておくと、手っ取り早くエネルギーになるものを欲するようになります。
だから、そうなる前に間食を取るほうが理想です。
私も時間に追われている時はついついタイミングを外してしまって、「あちゃー!今日は失敗した・・・」となる時があります。
「ちょっとお腹空いたかな?」というタイミングで間食を取ると良いと思います。
「うちの子、決まった時間にグズりはじめるわ・・・」
「最近、夕方になるとイライラしやすいかも・・・」
という方は、間食のタイミングと口にするものをチェックしてみてくださいね。
煮物やお吸い物の味付け迷子にならないためのたった2つの方法
台所に立つ人たちのお悩みの代表格
味付け迷子
いろんな人たちの話を聞いていると、特に煮物やお吸い物に多いようです。
なぜ煮物やお吸い物に多いのかというと、私の推測では、焼き物は下味の具合である程度決まってしまうし、仮に焼く前の生のお肉やお魚をペロッと舐めたとしても完成形の味まで想像できる人は素人にはあんまりいないし、てか舐めないし、、、
炒め物はサッサとしないと野菜から水分が出てきてベチャベチャになるし、お肉はどんどん硬くパッサパサになっていくのを知ってるから何度もペロペロ味見なんてしていられない。
「最悪、ソースかけて食べればいいか!」とか「塩かけて食べればなんとかなるだろう」「レモンを絞って食べるしね!」とか、幸か不幸か、かろうじて逃げ道があるように思うから。
煮物もお吸い物も、焼き物や炒め物よりゆっくり味見できる時間が確保できる料理とも言えるから、「あれ?醤油が足りない?」「みりんかな?酒かな?」「塩を入れたらいいのかな?」とかいろいろ考える余地がある。
まぁ、だから味付け迷子になりやすいんだけど。
市販のお惣菜や外食で食べるものたちは基本的に味付けが濃いし、これまでも化学調味料で味付けされた強烈な旨味を持つ料理たちを食べてきている私たちは、素材が持つ旨味を十分に生かしたごはんづくりはなかなか至難の技なのかもしれないけど、少しずつ少しずつ使う調味料の種類も量も減らしていけば理想に近づけるはずなんです。
だから、味付け迷子にならないためには、例えば、今までサラダにはドレッシングやマヨネーズをかけて食べてきた人は、塩とオリーブオイルだけにしてみるとか、炒め物にはケチャップやソースを使ってきた人は塩と胡椒だけにしてみるとか、無駄に味付けしないようにして味覚を鍛えるところから始めるのはオススメです。
でも。。。
そんな食べ方で味覚を鍛え始めようとしても、今日 煮物やお吸い物を作ろうとしている人は多いだろうし、「まさに今からつくろうとしているものを美味しく仕上げたいのよ!!」という切実で現実的な問題があるわけです(^_^;)
そこで、今日からできる煮物やお吸い物の味付け迷子にならないための方法を2つ書きます。
特別な器具も材料もいりません。
誰にでもできることです。
そして、何より私がいつも実践していることです。
簡単・単純すぎて拍子抜けするかもしれません。
「なぁ〜んだ、そんなことか!」
「それくらい知ってるわ!!」
という反応がある可能性は非常に高いのですが、勇気を出して書きます。
では。
まず1つめ。
水を飲む
ほら、簡単で単純^^;
でも、これが結構大切です。
味見って、すればするほど どんどんどんどん舌の上で味が重なっていくんです。
でも、自分の思うように調味して味見をして、醤油を足して味見をして、みりんを足して味見をして、また醤油を足して味見をして。。。
どんどんどんどんどんどんどんどん味が重なって混ざっていく。。。
それで、「よし!できた!」と思っても、実際に食べるとびっくりするくらい塩辛いとか味が濃いとか、家族の箸が進まないとか、大量に残されてしまうとか… 結構ありますorz
そうならないために、一度味見をしたら必ず水を飲んで舌をリセットするのです。
濃い味ほど舌に残りやすいし、繊細な味を出そうと思えば舌はより冷静で繊細な状態にしたほうが絶対にいい!
そのために水を飲むのですが、喉の渇きを癒すために飲むわけではないので、ゴクゴク飲んじゃダメです。
できあがった頃にはお水でお腹がタポタポになるからねww
一口水を含んだらしばらくそのまま口に入れておく。
味見をした時に口に残った味が消えるまで飲み込まない。
これがポイントです。
ワインも少量の水を飲みながらテイスティングをする時がありますが、それと理由は同じです。
リセットできたら足りないと思う調味料を入れて味見をする。
そうすると、舌が冷静になります。
初めてその煮物を食べる家族の舌と同じ状態にもなります。
失敗が確実に減ります。
もう慣れてくると水を飲まなくてもだいたいわかるようになってきて水がなくても美味しくできたりしますが、例えばお味噌汁の最後の仕上げ、あとはお味噌を溶いて終わり!という時に指にちょっとだけお味噌がついたとします。
で、その指についたお味噌を、お味噌汁を味見する前にペロッと舐めようものなら、お味噌汁の本当の味はわからなくなってしまいます。
まぁ、お味噌汁はつくる頻度が高いし、毎回味見しなくても日頃の勘でできたりもしますが、「あれ?お味噌汁のお味噌、ちょっと多かったかな?」と思った時に思わず指についたお味噌をペロッとしてしまった時は水を口に含むようにしています。
炒め物ができあがって味見をして、横でつくっている煮物の味見をする前は必ず水を含んでリセットさせます。
煮物の味見をしたあと、酢の物のお酢の味見をする前も必ず水でリセットさせます。
毎食毎回水でリセットしているわけではないですし、勘だけでそれなりにできたりするので水がいらないときの方が多いのですが、人様に振る舞う時やちょっと慎重につくりたい時は手元に水は欠かせません。
そして、2つめ。
味見の回数を減らす
自信がない人ほど味見をする傾向にありますが、やればやるほど味がぼやけていきます。
1つめのところでも書きましたが、味見はすればするほど どんどんどんどん味が重なっていくので、ゴールも見えづらければ現在地も見えづらくなってきます。
だから、なるべく味見をしないのが理想です。
かつて通っていた専門学校で「本当の味見は2回まで。3回目で仕上げるように」と教わりました。
『本当の味見は2回まで』というのはどういうことか?
煮物を例にすると・・・
最初にある程度の調味料を加えて少し煮て、1回目の味見をします。
足りなければ調味料を足して2回目の味見をする。
それで終わり。
もし、2回目の味見でも不足を感じたらまた調味料を加えるのですが、3回目の味見は、それまでの「何か足りないかな?」という探りの味見ではなく、「これでよし!」という確認の味見です。
もちろん、1回目の味見が確認の味見になるときもあれば、2回目が確認の味見になるときもありますが、私はよほどのことがないかぎり今でも3回以上 味見をすることはありません。
もし、今まで5回も6回も味見をしていた人は1回でも少なくできるようにチャレンジしてみてください。
きっと、より味覚が研ぎ澄まされると思います。
水を飲む
味見の回数を減らす
本当にちょっとしたことですが、「初めて聞いた!」という方はぜひお試しを。
それでも、
「そもそも煮物に何を入れれば美味しくできるのかがわからない!」
「もっと簡単におかずの味が決まればいいのに…」
という方は、『お母さんの味方☆5つの魔法の調味料講座』にお越しください♪
って… あれ??? 最後は宣伝になってしまった!(◎_◎;)
途中までそんなつもりはなかったのに・・・
途中までは(笑)
今のところ、11月の新潟講座しか予定はありませんが。