戦前にあって戦後になくなった、かけがえのないもの

今はお盆

 

私のSNSのタイムラインでは、石川・岐阜・徳島などの盆踊りの景色を見ることができ、全国各地でご先祖さんの供養が行われているのだなぁ…としみじみしています。

 

 

8月は、

8/6の広島の日

8/9の長崎の日

という、我が国にとっては忘れられない2日間があることに加え、お盆の月でもあることから、いつも以上に「命」や「血のつながり」や「日本人としての在り方」などを考える時間が多くなります。

 

 

メディアでもネットでも、戦争の話題を取り上げる機会が増えます。

 

 

 

 

今や、義務教育ですら

「グロテスクな写真は子どもが怖がるから」

と、とんでもなくトンチンカンなことを言って戦争の事実を伝えようとしない時代

 

戦時中の映像など、本来ならば年中どこかのテレビ局がやっていてもいいくらいのことだと思うのに、どうしても季語のようにこの月にしかメディアは取り上げないのが不思議でならないのだけど、まぁ、それはちょっと置いといて。

 

 

 

 

今年は戦後72年

 

今さら始まったことではないけれど、戦争体験のある人たちは年々少なくなってきています

 

 

身近な人からはもちろん、メディアからでさえもリアルな話は伝わってこなくなってくることに危機感を覚えるのは、戦後教育でかなり歪んだ歴史を学んできたことを実感しているからでもあります。

 

 

 

 

私は、食のことを伝える活動をしていますが、「食」というものを通じて、日本人を誇り高き民族にしたい!という強い想いがあります。

 

 

美意識が高く、

思いやりがあって、

適切な恥じらいもあり、

いつも冷静で、

目に見えぬものを大切にし、

志も高い。

 

まさに、戦前の日本人の姿です。

 

 

 

 

日本人は、これまで世界で多くの偉業を成し遂げてきました。

 

親日家の国が多いのもその現れです。

 

それは戦時中とて同じです。

 

 

でも、それを現代人はあまりにも知らなすぎる

 

 

 

隣国が未だ「慰安婦がどうの」と叫んでいることも、メディアが取り上げれば真実かのように受け取る人もいる

 

 

核だ!ミサイルだ!とざわついているというのに、それでもなお「戦争反対!」と唱え続ける

 

 

日本国を、日本人を、骨抜きにすることを目的としてつくられた憲法であることを知ってか知らずか、「第9条は守るべき!」と叫び続ける

 

 

 

このことに違和感はないのだろう

 

 

 

 

かくいう私も、少し前までは無知すぎた

 

 

お恥ずかしいことに「戦争反対!」「集団的自衛権放棄!」と思っていた

 

 

 

大東亜戦争のことを太平洋戦争・第二次世界大戦と言っていたし、(「大東亜戦争」以外にも、戦勝国によって禁止にされた言葉はたくさんあります)

 

特攻隊で命を落とした若き人々をかわいそうだと思っていたし、

 

アジア各国で、日本人兵士はたくさんの人たちに残虐なことをしてきたと思っていた

 

日本という国は、なんてひどいことをしてきたんだと思っていた

 

 

 

でも、その精神こそ戦勝国が望んだ日本人像だったと気づいたときは愕然としました

 

 

見事に戦勝国の思惑どおりになっていたのです

 

 

ご先祖さんに心の底から詫びました。

 

 

 

皇室のことを知ろうともしなかったし、

 

日本という国の歴史も何も知ろうとしていなかった

 

 

今日 8月15日のことは、ずっと『終戦記念日』だと言っていて、正しくは、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』だということも知りませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

ツイッター高須克弥氏が

「特攻隊は美しい」

と表現されているのを拝見したけれど、少し前の私なら嫌悪感を抱いていたはず

 

 

 

でも、今はわかります

 

 

というより、私もそう思います

 

 

 

 

以前、知覧から飛び立った兵士の手紙を拝見する機会がありましたが、それに限らず、特攻隊員が残した手記はいずれも胸を打たれます

 

 

志が高いからです

 

 

 

「特攻隊の姿が美しい」と言うと反論されるかもしれないけれど、でも、我が身を投げ打ってでも国を守ろうとする意志は、残念ながら多くの現代人にはない

 

 

「政治家はどうせ逃げるんでしょ?」

「こんな国のために死ぬなんてごめんだ」

「我が子を戦争になんて行かせたくない!」

そう思うこと自体がもう骨を抜かれているのかもしれないと思う

 

 

そこまでして国を愛している若者が、今の日本のどこにいるだろうか?

