『頑張って』を使わない訓練が必要なわけ

いつの頃からか、私は、人様を応援するときに『頑張って』という言葉を意識して使わなくなりました。

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特に、漢字で『頑張って』『頑張ってね』とは、少なくても去年の夏くらいからは使っていません。

 

…って、まだ最近やん!!って話ですけど( ̄▽ ̄;)

 

 

 

でも、情報発信している端くれ中の端くれとして、普段から自分の言動が他人に与えるインパクは少なからず気にしていて、文章を書く時は「どの言葉を使うのか?」「それをどう表現するのか?」という視点は持つように努力しているつもりです。

 

 

 

講座の時もなるべく誤解がないように話すことを心がけていますが、文字は声のように温度もなく、意識しないと抑揚やテンポもなくなるし、声より数倍も強く伝わってしまう場合があるので、注意が必要だと思っています。

 

 

もちろん、その特徴を利用して書くこともありますが。

 

 

 

 

 

 

ちょっと話は逸れますが、声で伝えた時には違和感はなくても、文字で伝えると途端に違和感を持つことがあります。

 

 

それが話し言葉と書き言葉の違い、もしくは、声と文字の違いなのでしょうが、わざと崩して書く場合を除いて、ものを書くことによって世界に何かを訴えたい!と思っている人間にとっては特にこういう視点(これで完璧!「話し言葉」と「書き言葉」の違いを徹底分析! | こぶたの鉛筆 - ライターのための情報メディア)は失いたくないな…と思っているのです。

 

 

 

 

たとえば、話し言葉では、

「ご飯食べてからお風呂入ったら?」

で充分伝わりますが、これをそのまま書くとなんとなく締まりが悪く、のっぺりとした文章になってしまいます。

 

 

「ご飯を食べてからお風呂に入ったら?」

この書き方だと締まりが良くてリズムも生まれ、グンと読みやすい印象に変わるのは、『てにをは(助詞 - Wikipedia)』という、日本語特有の表現が活かされているからなのでしょう。

 

 

短い文章ならまだしも、長文になればなるほど『てにをは』の使い方や『ら』抜き・『い』抜きが目立ってしまう。

 

 

日本には方言もあるので、情報発信をしている身としては、できるかぎり自分の記事に目を通したすべての人に温度差なくスムーズに伝えたいもの。

 

伝わる人たちが限定されてしまうのはもったいない気がします。

 

 

自分の持ち味として全面に出しているなら話は別ですが。

 

 

 

 

 

 

はい、寄り道 終わり。

 

話を「頑張って」に戻します。

 

 

 

私が「頑張って」を使わなくなったのは、

頑張ってる人に「頑張って」と言うのは失礼にあたるから

という気持ちももちろんあります。

 

 

 

『頑張ってね』と伝えようとしたときに、「あ!この人いつも頑張ってるもんな」と頭によぎると、軽々しく『頑張ってね』なんて言いたくなくなります。

 

 

 

 

 

少し前にfacebookでこんな投稿をしました→やもり なおみ - ありがたいことに、「読みやすい」とか「サラッと読める」とか「説得力がある」とか「つい読み込んでしま... | Facebook

 

 

 

漢字よりひらがなのほうがずいぶんと柔らかく伝わる場合が多いので、あえてひらがなで書いたりしているのですが、この『頑張って』も同様です。

 

 

書くなら「がんばって」くらいで、「頑張って」とはもうずいぶん書いていないような気がします。

 

 

 

 

『がんばって』『頑張って』を使わないようにすると、自分の脳みそがそれに変わる他の言葉を探そうとする。

 

 

脳みそが一気に検索しだす感覚です。

 

 

 

この感覚。

私は結構好きです。

 

 

 

 

ある人を見て「ステキだな〜」と感じたとしたら、「なぜステキだと思うのか?」をその人のことを知らない人にもハッキリ伝えられるレベルまで文章化する

 

とか

 

あるものを見て不快だと感じた、その一瞬の感情を見知らぬ人にも確実に伝わるように言語化する

 

とか、時々遊びとしてやるときがあります。

 

 

 

これは私にとっては大切な訓練です。

 

 

 

この訓練が結構好きなのです。

 

 

 

地味でしょ?笑

 

 

 

 

でも、それを面倒だと思うのはとても危険な気がするのは私だけでしょうか。

 

 

言葉というものは、時代によってどんどんどんどん変化し、簡略化されていきます。

 

 

少し前に、シルバニアファミリーのことを娘が『シルバニ』と呼んでいて、

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「まだ5歳なのに、こんなところまで簡略化・短縮化がきているのか!!」とショックを受けたのですが、

 

私と同世代、もしくは、少し上の世代の人でも何でもかんでも『ヤバイ』の一言で済ませてしまう現代の風潮に、かなりの違和感と寂しさを感じているのも正直なところです。

 

 

 

 

 

言葉は時の流れとともに変化していくものですが、日本語の美しさや表現の豊かさは子や孫たちにも伝えていきたい大切な文化の一つです。

 

 

前回のブログ『★号外★5年前からの私の激変を助けてくれた恩人との対談音声公開 - やもりなおみの「食べること。暮らすこと。生きること。」』でシェアした対談音声の中で、「行動範囲は思考の範囲」と言っています。

 

 

 

言葉とて然りと思うのです。

 

 

むかし昔の侍言葉を使えとまでは思いませんが、むかし昔の日本人の強い志は使う言葉にも宿っていたはず。

 

 

 

 

人の想いは、声にも文字にも顕著に現れて当然です。

 

 

 

私たちが日頃から抱く想いや感覚は、そんなに単純なものではありません。

 

100の瞬間があれば100通りの感覚があって当たり前。

 

とても繊細で絶妙なものなのです。

 

 

 

特に私は女性ですから、口から出てくる言葉も、手で綴る言葉も美しくしなやかで、かつ豊かなものでありたいと願っています。

 

 

 

形がないものほど崩れやすい。

ゆえに心を込める必要がある。

 

 

 

『頑張って』を使わないと決めてまだ日が浅いわたくしですが、人を励まし、応援する気持ちを表す言葉の選択肢をたくさん増やしていけるように、自らの語彙力を鍛えたい。

 

 

その日々が、のちに子どもたちにとって日本人としての自信や誇りの根幹になると信じています。

 

 

 

 

 

つい使ってしまう言葉を使わず、抽象的な感情をより具体化する脳みその訓練。

 

あなたもご一緒にいかがですか?

 

 

 

 

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