 

国を守るために我が子に「おめでとう」と声をかけて送り出す親が、今の日本のどこにいるだろうか?

 

 

 

「そう思わされるような教育をされてたんだ」

と言う人もいるでしょう

 

実際、「(現在、米国と危険な関係になろうとしている)彼の国みたいだ」と言ってる人もいます

 

 

 

そう言って、日本にいながらにして反日のようなことを言ってしまうこと自体が “つくられた日本人” ということなのだけど、もし仮に洗脳のような教育をされてきたなら、彼の国の脱○者のように、日本に嫌気がさして国を離れる人が多かったはず

 

 

 

でも、そんな話は聞いたことがありません

 

 

いや、むしろ、現代人のほうが洗脳のような教育を受けてきたし、その結果、日本という国に嫌気がさしているのではないでしょうか?

 

 

 

そもそも日本人は、この日本という国を心から愛し讃えていたと思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日、京都では五山の送り火が行われます

 

 

お盆の時期にこちらの世界に戻って来られていた死者の霊をあちらの世界にお送りするための行事です

 

 

本来ならば、静かに手を合わせてご先祖さんを想う時間

 

 

ところが、実際は、

「わー!点いた!点いた!!」

と拍手をし、やれ煙が溜まっているだの、次はどの送り火に火が点いただのとしゃべってばかり…

 

 

20〜30代の若者ならまだしも、50〜60代の人たちでも拝む姿は見られない

 

完全に戦後教育を受けてきた世代の人たちだから、そうなるのも仕方ないのかもしれません

 

 

 

少し前に長岡花火と祇園祭に見た「お天道様」の存在 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」でも書きましたが、

 

命のつながりを大切にすること

ご先祖さんを敬い感謝する気持ち

自分を律すること

今いることに自信と誇りを持つこと

日本という国に生まれたことに対する感謝

相手や周りを察すること

 

もしかしたら、今後は高齢者と呼ばれる人たちでさえこれらを失ってしまうのかもしれません

 

 

 

祝日に国旗を掲げる家は全国にどれほどあるのでしょうか?

 

 

 

つい先日も、facebookで目上の人に対する言葉づかいに関して投稿したばかりですが(コメント)、せっかくの美しい日本語も、理解して話せる人が確実に減ってきているのを感じます。

(小さな子どもに英語を学ばせるより、まずは日本語を!!!)

 

 

 

考えれば考えるほど、現代人は多くのことを失ってきたことに気づかされます。

 

 

「時代の流れ」という一言では片付けられません。

 

 

 

 

 

戦争で多くの命を亡くした事実は悲しいことだし、辛いこと

 

 

だから、2度と戦争は起こしてはいけない

 

 

ならば、これまで日本国が辿ってきた真っ当な歴史を学ぶべきだと思います。

 

 

戦争のことについてもっともっと学ぶべきだと思います。

 

 

 

 

残念ながら義務教育では得られません

 

テレビをはじめとするメディアでも得られません

 

 

大衆が簡単に情報を得られる手段は、ほぼほぼかなり偏っているからです。

 

 

学ぼうと思わなければ学べません

 

 

 

 

我が家には、幸いこのようなカレンダーがあります

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学校からも親からも教えてもらえない、

我が国の歴史

天皇家の歴史

などがわかりやすく書いてあります

 

 

 

 もし、これから日本について勉強したい!と思うなら、まずは古事記を読むことをオススメします。

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先日、鳥取のホテルで偶然見つけて感動しました

 

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 「日本人としての誇りを再発見しようとしている傾向がありますが、日本のことを知ろうとしたら『古事記』を読むのが一番よい」

 

 

とはいえ、私もまだまだ勉強中です

 

 

美しい日本語も使いこなせている自信なんてないし、日本のことも知らないことばかり。

 

 

1人の日本人として

1人の親として

後世に、この日本の素晴らしさを伝えていくためにも、学んでいきます。